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怒りとポリシー

「それってあのことを言ってるんだよな」


 凪咲が言ってることは俺のポリシーである『人に対して思いやりを持ち、みんなが幸せになるために行動する』のことだろう。

 みんなの中に俺が含まれてない、だと。

 ――当然だろうッ!


「うん、なんでよ。ともくんも一緒に幸せになるべきだよ」


「……ははっ、俺は十分幸せだよ。幸せハッピーさ」


「違うよ。そういうことじゃない」


「違くないさ。俺は埼玉に住んでいる限りいつまでもしあわ――」


「そうやって人を遠ざけようとしないでってことだよッ!」


 俺はいつも通り冗談で返そうとするが、怒鳴り声を上げた凪咲に遮られる。

 その顔は今まで見たことがないくらいの怒りに染まっていた。


「私が……私が、そんなことに気が付かないとでも思った? いつもそうやって冗談風にごまかして……。それで人を遠ざけてきたことくらい知ってるよ!!」


「……」


「人を遠ざけて、人を拒絶して、自分に嘘ついて、そんな生き方が幸せとは言えないよ! そんな、そんなことってあまりにも――あまりにも悲しいよッ!」


 凪咲は涙を浮かべながらそう叫ぶ。

 その顔には怒りやら悲しみやらが浮かんでいる。


「……別に悲しくない」


「でもさ。なんでよ……。なんでそんなにともくんは怒った顔をしてるの? 図星だから怒ってるんじゃないの?」


 顔? 俺が怒ってる?

 それに図星だと?


 ――プチリッ。

 俺の中で何かが切れたような音がした気がした。


「ああ、そうさ。怒ってるさ。お前が……お前が知ったような口をきくんじゃねぇッ! お前が何を知ってる! 何を知って言ってんだよッ! ふざけるなッ!」


 自分でも押さえきれないような怒り。

 今までため込んでいたものが吐き出されるように、不満が漏れ出てくるように、次々と怒りの言葉があふれ出してくる。


「そうだよ! 確かに俺の考えるみんなに俺は含まれてないさ。だけどそれで誰が損するって言うんだよ! 俺と関われば不幸になる! だから俺が我慢すればいいんだ!」


「なんでともくんが我慢しなきゃいけないの!?」


「そんなの当然だッ! 俺に幸せになる権利なんて――」


「あるに決まってるでしょッ!!」


 凪咲は今までにないくらい大きな声を出して俺の言葉を遮る。


「あるに決まってんじゃん! ないわけないよ! どうして勝手に決めつけるの! 少なくとも私はともくんに幸せになってほしい!」


「……」


「いいかげん人を遠ざけて生きるのを止めてよ。私知ってるよ。ともくんが人と話すのが好きなことくらい。女子とはともかくとして、男子と話してるときすごい生き生きしてるもん」


 俺の体が温かいもので包まれてくる。

 凪咲が俺に腕を回し、横から抱きついてきているからだ。

 豊満な胸の感触が俺の理性をゴリゴリと削っていくが、自然と悪い気はしなかった。


 そうさ。俺は人と話すことが好きだ。

 人と話すことで生きてるって、自分はここにいていいって思えるから。


 そんなことで自尊心を満たしているのが俺だ。

 このことも俺と関わる価値がないと思っている理由の一つだ。

 

 だが凪咲は、それを含めてそれでいいと言いたいのだろう。

 俺に幸せになって欲しいと。


「……なんでそんなこと知ってるんだよ」


 俺は知ってるくせにわざわざ訊く。

 答えなんか知っている。

 そんなこと訊く意味はない。


 ――でも……でも……どうしてもそのことを訊きたくて。

 凪咲が俺に幸せになって欲しいを言う理由が聞きたくて。


「私はともくんのストーカーだよ。ずっとともくんのこと見てるのに分からない訳ないじゃん」


 凪咲は俺の肩に顔を埋めながら言う。

 その表情を伺うことは出来ない。

 だがその言葉でなにかが腑に落ちた気がした。

 ここまで図星を突かれてる理由が分かったのが不思議と嬉しい。


「やっと認めたな。ストーカーだって」


「ごめんね、嘘ついて」


 やっぱり嘘だったか。


「許さん。絶対に許さん」


「えぇ〜。許してよぉ。ってそういう冗談風の話し方を止めてくれるんじゃないの?」


 凪咲は顔を上げ、俺の顔を見ながらそう言う。

 その口調と顔は、さっきまでとは違う柔らかいものだ。


「止めないさ。俺のこのしゃべり方はデフォルトだぜ」


 凪咲の目を見つめながら続ける。

 別に人を遠ざけるためだけにしてる訳では無い。

 これが俺の地なのだ。演技でもわざとでもなんでもない。


「大丈夫。ちゃんと俺の中のポリシーを変えてやるからさ」


「――っ。うん!」


 凪咲は一瞬驚いた顔を見せると、今までにないくらいの笑顔を咲かせた。

 相変わらず直視できないほどだが、俺もつられて笑顔にさせられた。


 これで今まで変えなかったポリシーを変える羽目になったというのに自然と俺の心はすっきりしていた。

 まるでこのときを待っていたかのように、本心では変えることを望んでいたかのように。


 いや、実際そうだったのだろう。

 ただ俺がその本心に蓋をし、冗談で誤魔化してきただけだ。

 自分に嘘ついて、それでも現状が嫌で、誰も自分を理解してくれないことが不満で――。


 俺が待っていたのは凪咲だったんだな。


『人に対して思いやりを持ち、自分を含めたみんなが幸せになるために行動する』


 俺はこの瞬間、脳内で六年ぶりに己のポリシーを変えた。

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