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18 金銭的損失か時間的損失か

 帰社すると、トゥーリは映像技術の売買契約を既に終えていた。

 トゥーリは懐が暖かくなって大喜びしていたが、本当に理解して売ったのかモナは他人ごとながら心配した。


「ところでトゥーリさん。初めて会った時と何故今日はこんなに印象が違うんでしょう?」

「よく変装するからですかね! 前回は〜嫉妬に狂う女記者って設定だったかな。今日は好奇心旺盛な探偵少年ですね!」


 何だろう、その嫉妬に狂う設定は……。


「その、嫉妬設定は何の意味が?」


 トゥーリは明らかにギクッと驚いた表情を見せた。

 まさかあのネタの為とはモナに言える筈もなく、演技の練習の為に色々自分でキャラクター設定しているのだと言った。


「演技とは思いませんでした。……役者さんなんですね」

「へへへ、それほどでも」


 嬉しそうに笑いながら契約書をニヤニヤ見ているトゥーリが手帳のような物を落とし、モナはそれを拾った。中身が開いて見えてしまったのだが、それを読んで動きが止まった。



 ――節のある大きな男らしい手が、モネの腰を抱きとめた。


『モネ、黙って俺のものになれ』

『ミララ会長、ずっと傍に置いてください……!』


 ミララは自分のデスクにモネを押し倒すと深く口付けし、そのまま首筋に唇を落とした……。


『あ……』


 ミララの手が下半身を這い、その指が彼女の……(※規制)


 その時、まだ休憩室に残っていたセドリーがその現場を目撃してしまう。愛するミララ会長が秘書を抱いている。そんな現場を見てしまったセドリーは嫉妬に狂い、モネを貶める手段に出るのだった……。


 若者の憧れる華やかなメラー商会は、愛憎渦巻くドロドロの世界だったのだ――。



 という文章がこの後何ページにも渡って続きが書かれていて、使われている名前にもモナは引っかかるものがあった。


「ななな、何ですかこれっっ……!」


 モネという秘書が女記者の嫉妬によってスキャンダル記事を書かれ、困らされるシーンもある。……ん?

 半分以上は生々しい情事が赤面するほどリアルに書かれており、モナはそれ以上読むことが出来なかった。


「わーっ! 勝手に人の書いてる小説見ないでくださいっ!」

「ちょっとあの名前……! 如何にもうちの従業員らしき名前でしたけど!? モネってまさか――」

「違います! 違います! ぐーうぜんだから!」


 その後、しつこく問い詰めて聞き出したが、この小説はアマチュア雑誌に掲載されてる三番目に人気の連載小説なのだそうだ。今現在、トゥーリは一位を狙って執筆中らしい。

 そしてミラー商会ではこの小説を黙認しているという。信じられない。



 セドリックが買ってきたそれは今、休憩室に続刊が置かれている。

 モナは恥ずかしくて一度も読むことは出来なかった。


「あー、俺とうとう会長と一つになっちゃうよ。しかも俺が攻めよ?」


 お腹を抱えて声に出して笑うセドリックに、リロイは口を押えながらウワーとかウッソーとか声を漏らしている。

 フィクションとはいえ、皆は自分が辱められる内容を読んで訴えようとは思わないのだろうか。よく平気で読めるなとモナは内心思いながら、恥ずかしいので自分は関心がなさそうに振舞っていた。


