0-6 ダンジョンのボスと藁の腕輪と700円
「大丈夫か!?」
「グオオオオオォォォ!」
とっさに叫んだ俺の声は、巨大ネズミの咆哮によって消えた。
「――――!」
少女も何か叫んでいる。だがこちらには届かない。
俺が部屋に入ったとき、少女は巨大ネズミの横殴りをかわしながら青ネズミの喉元を切っていた。
それをどれくらいやっていたのだろうか。床にはおびただしい数の青ネズミの死骸がある。少女の顔にも疲れが見える。
「加勢するぞ!」
少女に飛びかかる青ネズミを1体鉄パイプで叩き落とす。
ぐしゃっと鈍い音がしたのを察知したのか、青ネズミの何体かが俺の方に意識を向ける。
「キイイイイイィィ!」
「かかってこい! こちとらネズミ殺しまくってて慣れてるんだよ!」
青ネズミが1体飛びかかってくる。それをいつものように横にした鉄パイプで防ぐ。
――が、強い。今までのピンクのネズミよりも明らかに威力が高い。
その力に圧倒され、背中から倒れそうになる。……が、
「うおりゃッ!」
すんでのところで右足を後ろに下げて踏ん張り、鉄パイプをネズミごと左へ振り払う。
そのとき、右側から青ネズミがもう1体襲ってくる。
両手で持っていた鉄パイプから右手を放し、素手でネズミを叩きつける。
右手が痛い。熱を帯びてきた。だがそれにかまっている余裕はない。
右手で叩きつけて床に横倒しになっているネズミの喉元に鉄パイプを突き刺す。
そして最後に飛びかかってきた残り1体のネズミをかわし、背中へ鉄パイプを振り下ろす。
少女の方を見てみると、6体いた青ネズミのうち4体が俺の方へきたために、青ネズミの処理は済んでいて、巨大ネズミの喉元へ短剣を入れようと試みていた。
だが、巨大ネズミの殴りつけの勢いが激しすぎて、近づくことすらままならない。
「――――――ッ!」
「グオアアアアアァァッ!!」
巨大ネズミの叫びと同時に、先ほどの大部屋にもあった壁の横穴から、新手が現れた。
青ネズミがさらに6体。
「くそっ、ここでも無限湧きかよ」
6体のうち5体が取り憑かれたかのように俺へ向かってくる。
ええい、こうなったら。
己の体を回転させて鉄パイプを振り回し、周囲にいたネズミ3体を吹き飛ばす。
そして1体が飛びかかってきた。先ほどの経験から、ピンク相手にやっていた防御は通用しない。それならば、こっちにたどり着かれる前に叩き落とす――
だが、次の瞬間右足に強い打撃が襲う。
「うおぁあ!」
青ネズミが1体、右足に飛び込んできた。
間抜けな声を上げながら俺は背中から床へ倒れる。そして、先ほど吹き飛ばした3体の青ネズミもいつの間にか起き上がったのか、5体のネズミが一斉に俺へ飛び込む。
ヤバい、倒されたことで意識が乱された。どうしよう、体が動かない。ヤバい死ぬ。ヤバいヤバいヤバい死ぬ助けて助けて助けて――
「ギイイイイイイイイイ!!」
青ネズミたちは奇声を上げたあと、突如意識を放り出したかのように力なく落下する。
青髪の少女が短剣で5体同時に切り捨てていたのだった。
「―――――、―――ッ!!」
「すまん、助かった!」
直後、俺たちの懐へ巨大ネズミが足音を立ててやってくる。
そして、巨大ネズミはその短い両腕で2人を同時に横へ吹き飛ばす。
「くっ!」
「きゃぁッ!」
2つの悲鳴が同時に響いた。
何Gあっただろうか。とにかくものすごい衝撃で壁に叩きつけられた。
そして倒れている俺たちのところへ巨大ネズミがその体格に似合わぬスピードで迫ってきた。
「避けろっ!」
とっさに少女を右へ突き飛ばしたあと、自身も左へ転がり込む。
そして、巨大ネズミは先ほどまで俺たちがいたところへ突進し、壁に激突。ドカーンとものすごい音がした。
壁にぶつかり少し怯んだ巨大ネズミへ、俺は鉄パイプを、少女は短剣をそれぞれたたみかけるように叩き込んだ。
ふと少女へ目をやると――全身がかすかではあるが白く光っている――ような気がした。
そのとき、扉の外から、
「ピイイイイイイイイ!」
とホイッスルの音が2つ。どうやら外の戦いでホイッスルを発動させてしまったみたいだ。向こうも苦戦しているらしい。
しばらく援軍は期待できそうにないな。というかあの子たちは大丈夫なのか――
「―――!」
少女が叫んだ。何かを警告するように。
だが遅かった。意識が完全に他へいっていた。
意識を目の前の巨大ネズミに戻したときにはすでにヤツは俺の方へ振り返っており、グオオオオと獰猛な叫びをあげながら両腕を横へ払い、転倒させる。そして、倒れた俺を両腕でつかみ、投げ飛ばした。
「うぐぉあッッ」
全身が軋むように痛い。口の中も鉄の味がする。
そしてその直後、再び巨大ネズミは叫んだ。
「グオアアアアアァァ!! ガアアアアァァァ!!」
横穴からはさらに新手が登場。青が6体、ピンクが6体。12体のお出ましである。
「どんだけ予備蓄えてんだよ畜生ぅ……」
ピンク4と青2の中隊が俺の方へやってくる。残りのピンク2青4と巨大ネズミは少女の方へ。
あれ、これ詰んだ……?
