変態と動物園
部屋を出ると、華恋と蓮人が逃げていくのが見える。
俺は家の廊下を走り二人を追いかけていく。
蓮人はすばしっこく逃げていき、大して逃げる気がない華恋は捕まえることができた。
「おいおい逃げるなよ」
「だって、お兄ちゃんが女の人といちゃついてるから気になっちゃって」
おいこら妹よ。その言い方はないだろ。
「別に俺はイチャついてるわけじゃないぞ、華恋。お兄ちゃんはただ……ただ――えっとぉー……」
言い訳が思いつかない!
いかん、兄としての威厳が……。
「お兄ちゃん……そんなお兄ちゃんも華恋は好きだよ!」
妹に気を使われる兄……。
やめてくれ華恋。そんな顔で俺を見ないでくれっ!
不甲斐ない。兄として不甲斐ない。
妹に気を使わせるだと……。
ふざけるなッ!
妹のためには、あのストーカー癖を持つ変態を我が家から追い出さなければ!
客人をもてなすべきのなどという常識など、シスコンである俺の前には無意味!
さあ、いざ追い出しにいかん!
「すぅーはぁーっ、すぅーはぁーっあ〜竹林くんの匂いだぁ〜。もっと嗅がな――」
「……」
部屋に入った瞬間、俺の服に顔を近づけながらその匂いを嗅いでいる凪咲と目が合った。
――見つめ合うこと数秒――。
「……ご、ごめんなさい! えっとこれは違くて、あの、ごめんなさい! じゃあまた!」
凪咲はそう慌てながら言うと、急いで俺の服を丁寧に押し入れの中に戻し、そのままの勢いで俺の部屋を出ていった。
その顔はりんごのように真っ赤に染まっていた。
とりあえず突っ込みたいところは多いが、なんであいつストーカーがバレた時よりも慌ててるんだよ。
感覚ズレてんなあ。
――あ、またストーカーと彼女予定の件を聞きそびれた……。
◇◇
翌朝。ベッドの上で目を覚ました。
今日は土曜日、部活は休みだ。
ゆえに――二度寝するのだ!
「お兄ちゃ〜ん!︎︎ お〜き〜て〜!」
「ごふッ!」
二度寝に移行しようとした瞬間、上に乗ってきた華恋によって現実に引き戻された。
時刻は八時。起きるには早すぎる。
「なんだよ、華恋。頼むから寝かせてくれ」
「動物園に連れて行ってくれるって昨日言ってたじゃん!」
「そうだっけ?」
あれ、忘れたな。
そんな約束したっけ?
「約束したよ!」
「ええー、でも眠いし……」
「おねがぁ〜い……」
華恋にうるうるとした目で訴えられる。
行くか行かないか、俺の選択はもちろん――、
「さあすぐ行こう、華恋!」
「お兄ちゃん大好き!」
行く一択に決まっとるがなッ!
◇◇
こうして来た動物園。
俺の両隣には、俺と手をつないだ華恋と、手をつなぐことを拒んだ蓮人がいる。
蓮人もいるということは、ただの子守の押しつけだろう。
母親め。あの人は母親をやる気はあるのだろうか。
いや、華恋と出かける俺への逆恨みか。
華恋と蓮人は 俺の内心などつゆ知らず、俺の手を離れ楽しそうに遊び始めた。
「見て見て、お兄ちゃん! キリンだよ!」
お兄ちゃんはキリンよりも華恋の方が可愛いよ。
実を言うと、俺は贔屓目なしにほんとに華恋は可愛いと思う。
くりっとした大きな目、俺と同じ黒色の長髪をツインテールにしている。なにより笑顔がまぶしすぎる。
聞くところによると、同い年の男の子を無意識に落としまくっているらしい。
怖い子!
