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20年後

作者: 三雲倫之助

遊び人・正和が生前唯一したよいことが地獄から此の世に戻される理由となる。

    二十年後

        作・三雲倫之助   

   一、僥雲

 

 正和は幼少から増せ、女の体に興味を持ち、湯屋を覗いては番台の梅干し婆に耳を引っ張られ、お湯をかけられ、詰られた。

 このために同じ年の者と遊ぶことはなかったが、友達が一人いた。

 渾名を抜け作と言い、八つになっても自分の名前が書けずに、いつも隣近所の悪たれ小僧に虐められていた。

「抜け作のバカバーカ、お前の名前を地面に書いてみろ」

 抜け作は右手に枯れ枝を持ち、名前を書こうとするのだが、どうしても書けずに、悔し涙を零す。それを見て、悪たれどもは抜け作泣いた、バカ泣いたと囃し立てる。

 そこへ正和が出くわした日のことであった。

「力也、また弱い者虐めか、何が楽しい」

「何だ正和、風呂でも覗いてこい。女の裸の何が楽しい」

「だからお前はガキだ、馬鹿を四人も引き連れて、たった一人の三郎をいたぶって恥ずかしくないのか」

「忘れてた、抜け作の名は三郎か、こいつ自分の名前を忘れているぜ、なあ、抜け作」

 力也は足で抜け作の尻を蹴った。

 ぷつんと切れた正和が力也に飛びかかり、そのまま倒れ馬乗りになって、右拳を挙げた。

 すると突如、抜け作が正和に抱きついて、泣き出した。

「我はバカだ。だが人を殴る奴は大嫌いだ、我は正和を我を虐めぬたった一人の友と思っていたのに。お前が力也を殴ればお前も力也と変わらない、人間だ」

 力也と四人の子分は呆気に取られ、抜け作を見た。あの弱虫でバカな抜け作が人を叱ったと呆れ果てた。

 その事が有ってから、正和は三郎に一目置いた。

 だが、大きくなっても、自分の食い扶持すら稼げないと見られた三郎はは、両親に九歳と四ヶ月で隠れるようにして、寺へ預けられた、貧乏人の口減らしだ。


 三郎は法名を受け、僥雲(ぎよううん)となった。

 僥雲は年を知らない、取らない、そして幾星霜の天の下、満願寺にて、来る日来る日も竹箒にて、せっせせっせと庭掃除、後で来た弟子らには先越され、見下されても笑顔絶やさず境内を夜明けに始まり烏が啼きて山の住み処へ帰るまで、汗を垂らして隅から隅まで、掃き清める。


「あれが般若心経さえも覚えられない、あの名高い僥雲で御座います」

「有り難いことでございます。

 それで我らも憚りの掃除も、この広い境内の掃除もしなくてすみます。

 そして我らは経を心置きなく学べます」

「それに付けても高が二百六十二文字の般若心経が覚えられぬとは、どのような頭か中を覗いてみたいものです」

「なんせ、僥雲様は茗荷が大層お好きで、夜な夜な厨房で喰らって居るとの噂で。だから覚えた先から忘れる始末、ざるに水は貯まらないのと同じです」

 高笑いして、二人の僧は僥雲が磨いた廊下を歩いてゆく。


 僥雲、境内を懸命に掃き清めて、空見上げればまだ日は高く、本堂へ、最近拝まない大日如来に、お目見えしたくて浮き浮きと足早に入り正座し手を合わせ、経を唱えようとしても、一字さえもが出て来ない。

「あー、情けない情けない、あー」

 と合掌し目を閉じれば涙が滲む。

 溜息をして目を開ければ、如来様の微笑、母の腕に抱かれ、うとうとうとと眠り込む。まるで雲の上に白蓮の花が咲き誇り、葉に一匹の蝦蟇蛙が止まり、なぜか全てが懐かしい。

 ご本尊に足を向け大の字に眠りこける僥雲はそれを知らずに雲の上で幸せの絶頂に酔い痴れている。 

 それを目に止めし小僧、一目散に廊下を駆け走り、住職の手を取り、本堂へ、本堂へと急ぐ。大日如来のご本尊に非礼も非礼、それも極まり足を向けての惰眠ぶり、鼾までグウグウガーガーグウグウガーガー。

