23 研究者の性
店に着いて個室に案内されると、ミラー会長とクロエが座った後に空けられた席を見て、席順がおかしい事に気付く。新人の自分が座るのはいつも入口側の左手前。そこにだいたいグレンと並んで座るのだが……。
『モナはここね!』
右奥側にクロエ、左奥側にミラー会長が座り、クロエの隣が空席になっている。そこがモナの席らしい。
「私がそこでいいんですか……」
「別にどこでもいい。気にせず座れ」
周りを見たら今日は皆自由に座っていた。
『今日は識別の目の商談が纏まりましたので、オールビーさんも交えて懇親会とします! 皆さんお疲れ様でした! 乾杯!』
サイモンがマーナ語で乾杯の音頭を取ると、皆グラスを軽く持ち上げて乾杯した。
『改めて自己紹介しておくわね。ワタシはクロエ・オールビー、二十七歳。ブール商会では魔法の研究をしているわ』
『研究者ですか! 商談に来られたのでてっきり役職の方かと……』
サイモンやマルセルは驚きを隠せない。モナもそう思っていた。
『ワタシ自身が会ってみたかったのよ、貴方達に。様々な魔法道具をどうやって生み出したのか、とても気になっていたから』
人当たりが良いし営業も出来そうな印象だけれど、研究者とは意外だった。
料理が運ばれてきた後、防音魔法を使うミラー会長。
『ミラー会長、いつもこうして会話するの!?』
『ええ、うちはこれが基本ですね』
『随分徹底してるのねぇ、うちと大違い……』
クロエはとても驚いていた。モナはここが初めての商会だったので、これが普通かと思っていたが他所では違うようだ。
『ブール商会はいかがです?』
『悪くないわ。でもつまらないわね。従業員の年齢層も高いせいか、向上心はあまり高いとは言えない』
そんな事言っちゃっていいのか。悪びれずクロエは微笑んでいる。
『従業員のモチベーションを維持、向上させるのは上の人間の永遠の課題でしょうね。うちはまだ若い商会ですからその課題はこれから直面していくでしょうけど』
『経営者として何か策があるのかしら?』
クロエの問いに、ミラー会長は微笑み返す。
『いえ、手探り状態ですね。でも……、退屈させる気はありませんよ』
ミラー会長の力強い意志を感じさせる瞳には、とても説得力があった。どんな事をするのだろうと期待したくなるような表情。それは恐らくクロエも感じただろう。ワクワクすると言っていたあの顔そのものだった。
『ふふ、モナが貴方に惚れ込むのも頷けるわ』
「ブフッ」
モナは口にしていたアルコールを吹き出した。
「こら! 汚いっ」
隣に座っていたセドリックにゴシゴシとナフキンで口を拭かれる。
「すびばせん……」
ミラー会長を一瞥すると、不思議そうにこちらを見ている。変な意味に取られたかもしれないとモナは慌ててフォローする。
「尊敬してるって意味ですよ!?」
「へぇ、そうなんだ?」
「グレンだってそうですよ! 私達同士ですもん、ね!」
急に話を振られたグレンは取り敢えずコクリと頷く。
「そ、期待に答えられるようにしとくわ……」
ミラー会長は口に手を当てて視線をそらした。
(あら? あらら? ちょっと、もしかして照れてるんですか!?)