対して蓮人は正直言って普通だ。
華恋に似た目元を除けば、基本的に俺に似た顔つきだからだろう。
華恋は母親に、蓮人と俺は父親に似ている。
文句なら親に言うべきだろう。
「可愛いね、あの子たち」
「そうだな。可愛いな」
華恋は動物を見て無邪気に騒ぎ、おとなしい蓮人はじっと動物を見ている。
一見華恋は好奇心が強そうに見えるが、実は蓮人の方が好奇心は強い。
今も冷静そうに動物を見ているようにみえるが、その目はなかなか見れないものを見ることができたことでキラキラと輝いている。
蓮人は華恋のアイドル化のせいで、少し大人びているだけである。
華恋はただ騒ぐのが好きなだけだ。
「いいね、子供は無邪気で」
「そうだな。無邪気なのはいいこと……え?」
――ちょっと待て。俺はさっきから誰と話しているんだ。
おそるおそる声のする自分の右隣を見やる。
「おはよう、竹林くん」
その声の主は、当然のようにたたずむ折川凪咲だった。
「おい、なんでいる」
「え、だって竹林くんの後を付いてきたらこの動物園に入ったから」
おいおいおい待て待て待て。
こいつ思いっきりストーカー宣言しやがった。
いや待てよ。ずっと俺を監視してたってことか?
「まさかずっと家に張って俺を監視してたのか?」
「いいや、そんなことしないよ。GPS使ってるの」
GPS、だと――。
こいつ、堂々と犯罪行為を……。
「あれ? 通報するかと思ったけどしないんだね」
自覚があるならやめろよ。
してやってもいいんだぞ。
「もういいよ。どうせそのGPSを探しても見つからないんだろ」
これはただの勘だ。
なぜなら、こいつならそんなばれるようなことをしないと踏んでるからだ。
あのストーカーの言い訳の仕方といい、したたかというか、嘘をつきなれてるというか。
というか昨日の件はスルーなんだな。
――あ、そうだ。ストーカーと彼女予定の件を訊かなければ。
「あのさ。なんでそこまで俺に執着するんだ? ストーカーの件とか、彼女予定の件とかさ。多分自意識過剰じゃないよなこれ」
「それは前も言ったと思うけど」
「それはごまかしだろ。本音を聞かせてくれ」
前にも同じことを訊いた。
だが、凪咲はそれを話が通じない風でごまかした。
今度はその手を使わせない。
「……言わなきゃだめ?」
上目遣いでそう言われる。
可愛い……。
いかん、だめじゃないって言いそうだ。
「だめだ。じゃなきゃ通報するぞ」
俺はスマホを出してそう脅す。
「……分かったよ」
凪咲は観念したように話し始めた。
「私ね、前に竹林くんに会ったことがあるの。覚えてないと思うけど」
残念ながら全く覚えていない。
こんな美少女と会ったことがあったら覚えてると思うけど。
「ほら、二月前に山越のガスド、行ったでしょ?」
二月前? 二月前といえば、平山と山越の招き犬でカラオケしたな。
その後に、同じビルの下の階にあるガスドで食事した覚えがある。
まさかその時にいたのか?
「その時に竹林くんの席の隣になったの」
「へー、全く気づかなかったな」
「うん、一人だったしね」
俺的にはその理論はおかしい気がするのだが。
普通一人でいる人のほうが目立つだろ……。
「なるほど、友達がいなかったと。そりゃ残念だ」
「違うよ! ちょっと事情があって一人で来てただけ」
その声を聞いた瞬間、茶化したことを俺は後悔した。
いつもより少し低い声を出したその顔には、これ以上深く訊くな、と書かれている気がした。彼女のその茶色がかった目が一瞬、暗く、冷たく、底冷えするような。
俺はそれを見て、これ以上訊く気になんてなれなかった。
「あ、そんな顔しないで! 悪いのは私だから。ええーとそれでどこまで話したっけ?」
一体凪咲の何が悪いというのだろうか。
さっぱり分からない。
「そのガスドの隣の席になったってところまでだ。で、なんでそれがストーカーに繋がるんだ?」
「そのときにちょっと会話を聞いちゃって。そのときの私、沈んでたから余計に竹林くんの言葉が響いちゃって」
「ふーん、なるほどね。俺その時なんか言ったっけ?」
あいにく覚えてない。
何か会話をしたのは覚えているが、詳しく何を話したか聞かれると――分からん。
凪咲は俺の顔をじっと見つめたかと思うと、
「教えないっ」
そう言って笑った。