 住職は烈火の如く怒り、顔を真っ赤にし、赤鬼となった。

 どしどしと畳を踏みつけて近寄が、僥雲は楽しい夢を見てぴくりともしない、住職は手に持った扇子を振り上げて、僥雲の額を二度三度と叩き付けた。

 僥雲は跳ね起きて目を見張れば、住職の鬼の形相が目に入り、青ざめてぶるぶる震え、拳を握り涙が零れ落ちる。

「僥雲よ、僥雲。

 お前はよくもよくもご本尊の前で惰眠をば、惰眠を貪ったな、それもそれも重ね重ね足を向けて眠るとは、この寺の末代までの恥、獅子身中の虫。

 出て行け、即刻出て行け、この罰当たりめが」

 その夜更け裏門から追い出され、僥雲の托鉢の行脚が始った。

 僥雲は悪い頭で考える。

『お経の一つも覚えられない、我が覚えたのはお寺の掃除だけか……。

 仏のお言葉も覚えられずに、本当のバカ全開、だが我はどうしてご住職が怒ったのか分からない。

 如来様のお側で居眠りしただけだ、自分の仕事も終えてからの事だ、どこが悪いのかな、悩ましいことだ』

 頭を錫杖で叩くと空っぽの音がした、

「ナムダイニチニョライナムダイニチニョライギャーテイギャーテイハラソーギャーテイ、ボージソワカー、ボージソワカー」

 と軒先で念仏を唱えては托鉢すれば、

「この乞食坊主、人をなめるんじゃねえ」

 と怒鳴られて、水をかけられ追い立てられる野良の犬猫同然の仕打ちに気が滅入る。

 それでも、僥雲は怒らず、経の一つさえも暗唱できない我に怒り、後ろ姿は消え入るばかりである。

『我はバカだ、それを忘れてはいけない、覚えきれないお経を聞かされて、誰が有り難いと思うものか』

 凍てつく夜の底冷えに追われて急かされて打ち上げられた世間であった。

 あらゆる欲が、悲喜こもごもがごった返す、不夜城は曾根崎新地、破れ衣に痩せ細った僥雲は手を合わせ頬笑み己の念仏を上げた。

「あなた様は心が清らでございます、有り難いことで御座居ます」

「あなた様は心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

「このバカが、お女郎としっぽり濡れて、いい塩梅のところに、冷や水をかけるバカがどこにいる、犬ころじゃないぞ」

 と罵倒されては小銭を顔に投げ付けられ、

「心が清らかだと、ふざけやがって」と右拳を振り上げて、僥雲を拳で殴り、倒れた僥雲の腹を蹴りつけた。

 鬱憤晴らし去ってゆく男を、僥雲は何事もなかったかのように見て、立ち上がり店の客引きの前で女郎に合掌する。

「お金で買われる女郎への皮肉かい、ああ、そうさ、そうともさ、アタイはあばずれさ、男を取っ換え引っ換え、銜え込んでる性悪女さ、浮き世では浮かばれない身さ」

 と顔を僥雲の鼻先まで近づけて睨み付け唾を吐きかける。

「あなた様は心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

 僥雲は満身の力を込めて精一杯の我の経を唱えるのを止めなかった。


  二、師走


 ♪遊びせんとて生まれけん

  戯れせんとて生まれけん♪


「日は落っこちて又這い上がる、何が光陰矢の如しだ、遊んで一生、馬車馬みてえに汗をたらたらたらと、それでも同じ一生、遊ぶに勝るものはなし、遊ばにゃ損、損」

 と桝屋の正和ぶつぶつぶつと曾根崎色街で女の品定め、右を向いては又左。棚からぼた餅、瓢箪から駒か、場違いの紫の衣に白頭巾、

「年は三十の五つ六つ……。茹で卵の殻を剥いた白き艶のつるりつるりの李朝の白磁、これこそ地獄に美人、観音様の七変化、拝まなければ末代まで祟る。神々しいご尊顔、我を招いて、わざわざ極楽浄土から、アリガタヤ、アリガタヤ」

 ゆらりゆらゆら、着物の裾が揺れる。

()()()様、比丘尼様、我を救って下さい、どうか、我を救って下さい比丘尼様。

 此の生き馬の目を抜くこの世はまさに生き地獄、鬼ばかりで御座居ます」

 と忽ち、正和は土下座して両手を合わせ、

「南無観音菩薩南無観音菩薩」

 と声張り上げれば、行き交う酔っ払いが、女郎に浪人、犬猫までも立ち止まり、弥次馬の人だかり。

 面食らったのは比丘尼、気は動転し目を丸くして顔を赤らめ、一考する。

「悪人、なおもて往生を遂ぐ」と僧職で初めて妻を娶った親鸞上人のお声が胸に去来する。

『遊び人でも、人の子だ、善人なをもて往生をとぐ、況んや遊び人をや。

 さて、この男、救いを求める顔には見えず、苦悶の欠けらも見えない、だがたまに見せる笑い顔は赤ん坊のようだ。

 眉唾だが、胸がときめき出家前の十七八の、おぼこ娘にでも戻ったような、ほっといてはおけぬ心持ちに…。

 妙だ、実に奇妙だ、仏に帰依する此の妾がこんな遊び人に心を動かされるとは、南無三南無三……あー情けなや、情けなや。

 南無不動明王、南無大日如来』

「これこれこれ、人目も気にせず、大袈裟な、立ちなさい」と突っ慳貪に比丘尼は踵を返す。

 手応え有りと、正和はすっくと立ち上がり、着物裾を右手で払い、してっやったりのにやけ顔、涼しい顔で比丘尼の尻を愛でながら、のらりくらりと付いて行く。

『茶屋を三つも五つも通り越して、どこまで気を持たせるつもりだ、この尼さん。どこまで連れて行くきだ』

 郭の外れ、柳の下に差し掛かれば、

『応挙の掛け軸の幽霊、そう言えば、確か柳の下、美人ならそれもよし、だがお岩様となれば話が違う、足達ヶ原の鬼ババなら、取って喰われてこの世とお別れ。

 まだまだ気に入った女の千人切りまでまだまだだ、死ぬには未練がたっぷりある』

 正和は身震いし、痺れを切らし声かける。

「庵主様、 庵主様、どこまで行くのですか。

 このままでは唐土(もろこし)まで行ってしまいます、それどこころか、天竺までも行ってしまいます。我は死にそうで、膝が笑って、これ以上一歩も歩けません」

 右手を庵主の方へ伸ばせば叩かれて屈み込むしかない。

「全く情けない、ほんに情けない。

 今が男盛りの人が言うこことか、立ちなさい、早く立ちなさい

 ぐずるには大きすぎる、誰もお前を赤子とは思いませんよ。見え透いたウソも、ここまであからさまにされては、怒るきも失せて、呆れるばかりだ。

 さてさてお前は尻も軽いが、頭も軽いようだ、天は二物を与えずというが、悪しきところは幾らでも下さるようだ。

 しかし、それはお前が拾い集めただけで、天の罪にしては御門違い、罰当たりにしてはのたりのたりの極楽トンボ、此の世が楽しくて楽しくて仕方がないか」

「それはそれは、庵主様、縁有って、人と生まれて喜ばないで、どうするんですか。

 人の世は男と女二つっきり、手に手を取て仲睦まじく。

 これ世間の知恵で御座居ます」

「今にも死にそうな声で、

『一歩も歩けませぬ、庵主様庵主様』と弱音を吐いておきながら、べらべらべらとよく口が回ること。

 大風の風車よりよく回る、目が回って立ち暗みを起しそうだ」

「鈴を転がす美しいお声、そのように怒っては無駄遣いで御座居ます。

 愛別離苦、怨憎会苦のこの世、出雲の神の縁結び、大事にしなければ罰が当たります。

 縁有れば千里離れても相逢いて、縁無くば顔を突き合わせるとも相知らず。

 このように庵主様とお会いするは富籤に当たるより希なこと、天にも昇る心持ちで御座います。

 それを苦虫潰した顔では、天の道理が通りません。

 我は素直だけが取り柄の不器用な人間で御座居ます」

「ほんとに見え透いた嘘をぺらぺらと言う。

 閻魔に舌を抜かれ、地獄の煮え滾る釜に投げ込まれるぞ、それでもいいのか。

 どうして御仏に使うる(わらわ)を担ごうとする、言ってみろ」

「庵主様庵主様、滅相も御座いません。

 天地神明、この真心にかけて、我が観音菩薩歓喜仏(かんぎぶつ)庵主様にかけて誓います。

 この正和、嘘らしい誠は吐いても、嘘で固めたこの世でも、好いたご婦人に誠らしい嘘は口が裂けても言いません。

 たとえ地獄の鬼に煮え湯を飲まされようと言えません、絶対言いません」

 比丘尼は眉を顰め睨らみつけ、口八丁の色男、八割の疑心、蔑み有れど、二割の誠を垣間見て、男の顔を一瞥すれば、二割の誠が胸の奥で段々と膨らみ、頭はのぼせ、胸が締め付けられる。

