ふもとの町
町には特に何事もなく入ることができた。戦時中なので見張りが立っているなど、そういったこともなかった。
イルはポケットの中を探って、手持ちのお金を確かめた。紙幣が数枚、硬貨が少々。少ないお小遣いの残り。だいたい、二日か三日くらいは食べていける程度の額だ。多分。
使い道はもう、決まっている。
まず、古着屋を目指した。何しろ今の服はもうボロボロ、その上小さくなった関係で見た目が悪い。袖や裾を折り返してどうにか体裁を保っているので、なんとかしたかった。
まともな服を着る必要がある。意外に服は高いが、古着ならなんとかなるだろう。
イルは子供用のコートと帽子、それに下着を何枚か買い込んだ。
今の体ならば軽装でも特に問題あるとは思えなかったが、山村ではできるだけ厚着をするように教えている。イルはこれに従うことにして、コートを買った。コートは高く、それだけでほとんど手持ちのお金を使ってしまうことになった。大事に使うことにしようと決めた。
そのままイルは店の中で着替えさせてもらう。出てきたときには、彼女の身なりはまともに見えるようになっていた。今までの服はかなり汚れていたし、サイズが合わないので古着屋が引き取ってくれた。
あとは、銃について何か知らなければ。
書店を探し、イルはそこへ入ってみた。
小さな店内に並んでいる本は、政府への悪口のような表題のものばかりだった。古い政治体制を叩き、現政権を褒めたたえる内容の本でなければ、政治を論ずることなどできない。そんな事情をイルは知らず、不満そうに少し目を細めた。
役に立ちそうな本を探すが、ほとんどない。わずかに見かけるのは料理、病気・薬学の関係であった。
銃の撃ち方など書いているような本はない。本自体も高価であった。さらにいえばイルの読める文字もそれほど多いわけではない。
山村の育ちとはいえイルも同年代の子供とともに教育を受けている。文字の読み書きや、簡単な計算はできる。しかしそれをもってしても無理だ。知識層に向けたような難読を極める書物が多い。買えたとしてもあまり役に立たないことは明らかであった。
店主らしい男も遠慮なく本に触るイルを忌々し気に見ている。高価な本を手垢で汚してほしくはないのだろう。
仕方ないので書店はあきらめる。
イルは、ただ帝国兵たちに自分や家族や村の人々が味わった苦痛を返してやりたいだけだ。銃の知識がないからといって、それが無理になるものではない。
しかしいくら竜の血を浴びたといっても、限度がある。手の届く範囲の敵をいくら倒したところで、敵は遠くから次々と弾丸をこちらに飛ばしてくるのだ。それに対抗することができればいいが、何もその方法は思いつかない。こちらも銃を使うということの他は。
帝国兵全員に報いを受けさせるのだ。それも、確実に。
イルは考え、銃の必要性を再確認した。もし万一、自分に使えなかったとしても、敵の主力武器を知ることは無駄にならない。
それに先立つものも必要だ。今のイルは、服を買っただけで無一文同然である。
手っ取り早くお金を手に入れたかった。以前にこの町へ来たときに親たちはどうやってお金を手にしていただろうか。と、そこまで考えて思い当たった。
親たちは肉屋へと獣を持ち込んで売り払って、それからどこかで銃や弾丸を買っていたはずだ。山で狩った獣の肉や皮を売ることで、村の男たちは金を得ていたのだ。
今の自分も、同じようにすればいいのではないか、とイルにも思えた。となれば、善は急げとばかりに早速イルは道を引き返す。町を抜け、山の中へ入り込んだ。全速力だ。
特にこれと決めた獲物がいたわけでもないが、走り回るうちに猪を見つけた。