立ち上がろうとするが、骨が軋むような音がする。床につけた腕にも力が入らない。
それでもネズミは迫ってくる。
最後のあがきをしようと、横に落ちた鉄パイプを拾い、仰向けになりながら一心不乱に振り回す。
ネズミたちは少し怯んだように動きが遅くなる。
それの隙をついて、俺はなんとか立ち上がる。
体中がギシギシと悲鳴をあげているが、もはや気にならなかった。
まずは青だまずは青だまずは青だ――
自分に言い聞かせるように、青ネズミへ鉄パイプを振り下ろす。
ピンクが4体飛びかかってくる。1体は足で妨害したが、3体が自分へとたどり着く。
噛まれるような音がした。背中と右腕が熱い。だが今はそんなのどうでもいい。とにかく青へ集中――
振り下ろした鉄パイプが青ネズミに直撃し、青が1体沈黙。そのまま、もう1体の青へ鉄パイプを向け、上へ振り上げる。そして、宙に浮いた青を飛びかかってきたピンクもろとも叩き落とす。
そして、背中に張り付いていたピンク2体を傷だらけの右腕で払い落とし、縦にした鉄パイプを叩き込む。
1体は直撃して絶命したが、もう1体には避けられた。
少女の方を向くと、青2体とピンク2体は死んでいたが、依然青2体が残っている。さらに、巨大ネズミの圧倒的な叩き込みや突進、横払いといった攻撃を避けながら。
向こうの方が辛いんだ、俺が悲鳴をあげてどうする……。
そう自分に言い聞かせた瞬間、少女のもとへ巨大ネズミの腕が突っ込む。
少女はとっさに短剣で防御した。そのため直撃は免れたが……。
――少女の短剣が折れた。
自分の方へ意識を戻すと、ピンクのネズミ2体が俺の腹へ飛び込み……みぞおちにヒットした。
「ぐぼぉわぁっ」
少女の短剣が折れたことで、自分の中で何かをつないでいた糸が切れたような感じがした。そしてネズミの突進によって倒れた。
みぞおちに当たったことで、呼吸が苦しくなる。
ああ、さっきまで何で動いていたのだろうか。4体のネズミをいなせた原動力は何だったんだろうか。
実際、今こうしてピンク2体に殺されようとしている。それに対して抵抗できるような気がしない。
ああ、ここで死ぬのか。結局自分が何であったかわからないまま。前世の自分がどんな悪いことをしていたのか。それの報いなのか。転移してたった数時間、所詮は獣に殺される程度の存在だったってことか。名前と、靴のサイズしか知らずに死ぬのはなんか寂しいなぁ。
意識が溶け始めていく。このまま眠ってしまえば、ネズミに噛み殺され引き裂かれる苦しみもなくて楽かもしれない……。
溶け始めた俺の意識を突き戻したのは、大きな衝撃音だった。
音の方向へ目を向けると、少女が壁に倒れていた。
巨大ネズミに吹き飛ばされたらしい。
俺はとっさに起き上がり、転がっていた鉄パイプを取ると、再び向かってくるピンクネズミ2体に対して横へ薙いだ。
ピンク2体が吹き飛ばされるのを確認して、少女のもとへ駆け寄る。
「―――――!」
少女が何か叫んでいる。だがお構いなしに、
「おい、大丈夫か!? 立てるか?」
というと、少女は自分の左腕を指して言った。
「―――、――――――!」
「え、何て!?」
もちろん意味はお互い通じない。
「――――――――――――!!」
再び叫んだあと、少女は左腕にある――深紅の宝石が付いた、藁の腕輪を指した。
そして腕輪を右手で破壊しようとしている。
「それを壊してくれってことか!?」
なんとなくそう言っているような気がする。
「――――!」
「わかんないけど、わかった! とりあえずやってみる!」
自分も腕輪と少女の腕の間に指を入れて、腕輪の破壊を試みる。
だが、腕輪はかなり頑丈にできているらしく、なかなか壊れない。
「シャアアアアアァァァ!」
「グオオオオオォォォ!」
「キイイイイイィィ!」
ネズミが5体、こちらへ向かってくる。向こうも傷ついているのか、足取りは最初よりもやや鈍い。
だが、確実に、こちらに近づいてきた。
ヤバい、あいつらがこっちに来る前に壊さないと。急げ、時間がない、早く、早く。
心臓の鼓動が高まる。早くしないと、早く、急げ。
それでも腕輪はなかなか壊れない。
畜生、もっと鋭いものがあれば……。
――ジャラッ
ズボンのポケットから、金属がぶつかる音がした。
ポケットを漁るってみると、500円玉1枚と100円玉2枚、そしておそらく前世での住処のものであろう鍵。祭壇でもう使うことはないだろうと思っていたものたちがあった。
もしかしたら。
「グオアアアアアアァァアアア!!」
巨大ネズミが咆哮し、それと同時にピンク2体青2体がダッシュで突進してくる。
それを見て俺は――硬貨3枚を投げた。
頭が悪いのか本能なのか、薄暗い部屋で光り輝く3枚の硬貨に、ついネズミたちの意識が逸れる。
その隙を見逃さず、少女の左腕と腕輪の間に鍵を入れて、ねじ込んだ。
――ビリッという音とともに腕輪は破壊された。