 裏腹に心の綾の高鳴りは夢の心地の桃源郷か、極楽浄土の幻か、

『ああ恐ろしい、恐ろしや』

 と思っても、荒海の小舟の如し大波に揺られ揺られて右左、逃れたい心は有るけれど、一思いに飲み込んでくれと懇願する。

 身は一つだが、心は二つ、三つ四と千々に乱れて、女を捨てた比丘尼でも、男と女の此の世、男を見ずに生きられるものか。

 陰と陽、水と火はいずれ一つが欠けても森羅万象成り立たない。そうは言うものの、恋煩いの苦しさは嬉し悲しの万華鏡、寒けが背筋に、熱が頭に、

『こいつのために、こいつのために……艱難辛苦、艱難辛苦。

 あああ、妾を、妾をお試しか、試すきか』

「比丘尼が遊び人と並んで立てば、有らぬ噂を立てられる、町の外れに妾の庵がある、そこで話そう。

 お前は連れには見えぬように後から付いて来い、何の因果でお前のような浮かれ者と出会すのか、身震いがする」

 比丘尼は右手の数珠を握り締め数えながら、くるりと回り、たすたすたと歩き出す。


 竹里庵を跨いで入れば我が家も同じ、住み処を持たぬ浮き草稼業、遠慮をすれば、災い有り、天露凌ぐ今日のねぐらは無し。正和は突っ立ったまましげしげと見回して、

『我が転がり込んだ中で、一番粗末。

 せせこましい上に、すっからかん、これでよく辛抱するものだ。

 これでは河原の乞食(こつじき)までもが金持ちに見える。それなのに、不動明王だけが贅沢に漆塗りとは、これで腹の足しになるか、拝めば拝むほど腹が空く、腹が減っては女も追いかけられぬ、まさに苦行、難行…。

 女盛りに朝晩と称名上げさせ枯れ果てさせるとは何が仏だ、何が救いだ。

 へそが茶を沸かす、何をしに生まれて来たんだ』

「坐りなさい、泥棒も入らぬあばら屋、金目のものは有りません。

 的が外れたか、さっさと坐れ、目障りだ」

 正和、しぶしぶと囲炉裏の前にへたり込み、比丘尼を見れば、実に美しい、落ち着いた女性の色気が隠し味、浮世を離れた白百合の楚々とした香り、奥ゆかしき、まさに悦楽の極み、

