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課題テーマ「色について」より 『いろいろおはなし』

作者: 中森 壮

 いろいろ考えてみても何も浮かんでこないことがある。僕は学習机のまえに座って考える。脳みそを絞り切っても、サッカーボールを蹴飛ばしてみても自分の部屋の天井で逆立ちしても、なんにも出てこない。僕が何かの文章を書くときにいちばん苦しむのは、いつだって書き出しのところだ。この狭い部屋の中を、浅黒い飛蚊症の虫たちがとびまわっている。


 そのことは小学生のころから変わりない。人生で初めて課された作文のことを、僕は、いまでもはっきりと思い出すことができる。たしか、小学二年のときだ。国語の教科書に載せられていた、『竹取物語』のようなおはなしについて、授業内の時間を使って感想文を書きなさいと当時の先生に言われた。時間中、周りの子らが次々と立ち上がっては、各自記した感想文を黒板前の教壇に提出していく。そんな中で、僕はえんえんと感想文の冒頭部分について暗中を模索している。しかし結局、書き終わることはなかった。挫折感と惨めな気持ち、それに、めんどうな宿題が残ったのを覚えている。翌日には、僕は国語の作文と『かぐや姫』の話が大嫌いになっていた。


 それから十五年近く経ったけど、やっぱり僕はこの書き出しのところに悩みを抱え込んでいる。「色」について課題が与えられているのだが、これがいっこうにおもしろい事が浮かんでこない。書こうと思い至ってから、すでに三時間が経過していた。僕はiPodを取り出し、耳にイヤホンを当ててマーラーを聴くことにする。


 いや何も、僕はその間中ずっと曇った灰色の空ばかりを見上げていたわけではない。書くに至った最初の二十分を過ぎたあたりか。僕は「辞書的な、または単語的な意味での色」について書いてみようとしたのだ。広辞苑によると、色という言葉は複数の言語的意味を持つ。色彩的な意味での色や、色恋の色、ものの趣きについての色などがそれにパッケージされている。僕はこれについて考察し、纏め上げて文章を練ろうと試みた。だけど、途ちゅうで書けなくなってしまった。作業を進めていくうちに、このテーマがなんだかありきたりなものであると感じてしまったのだ。利口ぶった高校生か大学一年生が思いついたような話みたいだと。イヤホンから流れてくるマーラーの交響曲は、非常識と変化に富んでいる。


 そんな僕は、次の一時間であたらしいテーマを二つも産み出した。「色素を司る原子と光の反射」と「人と色の関わり~色の原材料の歴史~」の二つである。どちらか一つを書ければいいなと思った。けれど、最終的にこれら両方とも没案になってしまった。前者について書くには、僕には化学式だの光学だのといった理系的知識があまりに不足している。また後者を書くには、さっきとは逆に僕がこのような分野に対して詳しすぎるのがいけなかった。妥協ができないからだ。僕の趣味の一つは歴史である。ゆえに、こちらに手を出せば、資料集めやその実証だけで膨大な時間をかけたにちがいない。本原稿の量は、字数制限として与えられている四百字詰め原稿用紙四枚分を大幅に上回ったろう。僕がはてしない世界へと旅立ってしまうことは容易に想像できた。もちろん、この課題は字数的な制約があるのだから、その完成品は、はてのあるものでなくてはならない。こうしてこのテーマは没案になった。僕はマーラーを聴き終わり、iPodにつながれたイヤホンを耳から外す。


 さて、どうしたものか。子どもの時分なら、「僕の好きな色について」とでも題して、遅々とした足取りで取り組んでいたのかもしれない。・・・僕の好きな色とはなにか。昔は、小学生のころは青だった。しかし、いまはそうでない。つい先日のことになる。僕は自分のノート型パソコンでネットサーフィンをしているときに、たまたま「色占い」というものができるウェブサイトをみつけた。「色占い」とは、対象人物のいちばん好きな色と嫌いな色とを組み合わせることで、その性格を推し量ろうというものである。血液型占いよりは信憑性がありそうだと思い、やることにした。でも、占うことはできなかった。僕には、別に好きな色も嫌いな色もなかったからだ。僕は立ち上がって、椅子に座り、また立ち上がっては部屋の中を歩き回る。そして再び椅子に座る。床に敷きつめられたグレーの絨毯に目を落とす。その上に漫画本や野生時代や洋画のDVDやらがちらばっている。じつに雑色である。統一的な色がない。占いサイトには、「好きな色は自然と、自分の身の周りに集まるものだ」とも書かれていた。けれど、僕の部屋を見渡すかぎり、それは見当違いというものだろう。クローゼットのなかをのぞいても、僕の買い集めた服の色は、じつに、イロトリドリだ。


 僕はあきらめてもう一度立ち上がろうとした。ふいに、はだしの足に冷たい感触が伝わる。十六年ほどお世話になっている学習机の下をのぞく。そこにはナイキのロゴが記された、オレンジ色のまるいサッカーボールがころがっていた。僕は、はだしの足でこいつをふみつけてころがし、白日の下に晒してみる。なぜだか、僕はこのオレンジ色のボールだけが、この狭い部屋のなかで異質なそんざいなのだと感じる。と同時に、オレンジ色は、僕の古い知り合いの女の子の好きな色であることを思い出す。どうして僕はそんなことを思い出したのだろうか。心当たりはない。さらに、彼女がデイビット・ベッカムやグティのファンであったという、まったく余計なこと迄も思い出した。僕自身は巨人ファンであるためなのか、オレンジ色は嫌いではない。オレンジは巨人のテーマ色だ。でも、いちばん好きな色ということもない。そんな僕は、たしかに彼女が大好きだった。けれども、まちがいなく、それは恋ではなかったのだ。浅黒い飛蚊症の虫たちが前を通り過ぎてゆく。立ち上がった僕は、サッカーボールをはだしの足でつよくけとばした。オレンジ色のボールは白い扇風機を倒してそのままころがっていく。書こうと思い至ってから、すでに六時間が経過している。僕もiPodと一緒にベッドの上に寝ころがって、耳にイヤホンをはめてマーラーを聴く。インバルが指揮するフランクフルト放送交響楽団のマーラー交響曲第一番。弦楽器の音がだんだんと大きくなる。冷たいボールの感触が、はだしの足にすこしだけ残っている。

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