 ちなみにグレンは一度も小説に登場していないらしい。狡い……何故。




 被害届を出して四日後。犯人が捕まったと一報が入った。

 犯人はここの採用試験に落ちた女性の恋人らしいと、ミラー会長が教えてくれた。モナが先日確認した犯人の後姿は確かに男性だった。


「本人は関わっていないんですかね?」

「試験に落ちて泣く恋人の為に嫌がらせしたと自供してるらしいが、犯行指示したかはわからんな」

「……完全に無関係な赤の他人だったんですね」

「グレンが撒いた精霊結晶の粉も犯人の靴に付着してたらしいぞ。ずっと一人になるまで見張られてたんだよ君」


 見張られていたと思うとやはりゾッとする。


 モナは無関係な赤の他人の嫌がらせに嫌な思いをさせられていたことに腹が立ったが、もうこんなことは起こらないと安心出来ることの方が大きかった。

 グレンが一緒に帰ってくれていたので、酷いことにならず済んだのかもしれない。酷いこと……あまり想像したくない。


「私が嫌になって辞めるのを狙ってたんでしょうか。私が辞めたってその女性がここに入れるとは限らないのに……」

「犯人の心理なんて知らなくていい。それに、嫌がらせに遭ったくらいでそんな簡単に辞めさせる訳ないだろ?」


 と、にっこり笑うミラー会長。クソ忙しいのに何言ってんだ、と言いたいのだろう。

 入ったばかりで辞める時のことなんて考えたこともないが、それはきっと遠い未来の話だ。その時にはきっとここも従業員がいっぱいいるだろう。



 この事件はその日の夕方には、サロニア出版の方で記事になっていた。トゥーリが書いたのだろうが少し盛った内容になっていて、まるでドラマのように書かれていた。

 最初は秘書枠の不正採用という記事を書こうとしていた人なのに、不思議と彼女に対する怒りは湧かなかった。



「ダメになったスーツ代含めて損害賠償を請求する?」


 ミラー会長がそう提案したが、モナはそのつもりはなかった。


「いえ、もういいかなって思ってます。これ以上関わりたくないですし、スーツくらいまた買えますから」


 お給料は十分もらっているし、困ってはいなかった。


「やられたままで腹立たない? やられた分やり返そうって気持ちくらいあってもいいと思うよ」

「私は会長みたいな考え方は出来ませんよ。取り敢えずもう終わったんですから、これからは仕事に集中したいです」

「本当にそれでいいのか? 諦めるの?」


 ミラー会長は納得いかないのか食い下がる。彼は経営者だから損失は取り戻したいと考える人だ。

 だが、モナの中で諦めるというのは少し違っていた。相手に無駄な時間を割くのも損失だと思っている。もうこれ以上、無駄な時間を使いたくなかった。

 

 また、今回のことで一つ自覚したことがある。それは多くの人が羨む職場にいること。多くの女性が就きたかったポジションにいるということ。その優越感に浸ることなく堅実に仕事をしたいとモナは思った。


「面倒なら代理人を立てるけど?」

「会長、もういいじゃないですか」


 サイモンに止められて、やれやれといったジェスチャーをするミラー会長。

 そんな二人を見てフフッと笑みが漏れた。部下を思って言ってくれるミラー会長には勿論、感謝している。



「モナ、もう定時だよ。帰ろ」


 声のした方に顔を向けるとグレンがもう帰る準備をしていた。


「あ……仕事全然進んでない。もうちょっとやってから帰ろうかな」

「いつも朝早いんだから明日やればいいでしょ」


 グレンに急かされて渋々帰り支度をする。


「そうそう、モナちゃん。明日やれることは明日に回せばいいよ。お疲れ様!」

「そうしろ。お疲れさん」

「はい、それではお先に失礼します!」


 サイモンとミラー会長に促されて、グレンと事務所を後にした。




 二人が帰った後、サイモンは笑みを零す。


「グレン君はマイペースですねえ……」

「アイツ肝が据わってるからな。俺にもズバズバ言うし……。あれでもいいトコのお坊ちゃんだもんなあ、アイツ」

「ご子息と言えど、しっかり鍛えてあげないといけませんねえ」

「勿論そのつもり。……さて、今日は帰るか」


 ミラー会長は席を立ち、デスクを片付け始める。


「珍しいですね、早く帰るなんて」

「ペトロネアがうるさいからな。明日やるよ」


 と言うと、サイモンは笑った。



 この日、事務所の照明が消えるのはいつもよりも早かった。



〈悪意/終〉

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