『鴨が葱をおんぶして、これまた珍品、皿までも喰いたくなるこの艶めかしき姿、形。

 これを逃せば、正和の一生の恥、男の恥』

「庵主様、遊び人でも、家へ招けば客で御座居ます。

 世間ではお茶ぐらいは言わずとも出すのが礼儀で御座居ます」

 比丘尼坐りて、湯飲みから欠け茶碗になみなみと接いで出せば、ただの白湯、一口付けて、

「茶もないのですか」

 と口を開けば、

「僧でもない貴方にお布施するほど、此の庵は裕福では有りません。見てお分かりでしょうが、其方が布施をすれば別だが」

 と切り返せば、

「一期一会の逢瀬です、まさに白湯も甘露、結構なお点前で御座居ます」

 とにやける正和。

「これこれ、世辞は宜しい、耳に胼胝(たこ)ができる。

 其方は救って欲しいと言うた。その子細逐一、御仏と共に聞きましょう」

 正和、虚を突かれ、韋駄天のごとく悩み憂いを心の内に探し求めて東へ西へ駆け回っても爪の垢、ケシ粒さえも見当たらない。


  三、寒梅


 僥雲は破れ衣を身に纏い、木枯らし吹きぬ真昼の町に、夜は(くるわ)の辻の人込みに合掌し高らかに言い放つ。

「あなたさまはお心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

 誰も足を止めず、見もせず、足早に過ぎ去るばかりである。

「あなたさまはお心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

「あの阿呆坊主、見て御覧よ、今日も客も引かぬのに立ちん坊だ。

 何が楽しくて生きているのか。

 あたしが犬ころなら石の地蔵と間違えて、片足上げて小便引っ掛けるだろうさ」

 と白塗りのお女郎が連れの袂を引いて顎で指す。

「確かに阿呆で坊主だ、こんな所へ坊主が来るか、いかれている、危ないな」

「あのむさ苦しい阿呆坊主、この界隈ではおこま太夫よりも名が通っているんだ」

「でも、当たってるぜ。

 二人ともお心が清らかで、六根清浄、ロッコンショウジョウ。

 それでも止められぬ色恋の、一根、逸物だけの不清浄」

 女が笑い、男も釣られて高笑いして、懐から穴空き銭を取りだして、僥雲の眉間目掛けて投げ付けた。眉間に中たって落ちた銭を合掌し、腰を屈めて拾い上げ、

「あなたさまはお心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

 と僥雲が投げたる客に合掌す。

「気が触れてる」と二人して慌てて中へ引っ込んだ。

「何かに憑かれているんだよ、触らぬ神に、坊主に祟り無し、もう行きましょう」

「入るときには塩を撒け、忘れるな」


 女衒がこれでも喰えるかと、地べたに投げて呉れたお結びを懐に、僥雲は例のごとくに錫杖を打ち鳴らし、右手で祈り辻を巡る。

「あなたさまはお心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

 曾根崎遊廓、夜は賑わい真っ盛り、人の通りが二つに裂けて騒然として、罵声が飛び、どよめきが起こる人の群れ。

 木の枝を杖の代りに赤襦袢のお女郎が蹌踉めきながらゆらりゆらりとやってきた。

「あれはシャムの唐人女郎だ、生きたままでは無縁墓地にも捨てられないと、旭玉楼の女将が言っていた」

「シッシッシッ、こちっへ寄るな、化け物めが、あっちへ行け」

「ああ、何でも流行病(はやりやみ)とかで、誰も手が付けられないで、山にも捨てられぬとか」

「まったく迷惑千万、色街であの醜い顔を晒されたら、男共が尻尾を巻いて、逃げてしまう、こちらの商売、上がったりだ」

「この疫病神」

「疫病神」

「海に身投げしろ」

「そうよ、お前のような奴が生きてて何になる」

「帰れ、疫病神」

「シャムにとっとと帰れ」

 その前から現れた僥雲は立ち尽くし、

「あなたさまはお心が清らで御座居ます、有り難いことで御座居ます」

 と錫杖を放し通りの真ん中で合掌する。

 目も削げても僅かに見える両手合わせる人の手が、お坊様がシャムの女郎の片目に映る。

 女郎は慌てて伏して拝み、《我も人なれ》と枯れたる井戸の今生の一しずくポタリ、ポタリと乾いた無情の土の上。

「こいつは流行病だぞ、何が清らかだ、前世は犬畜生か、悪党だ、その因果だ」

「この女は罰当たりだ、だからこの様さ」

「そうだ、そうでなければ、どうしてこの女だけが、化け物にになる」

 けして怒らない僥雲が、錫杖を蹴り、数珠を引き契り、頭陀袋から経文を取り出して地面に放り、

「エエエ、エイ」

 と踏み躙にじる。

 弥次馬はどよめいて束の間怯み、又や罵倒を浴びせ唾を吐きかける。

「この女が清らかなら、お前の嫁にしろ」

「そうだそうだ」

「お似合いの夫婦(めおと)だぜ」

 と野次馬の怒号と手拍子が鳴り響く。

 僥雲は四方を鬼の形相で見回し、赤子のように微笑(みしよう)し、シャムの女郎を抱き上げて、()蛇ケ(ろちがぬま)の夜鷹の捨てた掘っ立て小屋に連れてゆく。

 僥雲は人の定めの惨さ、無常を思い知り、道すがら涙が頬伝い、女郎の顔に降り落ちる。

 ムシロで囲うあばら屋に冷たく入り込む隙間風、身も縮み底冷えの夜の底。

 女郎を横にすれば、「哀れ」と思うが、冷めたる心の奥底に、その醜さを知り、息を吸えば腐臭が鼻を突き、僥雲は一瞬だが、顔を背けた。

 どうしたことだろうか、病に倒れ、命果てんとする者を見捨てようとは人でなし、鬼畜に劣る。

『あなた様のお心は清らです、有り難いことで御座居ます』

 我が念仏に嘘は無い、これこそが我と人と仏を繋ぐただ一つの誠。このシャムの女子(おなご)の身の上が異国にて、我が身の上に降りかかれば、どうするだろうか、我が身と人を恨んでは果てるのみ。

 我はと問われれば、苦しみを避けて安穏と仏の甘露ばかりのみ追い求めて、貪り飲むは僧侶の恥曝し。

 僥雲は水を欠け碗で与え、腹も空いただろうと恵まれしお結びを口に放り、モグ・モグ・モグと弱り果てたるシャムの女子に口で溶かしたお粥をば口移しで飲み込ませ、気が付けば、流行病が移るのではとたじろいでいた。

『我は一字の経も覚えられないバカだが、人が苦しめば我も苦しむ、人が悲しめば我も悲しむ、抜け作と子供の頃から笑われた愚かな僧侶のバカの一念。

 たといこの身が腐れようと、恐れはしない、逃げない、悔やまない、あの世でも御仏のお庭のお掃除が出来るのを望むだけだ』

「ウレシウレシ」とシャムの女子は今のは際の片言のか細き声で呟き、

「我が好いた初めての人、抱き締めて下さい、幸せにして下さい、死なせて、死なせて下さい」

 と懇願すシャムの女郎の最後の願い。

 しかし、淫欲は僧の大罪、踏み越えれば、もはや僧侶でがない。

 怒りに任せて、経文を踏みつけてもまだ赦される。

 しかし「女犯(によぼん)」は、間違っても、やってはならぬ奈落への大罪だ。

『この女人、十四五で女衒(ぜげん)に売られた身の上だろう、家が貧しいからだ、この子に何の罪も無い。

 女子であれば国は違えども、好いたお人と添い遂げて、子をもうけ、笑いが絶えぬ家を作るのが夢だろうに、細やかな望み、それさえ打ち砕く、人の生きる営みの悲しみだ。

 今の際に生まれて嬉しと一度も言えずに死ぬには、この子は余りに若い』

 僥雲は横たわり女人の髪を掻き上げて、額を撫でて、頬笑みて見詰めれば、崩れし顔を通り抜け、在りし日の女人の顔浮かび上がり頬笑みて、

「あなたはめぐし美し」

 と抱き締めれば、女人は泣きて、幼きより教えられたるお釈迦様の御言葉をシャムの言葉で唱えながら、息果てる。


《遠いもの、近いもの、目に見えるもの、目に見えないもの、すでに生まれたもの、今より生まれようとするもの、生きとし生けるもの、全てが幸せであれ》


 女人が何を言ったのか、僥雲の悪い頭では分かるはずもないのだが、涙を流し喜びぬ、天竺のお釈迦様の声を、僥雲はこの耳で確かに聞いた、輝いても眩ゆくない大日のたゆたう光、それを聞いた。


  四、闇夜の烏


 庵の場所を知った正和は夜が白むと毎日庵を訪れた。

 庭の掃除に、垣繕いに、細々と頼まれもしないのに、竹里庵の小僧のように慣れぬ汗を掻く。

 甲斐甲斐しさを見せつける正和に、眉一つ動かさず、にこりともせず、一言の声も掛けず、見向きもせず、面壁八年ダルマのような妙信尼、正和の信心の猿芝居も三日坊主と見限っていた。

 だが、三日が十日、十日と四日と続く。それよりも何よりも、あの口減らずの正和がが道端の木石と同じように黙り通して、昼にはをすうっと消えて、朝目覚めれば、正和が箒の音が入り込む。

『あれ程の女好きが、よくぞ心を入れ替えたものだ。

 ああ、妾 の功徳も捨てたものではない、女三昧の正和も、御仏の手の平の中。

 上手な芝居で女を丸め込み、色里を騒がせようと、きんとん雲に乗りって地の果てまでも行ったと思っても、所詮は、手の平の孫悟空。

 見るがいい、あの色男が汗水垂らし、御仏のお世話に欲を忘れて一心不乱、それもこれも不動明王様の神通力、色欲の魑魅魍魎・百鬼夜行も観念し退散した。

 そもそも御仏に仕える比丘尼を何と思ったのか、高を括って、男を知らぬ尼なら簡単に落とせるだろうと不埒な心が命取り、運の尽き。

 クワバラクワバラ、悪鬼退散悪鬼退散、南無不動明王、南無不動明王』

 妙信尼、剃髪し僧門に入り初めての法悦に感極まりて噎び泣く。

『仮の宿にて極楽浄土に在るかのようだ、それに花を添えて迦陵頻伽も囀っている。

 女色を漁る強欲の餓鬼となり奈落へ落ちるはずの正和を救い上げて、来世は蓮の上に生まれさせる。

 浜辺で一粒の砂金を見つけるより希な幸運の持ち主だ、この正和は』

 我を忘れに有頂天で正和を窓際より垣間見れば、天にも昇るような心持ち

「とうとうとろり、とうとろり」

 御仏に抱かれる赤子のようだ、『南無不動明王、南無大日如来』

 妙信尼は己が信心は金剛不壊と信じ込んだが、川に浮かぶ泡は忽ちに消え、水の流れは絶えることがない、昨晩の水は今朝の水とは違うことに気付かずに諸行無常を忘れ去る。


 カーカーカーと甲高い烏の声で目覚めれば、胸がときめいて、戸を少し、ゆっくりと開けて覗き見る。

 正和が居ない、右に左に眼をばキョロリキョロさせるが、木枯らしが吹くばかり。正和はどうした、枯れ枝に烏が一羽、羽ばたきいて大声上げて、こちを見下ろし、カアカアカアアと騒ぐ。