モナは普段見ないミラー会長の仕草に驚嘆した。
食事をしながら他愛のない話をしていると、クロエがモナに小声で言った。
『モナの目、色々調べてみたいわね』
『目ですか。そんなに珍しいんです?』
『そうね。それにわからない事を調べたくなるのは研究者の性なのよね』
と言って、クロエはフフッと笑った。そして皆に向かって、突然の大胆発言をした。
『会長にはもう話したんだけどね、私ここの採用試験を受ける事にしたの!』
それを聞いた全員が固まった。
それもそうだ、商談相手がいきなりここで働きたいというのだから驚くに決まってる。彼女の場合、ミラー会長にもう話をしているというのだから冗談ではなさそうだ。
『いやいや、オールビーさん! そんな軽々と決める事じゃないですよ。しかもブール商会はどうするんです?』
サイモンは慌てて聞くが、酒の席のノリだと思っているのだろう。
『勿論、採用してもらえるならブール商会は辞める事になるわね』
クロエは至って真面目に答える。
『そんな簡単に商会を辞められますか? 愛着も未練もなく?』
『愛着もあるし簡単に辞められる訳ないわ。でもここの魅力に代えられるものはないと思ったの! だからその努力はするつもりよ』
すると、黙っていたミラー会長が口を開いた。
『オールビーさん。私が出した条件をクリアしなければ、採用試験に受かったとしても採用はできませんよ』
『条件って……何を出したんです?』
モナが疑問を口にすると、それにはクロエが答えた。
『一つは、諜報員ではないと証明する事。ボスの信用を得るという事ね。もう一つはゼナ語をマスターする事よ。この国でマーナ語は使わないみたいだから』
ミラー会長の信用を得るなんて、とても難しい条件じゃないだろうか。
「会長、開発に来てくれるならめちゃくちゃ有り難いっすよ!? そんな難しい条件必要ねえんじゃ……」
ミラー会長はホークの話を手で静止する。
『オールビーさん、ここの二人は採用試験を高得点でクリアした新人です。貴女ならクリアできるでしょう?』
モナとグレンの方を指差して挑発的な発言をするミラー会長に、クロエは目を輝かせた。
『ふふふ、煽るのが得意なのねここのボスは! 勿論やるわ』
彼女が本当に来てくれたらとても頼もしいだろう。だけどミラー会長の課題をどうやってクリアするんだろう。
『条件もちゃんとクリアしてみせるわ。こっちに来たらモナと一緒に買い物に行きたいわね〜♪』
そう言ってクロエはモナの方に顔を向けて微笑んだ。ミラー会長にスパイかも、と疑われているというのにこの人はなんて楽天家なんだろう……。
それから酒も食事も進み一時間が経った頃、モナは頃合いを見てミラー会長に時間を告げた。
「悪いけど俺は先に失礼するよ。皆は楽しんで」
「はい! お疲れ様でしたー!」
「ご馳走様です!!」
『ボスお疲れ様〜!』
クロエもいつの間にかミラー会長をボスと呼んでいた。
モナは店の外に出てミラー会長を見送る。
「あの、クロエさんは本当に採用になる可能性あるんですか……?」
「優秀ならな。どうせ向こうの商会が手放さなければ直ぐには来れないだろ。じゃあ、お疲れ」
そう言って、少し疲れた顔のミラー会長はそのまま帰路に就いた。
そしてミラー会長の言う通り、クロエが採用試験を受けに来るのはまだまだ先の事となった。
会食は皆が食事を終えて、各自解散となった。
『セドリック、次行くわよ〜』
『オールビーさん滅茶苦茶酒強くないです!?』
『地元では皆、ダークウォーロックを飲むからね!』
『え〜あんな強いのを!?』
この後、皆は別の店で飲むと言うのでモナも行こうとしたが、グレンに阻止されて店先で別れた。
「モナは自転車だから飲み過ぎたらダメでしょ。さ、途中までだけど送るよ」
「はーい……残念だなあ」
「皆に合わせて飲みたいなら、もうこの辺に引っ越すしかないね」
それは最近モナも考えてはいた事だった。
「それね、時々考えるけど実家が快適過ぎてなかなか出れない……」
「家族の皆、仲いいんだったっけ」
「うん。親はラブラブだしね〜」
そう話すモナが家族の事を好きなのが窺えて、グレンは優しい眼差しを向ける。
「そう言えば週末会えるんだった。楽しみにしとくよ」
週末は実家のヘアサロンでグレンのヘアカットを予約してあり、その後に図書館に行く予定になっている。
グレンは少し酔っているのか頬の血色が良い。いつも笑顔の彼が、真面目な顔をしてこちらに視線を向けた。
「今日ずっと会議室で会長と話してたでしょ。何話してたの?」
精霊の祝福について話していた時の事だ。ここだけの話だと言われたし何と答えればいいだろう……。
「言えない事なんだ」
モナが答えないからグレンに伝わってしまった。
「うん……、オールビーさんの事もあるんで話せないんだよね」
「そっか……」
仲間外れにされた子供のような表情で見つめるグレンに絆されそうになったが、話す訳にもいかない。
グレンもミラー会長の事が好きでここに入ったんだし、ミラー会長の話を聞きたいのだろう。秘書の仕事上、自分の方がミラー会長といる時間が多くてモナは申し訳ない気持ちになる。
ミラー会長が軍にいた話や時々サイモンに怒られている事を話すとグレンは面白そうに聞いていた。別れるまでは、会長に口止めされてない話をして盛り上がったのだった。
〈精霊の祝福/終〉