二本の牙もいまや大した脅威ではない。突進してくる猪を軽くあしらい、痛みに悶えているそれを生け捕りにした。太めの枝とツタなどでそれを縛り上げ、熟練の手つきで仕上げる。
こうした作業は間近で見たことがあった。お手の物だ。
そのままイルは猪を肉屋へ持ち込んだ。以前は確か鹿を持ち込んだはず、と考えながら。
幸運にも肉屋は持ち込まれた猪を見て悪い顔をしない。
「ほう、こいつはなかなか上等な猪だ。お嬢ちゃんが捕まえたわけじゃないんだろうが、見事だな! いったいどうしたんだこれは?」
「ここなら買い取ってくれるかもと、思って。いくらになる?」
「まあそうだなあ」
結局イルは紙幣で20枚ほど受け取って、猪を手放した。
肉屋の主人は満足そうにしていたが、イルの容姿があまりにも幼いのが気になるのか、心配そうな目を向けてくる。
「大金だが大丈夫かい、お嬢ちゃん。落としたりしないだろうな」
「心配いらない。それより、こういう獲物をしとめるのに銃が欲しい。新しい帝国製の銃がいいって聞いているけど、どこにいけば手に入るか知ってる?」
「なに、新式銃のことを言ってるのか? あれは駄目だぜ、戦争用の罰当たり銃さ。それによ、弾丸が体に食い込んじまったら面倒くさいのさ。
解体するときに弾丸に当たるとナイフが欠けるだろ、それに肉と一緒に弾丸も煮込んで食っちまうような事故があったからな」
肉屋は狩猟に銃を使うことに反対派だったらしい。肉にする獲物には銃を使ってはならないと力説されてしまった。
確かに山村でも、最初のうちは肉にする獣はなるべく罠で仕留めろ、なんて言われていた気がする。といっても大人たちは普通に銃を使って獣を撃ち殺していたので、熟練の大人は違うということなのだろうが。
何発も無駄に撃ち込むような殺し方をするのがよくない、ということだったのかもしれない。
罠で殺した獣は血抜きできていないからおいしくはなかったが、そのためにナイフの刃が欠けるようなことも、弾丸の破片を口に入れてしまうようなこともない。
この肉屋の言っていることにも一理はあった。
「わかった。でも、家族はいざというときのために銃が欲しいって言ってる。
どこで買えるか知ってる?」
「ああ、そんなら町の西側、裏通りに市場ができてるからそこにいってみな。
とはいっても、闇市だからよ、お嬢ちゃんは近づかないで、大人の誰かに行ってもらったほうがいい。一人ではいかねえって約束してくれよ」
後半は声を落として、肉屋はそう言った。
それでイルはなんとなく事情を察した。戦争の影響が出ている、ということだろう。
戦争。そうだった、そのあたりの事情も知らなければならない。イルは忘れていた用事を思い出して、あわててすませようとする。
「そう、戦争はどうなってる? 私たちは山村にいて、帝国兵が来たからあわてて逃げた。この町には帝国兵は来てない?」
「ああ。あの山村にいたのか。そりゃあお嬢ちゃんも苦労したろうな! いや、今だって大変だろうに。
戦争はまだ続いててな。帝国兵はこの付近まできてるが、王国側もちゃんと近くまで来てて、結構ドンパチやったみたいだぜ。まあ今のところはにらみ合いって感じだな。
王国兵が来なけりゃ帝国兵はこの町をつぶすこともできたんだろうが、近くに大軍で来られちゃどうしようもあるまいさ。
ちょくちょくやってきては買い物していくくらいで、表立って変なことはしていないよ。むしろ、粗暴な振る舞いにさえ目をつぶれば上客だな。娼館は連日の賑わいらしいぜ」
「しょうかん?」
「あ、いや、お嬢ちゃんにする話じゃなかったな。
ただまあ流通は止まっているから、そろそろ町としてもきついだろうよ。早いところ帝国兵にも撤退してもらいたいもんだ」
イルは十分な話が聞けた、と思った。頷いて肉屋と別れ、裏通りの闇市に向かう。