 朝の勤行を行えども、気は漫ろで、

『お不動様の突き出た腹の醜いこと。

 何と忌まわしきことを妄想する、端たない、これでは宝剣で斬られて、火炎で焼き殺される邪鬼と同じ身の上になるのが落ちだ』

「南無不動明王南無不動明王南無不度明王」

『甲斐甲斐しく御仏にお仕えしたのは嘘偽りだったのか。

 正和はどうして来ない、正和の外道めが、仏を誑かすとは地獄へ堕ちるがいい。

 色男を気取り、自分を男前と自惚れて、殺しても飽き足りない畜生めが。

 御仏を足蹴にするとは、ああ、内蔵(はらわた)が煮え繰り返る』

「お不動様、お不動様、魑魅魍魎退散、魑魅魍魎退散」

 妙信尼は声張り上げて拝みながら気を失いバタリと倒れ伏した。

 正和の来ない日が三日四日と続き、妙信尼、一心不乱に御仏を拝んでも、春爛漫の山懐の立ち枯れの老木を己と重ねて外を見れば、緑の失せた荒野の茫々と寂しさのみが吹き荒れて物狂おしく読経の声が響く。

 待ち侘びて、待ち侘びて、疲れ果てた心身に夢見心地に微睡(まどろ)んだ。

 面妖な、面妖な象の頭が現れて、尊き姫を抱擁し、ことも有ろうに蓮の花、その上で淫ら・ふしだら、目も当てられない光景が…。

 いつの間にか、ある尼僧がうやうやしく跪きて瞑目し懇願し、呪詛する。

「ガナハイチ・ビナカヤ、ガナハイチ・ビナカヤ・ガナハイチ・ビナカヤ、ガナハイチ・ビナカヤ、ガナハイチ・ビナカヤ、ガナハイチ・ビナカヤ」

『外道の尼め、奈落へ落ちるがいい。

 外道の歓喜天で男を呼ぼうとは、相手は誰だ。

 七度、その者を呼ばなければ御利益はないぞ』とおどろおどろしい声が耳に木霊する。

「正和様、正和様、正和様……」

『正和とな、あの正和か』

 はっとして、目覚めればお不動様の御前にで、妙信尼は我に返りて泣き崩れた。

 誰有ろう、あの尼は妙信自身であった。

 妙信は動転し、色欲の霊を呪縛しようと死に物狂いで祈祷する。

 宙に刀印し九字を切り、転法輪印(てんぽうりんいん)外五鈷印(げごこいん)外縛印(げばくいん)結び、真言を発す、

「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャソワタヤ・ウンタラタカンマン」

 悪霊怨霊に不動金縛り施さん。

 しかし、妙信尼は術を使うには修業が足りない身の程を忘れていた。

 追い払ったと思ったら、あべこべに彷徨える霊を呼び込む羽目となってしまった。


「花の色は移りにけりないたずらに

  わが身世にふるながめせしまに」

《訳・花の色はむなしく移ろい色あせた

  私が何となく世の中を生きている間に

           詠み人・小野小町》

 鈴を転がす女人の声が聞え来て、奇っ怪な、摩訶不思議、荒野で歌詠む人の訝しくも切なく、胸痛み、妙信尼は涙を零す。

『これはこれは、六歌仙の一人、小野小町の詠める歌ではないか。

 思えば哀れな人だ、絶世の美女と褒めそやされて、独り身で老いては流浪の果てに朽ち果てた、哀れな女人の、不遇な人だ』

「わが身世にふるながめせしまに」

 三日三晩まんじりもせず、虚ろな妙信尼、ふらりふらりと庭に出て朝日を拝めば、枯れ枝に括られた文を見つけた。

 などては知らねど心急きて慌てて文を手に取りて開きて詠めば、

「世の中に絶えて桜のなかりせば

  春の心はのどけからまし」

《訳・もしこの世に桜がなかったならば

 春はなんとのどかになるであろう

        詠み人・在原業平》


 正和と記された文を、右手に握り締めれば立ち暗みよろりと庵に入り崩れ落ちれば、胸の高鳴りが増すばかりである。

『桜とは妾のことか。

 鼻持ちならぬ女が腐ったような奴めが、自惚れて業平(なりひら)の歌など書くとは、ああほんとに我の心を弄び掻き毟る、禄で無し、殺したいほど憎らしい……』

 妙信尼はそのまま伏して眠りに落ちた。


 一夜明けての夜もすがら、正和がのらりくらりと何食わぬ顔で蒔絵に螺鈿の重箱を風呂敷で包み、一方には徳利を下げて、そそくさと我が家のように何も言わずに入り込む。

 頬が落ちて青ざめた妙信尼を気に留める様子も見せず、重箱広げ、箸で妙信尼の口まで運んだ。

「お召し上がれ、妙信様、我は妙信様を忘れようと家に籠りて、鬱々と過ごし、気も触れんばかりで、今夜が今生の別れと永の暇を乞いに参りました。

 逢わずに去ろうと思ったのですが、一目一目、この世の天女を見て、心置きなく立ち去ろうと心に決めました」

 と喉を詰らせ正和は顔を両手で覆い嗚咽した。


《逢わぬ恨みは積もれども、

 逢わぬ恨みは積もれども、

   (まみ)えらば言の葉の無し》


 しんしんと雪降る夜に男と女、尼僧でも人であり女人なである、戒め破り、妙信尼、正和と一夜の契りを交わした。

 終わりのない恋をと思いつつ、千年も万年も続く夢を見る妙信尼であった。


   五、然りとても


 妙信尼は正和と一夜を過ごしたその夜から、明けて暮れても正和のことが付き纏い、尼僧の身が疎ましく、食も細り目も窪み、瞼を閉じれば正和の姿が浮かぶ、夢でもいい、

「妾と居て下さい」

 と着物の裾を掴み引き止めれば、脱兎の如く駆け去り、我に返れば正和はどこにもいない。

 正和は、正和はどこだ、何をしている、蝋燭の明かり灯して幾度も読んだ正和の恋の証の文、涙に濡れて字は滲み、正和の心変わりか、妾は見る影もなく、この変わりよう、

「妾を好いて逢瀬に来たのは浮気だったと言うのか。

 比丘尼の妾を弄び、嫌われず、憎まれず、忘れられた女子に成果てるとは、浅ましい、情けないと思っても、正和に一目、一目だけでも会いたくて、何をどうしていいのか、身を焦がし、いっそ燃え尽きて、死ねば、どんなにか楽だろう」


「うたた寝に恋しき人を見てしより 

    夢てふものは頼み初めてき」

《訳・うたた寝で恋しい人を夢見てからは

 会いたい時は夢でさえ、頼りにするようになった     

         詠み人・小野小町》


 何処からか、小野小町の歌がもの悲しく聞こえてきた。

 妙信尼はそれを耳にすると、にんまり笑って、夜の帳を引き裂く声を張り上げて、素足のままで竹里庵を飛び出して、目指すは曾根崎、浮かれ女を追い掛け回す正和、正和に会いに行く。


「思ひつつ()れば人の見えつらむ

    夢と知りせば覚めざらしものを」

《訳・恋い慕いつつ眠ったのであの人が見えた

 夢と知っていたならば、目覚めなかったも のを         

           詠み人・小野小町》


 ひた走る妙信尼、忽然と立ち止まり、空を仰ぎいで溜め息を吐き、からからと高笑いをする。

「妾は小野小町です、妙信尼ではありません、なんで今頃気付くのか、この粗忽者が。

 あー、そうとも知らずに、妾は在原業平(ありわらのなりひら)様をあの禄で無しの正和と思い込み、穴が有れば入りたいぐらいだ、なんたる失態、末代までの恥。

 その無礼に耐えかねて、きっと、きっと会いに来ないに違いない」


 曾根崎遊廓は人集りは絶えず、掻き分けて押し分けて、終に見つけたふらりゆらりの正和を、正和が右腕を両手で掴み、二度と離さぬ必死の覚悟で女子と思えない力で握り締める。

「ああああ、痛い、いきなり何をする、肝を潰すきか。

 さてはさては、お前さんは熊野比丘尼の歌比丘尼、勧進するは新普請ではなく、男の情け、男の情け。

 三十路四十路女の大年増が人目も憚らず、みっともないことを」

「この期に及んでお戯れとは……、業平様、業平様、お慕いしておりまする。

 千歳と百歳行きて越えたる剣が峰、逢坂の関、巡り合えたこの機会をどうして放しましょうか。

 遭えぬ辛さに、遭えぬ辛さに……、業平様業平様と満天の星の数ほどお呼びしても梨の礫、やっと会えた業平様……有り難や、業平様が今ここにいます。

 極楽は果ての果てと思っていたが、こことは知らなかった、ここは黄金の蓮華、西方浄土、極楽浄土、にございます」

「開いた口が塞がらぬ、これこれ尼さん、お人違いも甚だしい、我は誰に聞いても、桝屋の放蕩息子の正和で御座居ます。

 業平、業平とどこかの女誑しで御座居ましょうが、我は女に惚れられようが、怨まれる野暮な男では有りません。

 ええーい、もう手を放せ、手を放さないか」

 恋に溺れた者の命綱、放せと言われ放すバカなど居はしない、妙信尼、正和が振り払ってもスッポンのように喰らい付き、色街の野次馬どもの呆れて笑うのが目にも耳にも入りはしない、首ったけ。

『毒茸も一度喰え、痺れずなければ喰い道楽も極めずと、比丘尼を一人、摘んだが、この有り様、自慢の種にとやったことが、裏目に出て、これでは色男の正和が評判、地に落ちて世間の笑いもの、晒し者だ。

 この比丘尼の名は……、思い出せない、一度交われば、さらりと忘れるのが正和の色の大道。この世のしがらみ丸ごと捨てて日夜精進するは男の色道。

 比丘尼なら仏道に精進邁進すればいい、お前は髪を切った比丘尼だ、女を捨てた比丘尼だ、浅ましやおぞましや、知らぬが仏、見ぬが秘め事とはよく言ったものだ。

 南無八幡大菩薩南無八幡大菩薩……。

 この場をどうにかしなければ、河豚を捌くには、この正和が腕がまだまだ未熟であった、後悔先立たず』

「業平様、業平様、小野小町で御座居ます、お忘れですか。

 知らぬ振りは止めて下さい、見え透いた嘘、子供さえ騙されません」

 正和、これでは埒が明かないと諦め、まずは人集りから離れるのが得策と一計を案じた。

「小野小町でございましたか」

『言うに事欠き、自ら小町を名乗るとは、それもそれも本家本元、大元締めの小野小町とは、如何に世間知らずの俗世を厭う比丘尼でも、いけしゃしゃあと、いい面の皮。

 こういう手合は適当にあしらうが肝心要、本気で取合っては、こちらの身が持たない』

「さすがの眉目麗し、非の一点の打ち所無く麗しく、輝いて近寄りがたし、しかし、我は業平ではありません、天地神明にかけて桝屋正和で御座います」

 突如として妙信尼がけたたましく笑い声を上げ、にこりとした。

 その顔を見れば満面喜色、その裏に隠れた夜叉の執念が垣間見え、背筋に寒け、外面菩薩内面夜叉、正和、女に目覚めた三つ子より初めて女に身震いした。

「生々流転すれども、妾の目は節穴では有りません。

 寝寝ても覚めても在原(ありはら)様を業平(なりひら)様をお慕い申す女子で御座居ます。

 たとえ生んだ親を見間違うとも、好いたお人の業平様を見間違うことなど、有りません。

 猿を人と、お天道様を月と呼ぶようなバカでは有りません。

 知らぬ存ぜぬ頬被りして妾を追い払おうとするのは、男の浅知恵、見苦しい限りです」

 と妙信尼は色めいては正和にしなだれて懐に顔を埋めて泣き出した。それも束の間、正和をうっとりと見上げ、


「わびぬれば身をうき草の根を絶えて

  誘う水あらば()なむとぞ思ふ」

《訳・この世がいやでわが身が厭わしくなり

根のない浮き草のように、誘う水があるならば、行ってしまおうと思います

      詠み人・小野小町》


 色街の人集りを憚らず、雅と思い、歌を吟ずるこのアマめが、顔からは火が出て背中に冷や汗、正和は立ち暗みして蹌踉めけば、妙信尼は(しな)を作りてたおやかに抱き留めて右肩貸したその腕で正和を、

「逃してなるものか」

 としっかりと抱かかえ込み、びらりしゃらりとびらりしゃらりと歩き出す。

 粋で通した色の道、薮から棒にこのアマが、赤恥かかせ見せ物に、さぞや今宵は曾根崎遊廓の寝物語に、

「あの正和が……」

 とあれやこれやと笑いの種に盛り上がり、明日からは我の庭を頬被りして人目を避けて、忍んで通う女の宿か、一世一代の恥、不覚、汚名を晴らす手だては有るのか、色の道。

 正和の堀は埋められ火矢は飛び交い、女道の城は燻り始め落城寸前、切羽詰まって閃いた一計は起死回生の汚名返上、伸るか反るかの、乾坤一擲、大ばくち。


 妙信尼を連れて行ったのは九日前に托鉢僧と流行病の女郎が抱き合って死んだ場所、評判の掘っ立て小屋、シャムの女郎は病で死に至り、托鉢僧は餓死との噂、都雀があれやこれやの大騒動の大舞台に連れ込んだ。

「業平様、いつからこのような趣を愛でるようになされました」

「小町殿、一風変わっておりますが、枯山水、永遠の逢瀬の交情の秘儀媚薬のようなものです」

「それに付けても、寒さが身に染みます」

「それもそのはず、十日ほど前にシャムの女郎と托鉢僧が抱き合って、冥土の旅へ出向いた所で御座居ます」

 正和、殊更ににやけ笑い、妙信尼の胸など撫でて話すが、果たせるかな、愛想尽かしを、肘鉄砲を見舞うどころか、よなよなと正和にしなだれ崩れ、目は潤みてらんらんと赤々と輝き、恐れを首ったけの有様、有頂天。

『これで比丘尼か、比丘尼か』

 と正和胸が内で舌打ちするのが関の山。

「我は二人を見ん。

 哀れシャムの女郎は何の因果か、流行病にて顔はおどろおどろに崩れはて見る影も無い。

 一方僧侶はなぜか懐かしいと覚えたが、思い当たる節はなく、我と同じほどの年だが窶れ果ててはいるものの、微笑して女郎を暖めるがように死に果てたとか。

 寒さに凍え青白き顔になるはずが、薄紅をさしたように様にて生きているようだった。

 弥次馬共はただ面白がって騒ぎ立てるばかりで、我は

『この二人、手厚く葬ってやれ』

 と銭を後ろから投げ入れれば、皆も釣られるように投げ入れた。

 南無大日如来南無大日如来」

「それはそれはよいことをなされた。

 陰徳有らば余慶有りと申すに、妾とここでこうしておられるのがその御褒美でありましょう。

 業平様、結ばれるべくして結ばれる、縁深きのこの逢瀬、妾は幸せ者で御座居ます」

『業平め、業平め、男の風上にも置けぬ奴、こいつにどのような仕打ちをした。

 色恋は別れ方が至難の技、それをせずに、頂くものだけ召し上がり、いけしゃしゃあと(けつ)を巻くって逃げ去った。

 煮え湯を飲まされたようだ。

 その尻を拭うのはこの我か』 


『如何に歌に長けたる才女でも、事も有ろうにいざしっぽりという時に、歌など詠まれては、如何に雲の上のお公家と雖も、蛞蝓に塩、立つものも立たたん、業平のバカめ、へんちきな癖など付けおって、立つ鳥跡を濁さずの礼儀も知らない、業平、煮ても焼いても喰えねえ穀潰しだったに違いない』

「業平様と妾とは空に在りては比翼の鳥、地に在りて連理の枝。

 これからは夢でなくとも会えるのです、ほんにほんに有り難や」

 本意ではない再びの契り交せし正和は、妙信尼に背を向けて狸寝入りの高鼾。

 口惜しや情けなや、女子に取りて出来ぬ堪忍、緒が切れて、憎し可愛や業平様、この身死しても添い遂げぬ、衣の袂弄りて紙の包みを開けたれば、トリカブトの丸薬が二つ並んだ紙の上。

 一つ取りて口に含みて、正和が顔、右手で掴み引き寄せて、口移しにて飲ませれば、暫し苦しみて、息が切れるのを見届ければ、妙信尼の顔が綻びて、正和が傍らに横たわり、一粒の丸薬を飲み込みんで正和が手をしかと握り締めて目を閉じた。


    六、白鷺


 幾千万の色取り取りの花びらが舞い落ち妙なる音と平安の芳香が煌めいていた。

 釈迦如来が平伏す僥雲を立たせ、訊ねた。

「何を案ずるのだ、そちは悟りを開いた、現世に未練など無かろうに」

「滅相も御座いません。

 あの哀れなシャムの女子は何処へ行かれましたか、お釈迦様」

「あの子は色欲穢土の苦界(くがい)より咲き出る白蓮の花、地獄に堕ちようはずがない」

「そうでございます、そうでございます。

 親兄弟のために我が身を沈めたる、健気な子で御座います」

 僥雲は涙を零し泣き止まず。

「僥雲よ、悟っても泣けるのか」

「我は三国一の愚かな僧で、悟りなど開けるはずもありません」

 釈迦如来、微笑し、僥雲を一瞥し、足下に右手を垂れば、水の波紋の如く緑の地が広がれば田畑が見えた。

 田を耕す父と男児二人有りて、顔綻ばせ苗を植え、暫し手を休め、共々に東の空を仰ぐ。

「僥雲よ、あれがあのシャムの女人の親姉弟ぞ。

 田を買い、家を建て、二親も、二人の弟も腹を空かせる事もない。

 飢えた獅子に我が身を与えたる兎に勝る功徳をあの女人は積んだ。

 我は女人に真っ先に訊ねた。

『そちの願いを成就させん、それを告げよ』と

 女人答えて曰く、

『我と果てしお坊様を蘇らせ給え』

『そちはあの僧は地獄に堕ちると思いしか』

 女人曰く、

『あの方は慈悲深き(ひじり)で御座います』

『ならば、そちの願いを告げよ』」

 僥雲よ、あの女人は極楽浄土に行けしも、我が古里へ飛び立つ翼を望み、叶えられた。

 あの水田を見るがよい」


 田に入りて、親子三人が交わす言葉が響く。

「お父、姉さんは東の国で幸せになっているよね」と兄が言い、

「当たり前だ、姉さんはお金持ちに嫁いだ。だからこの田んぼも買えた」と弟が答え。

「そうだ」と答え、父は再び東の空に合唱し、涙が零れ落ちた。

 その空に、白鳥出でて天女が如く飛び舞いて、田に降り、餌を突きて、三人の父子を、向こうに庭で赤子をあやす母を見ん。


「神妙なお子で御座います」と僥雲は白鳥に向かって合掌した。


  八、白蓮


 正和と妙信尼は死生をさ迷って夢を見ていた。

 森の中は昼になってもなお薄暗く、苔に覆われ瘴気を放つ大蛇ヶ沼は静まり返っていたが、俄にけたたまし蝦蟇の鳴き声が耳を突く。

「クワックワッグワッグワックワックワッグワッグワッ」

 沼は縁で大岩の上に白蛇がとぐろを巻いて一匹の一際大きイボ面の男蝦蟇を昼夜を問わず赤目らんらんと睨み付けていた。

「怨んでも、憎んでも、一度は慕ったお人にて、一度は慕われた我が身、今一度聞きまする。

 業平様はこの小町が好きでは御座いませんか。

 妾の思いを受け止めるならば、醜きイボの蝦蟇より元の姿の業平様に戻して上げましょう」

「何度聞こうとも、嫉妬深きお前なぞ、誰が好きになるものか、それにお前は小野小町ではなく、あばら屋の庵の比丘尼、妙信尼ではないか。

 業平様、業平様と猫なで声で呼ぶのは、臍が茶を沸かす、我は桝屋正和でっす、人違いして、

『お慕い申すしておりまする』

 など気取った女房詞でよく言えたもの、開いた口が塞がらない。

 一昨日来来い、このオカメヒョットコ」

「よく言った、妾も満足じゃ、そちが自慢のその男前、忘れ召されたようじゃな、水面に映る己の姿を見るがよい、いい気味じゃ、いい気味じゃ、醜き蝦蟇のままでいればいい。

 妾は楽しゅうに面白うに見物しておりまする、勝手になされ」

 正和、蛙の面に水とばかりに浮き草より飛び跳ねてすいすいと軽やかに一泳ぎして隣りの草へ這い上がり、()蝦蟇蛙に身を擦り寄せて、

「クゥクゥクゥ、キッ・キッ・キッ」

 と声かける。

(あね)さん、お一人で、あなたみたいなベッピンを放って置くとは、ここの沼の男の目は節穴か。

 絹のイボの滑らかさ、その大きな目、星が二つ三つと輝いて、吸い込まれんばかりです」

「そうだろね、ここの野郎はいい女には声もかけきれぬ、意気地無しさ、お前さんは見どころが有るね」

 二匹とも意気投合し、切なき甘き呻き声、浮き草の揺れつ浮きつ沈みつ交わった。

 疲れを知らぬ蝦蟇蛙、正和は次から次と浮き草へ泳いで渡り、雌蝦蟇蛙をやすやすと口説き落として、しっぽり濡れて、男の極楽、満喫し、行き先々でご馳走の歓待、痒きところに手が届く、情の深さの至れり尽くせり蝦蟇の浮世の心地よさ。

 一部始終を喰い入るように見ていた妙信尼は怒り込み上げ、怒髪天を衝き、気炎を上げて、蝦蟇の正和に巻き付けて殺さんとぐいぐいと締め上げて、正和の骨は軋み息絶えようとする。


 眼下をば遥か見下ろす白蓮の花の上、破れ衣の僥雲と釈迦如来、二人並びて佇んでいた。

「僥雲よ、あれが女誑し正和の慣れの果て。

 白蛇となった妙信が蝦蟇となりし正和を絞め殺し、飲み込めば、二人ともこの中有(ちゆうう)より現世へ帰ることはできない、奈落の底へ落ちるのみ。

 如何にせん、僥雲」

「女子を抱きし、この破戒僧の僥雲、お経の一つも諳んじない我でさえも奈落へは行かず。

 ならばお慈悲を二人に施し給え、生きて娑婆に戻し給わんことを願い奉る」

「妙信を庇うは同じ僧籍にて分かる、だが正和は色を好んで、比丘尼を色香に迷わせたのじゃぞ。それに郭ではそなたは気付いたが、正和は竹馬の友のそなたを忘れた薄情者ぞ。

 汝、何故(なにゆえ)、正和を庇い立てす、僥雲よ」

「色を好むは罪なれど……。

 しかし、しかし、あの正和は縁もゆかりも無い流行病の女郎と乞食坊主の心中に、供養してやれと先駆けて金を恵んだのは正和で御座います。

 竹馬の友の抜け作の三郎だからではありません。

 如何に見栄張るためにやたっとしても、見ず知らずの死人の毒矢を真っ先に抜いたのは正和で御座居ます。

 それに比べれば、女も人でございます、俗人の女好きは取るに足らぬ些細なことで御座居ます」

 と僥雲は五体投地して釈迦如来を拝み奉り、

「二人をお救い給え」

 と懇願した。

「僥雲よ、

 世間はお前のような尊い聖が現れようと気付きもしないで、却って蔑みのみを呉れるのみ。

 僥雲よ、さぞやお前も口惜しかろう、次に生まれし時は文殊菩薩の知恵具わりて、弘法大師にも勝る知恵を授けよう」

「それはなりません、なりません。

 我は七度生まれようとも、愚かな僥雲で、辻に立ちて皆に伝えたいので御座居ます

『あなた様は心が清らで御座居ます、有り難い事で御座居ます』と」

「僥雲よ、お前の私欲無きこと海の如きを知りて、その菩薩の願いを叶えなければなるまい。

 僥雲よ、蓮の花びらを二枚取りて放下(ほうげ)せよ、そうすれば、二人の口に入りて、蘇り、互いを忘れん」


   九、浮き世

 

 手を取りて眠りより目覚めた正和と妙信尼。

 見渡せば掘っ立て小屋の中、妙信尼は驚き怯んで退いて、遊び人の出で立ちの正和を毛虫の如く睨み付けた。

「比丘尼を手込めにしようとは罰当たりな碌でなしが」

 と正和の頬を平手打ちし、頭巾を被り、衣の乱れを右手で直し、そそくさと辺り憚り去って行く。

 残されたは正和一人狐に摘まれた。

「縁起でもない、この小屋に、どうして我が抹香臭い比丘尼などとしけこんで、神や仏を頼らないのが色の道、どうして我がここに、奇々怪々」

 うんうんと考え込んでは見るものの、埒は開かずに靄の中、験を直しに昇旭楼へと小屋を出て、伸びを一つして、歩き出せば、びらりしゃらりと大店(おおだな)のお内儀が、正和気付かない振りで通り過ぎ、声をかける。

「お待ちなされ、御髪(おぐし)から簪が落ちました」

 見え透いた嘘を吐き懐から銀細工の簪を取り出して近づいてゆく。


 遊びせんとや生まれけん

 戯れせんとて生まれけん

       ― 了 ―


参考文献

 福武古語辞典 別冊

「名歌名句鑑賞事典」

福武書店



幼なじみの別れから、出会い、真の思いやりとはと抜け作・僥雲ぎょううんが仏を諭す。

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