過保護な竜
銃を使ったことはない。
山村で育ったイルであったが、銃を触るには幼すぎた。子供には危ないからと、いつも銃から遠ざけられてきたのだ。
もう少しイルが成長していれば、村人から銃の扱いを教えられていたかもしれないが、残念ながらイルは何も知らなかった。
カイにとってみれば弓も銃も変わらないようなものだったが、銃のほうが有用であることは認められた。新式銃の撃ち方を学ぶことは、決して損にはならない。
とはいえ、この銃というものに関してはカイにも帝国兵たちを見ていて知った断片的な知識しかなかった。
イルは竜の知識に期待をして色々と聞いてきてくれるが、彼女が求めるほどの知識を与えられはしない。
「なにがあっても銃口をのぞきこむことはならん。自分の目を傷つけられたくなければな」
「それはわかっている」
「引き金を引くと弾丸が飛び出す。反動が強いから気をつけろ」
「それも、知ってる」
このような調子であった。
どうやら竜の知識も銃に関してはイルが知っているものと大差ない。たぶん、これはほとんど常識的なことなのだろう。
カイとて頻繁に人間たちの情報を調べるような真似はしてこなかったので、それも仕方がない。そもそも、銃など竜のうろこに通じるはずもないのだから、必要のない情報である。
となれば、このまま『巣』にいても銃の扱いには詳しくなれず、イルも扱うことができない。
また、仮に独学で撃ち方を習得したとしても継続的に弾丸や装弾子を手に入れることは難しいだろう。どちらにせよ、銃をつかうなら人間たちの暮らす街へと降りる必要があった。
それに加えてあの帝国兵たちの行方も気になる。イルは山村へ戻ったこともあるが、そのときにはもう帝国兵たちの姿はなかった。おかげで必要な物資を持ってくることもできたが、山村を蹂躙したのち、彼らはどこへ行ったのか?
イルにはそのあたりの事情もわからない。
もう体は完全に動くし、何なら以前よりもずっとよく動く。万一、兵士たちに追いかけられたとしても振り切れることは間違いないし、戦いになったとしてもそう簡単に遅れはとらないだろう。ここは、行動してもいいのではないか。
そのようにイルが言うので、カイは悩んだ。
確かにイルはもう竜の血による苦痛からは解放されている。たやすく人間たちにつかまるようなことはないだろうし、つかまったとしてもカイのことを話したりはしないであろう。
不安要素は、仕方のないことではあるがイルの体はあまりにも幼いままなこと。当人にはまだ告げていないが、おそらくこれから先も成長する見込みはゼロなのである。どれほど待っても身長が伸びる可能性はない。体重はまだまだ増えるだろうが、見た目から、大多数の人間になめてかかられることはほとんど間違いなかった。
これで人の街に降りて、一人で行動するとどのようなトラブルが発生するか予想もつかない。警察機関に保護されるというならまだかわいげもあるが、万が一犯罪組織に拉致されるようなことにもなれば、カイとしては面倒だ。そうそうそんなことはないとわかっていたが、カイは本気で心配していた。竜の力でかかれば人間の町などたやすく壊滅できるから、もしイルが囚われても救出するのはたやすい。だが後が面倒になるのは間違いなかったし、これ以上イルの心が傷つくようなことがあってはたまらない。
「そうだな、そうかもしれん」
しかしながらカイはイルの言葉に同意していた。普通の大人ならばたとえ十人がかりでも、今のイルを拘束することなどできはしないのだ。あまりにも自分の心配がバカげているとは思う。
それでもカイは、イルを失うことを恐れていた。何しろカイの目線では、ついこの間までゴロッと転がったまま痛みに耐えていたのだ。それから二日もかかってようやく這うことを覚えて、やっと立ち上がって歩き始め、そしてやっとまともに動けるようになった。確かに帝国兵に報復するという気持ちも大事ではあるが、そう急がなくてはいいではないかと思う。
「どのあたりの街に降りたいのだ?」
「ふもとの街」
「近すぎるぞ、帝国兵がいるかもしれん。それでもいいのか?」
「だいじょうぶ、騒ぎは起こさないから」
「その見た目で街に降りて何事もないという、根拠はあるのか」
「前に行ったことがある」
イルは淡々と、だがしっかりと質問にこたえる。ただの思いつきではないのだろう。
「知り合いに会えばかえって困るのではないか? 縮んだ理由を問われよう」
「知り合いっていうような人はいないから、平気」
どうも論では負けるような気がする。
カイはあまりイルを街に近づけたくはなかったのでなんとか反論したかったが、無理そうだ。嫌な予感がした。イルにとって、人の町はあまりいいところではないという気がして仕方がない。
しかし言い負かせないので、従うことにする。
「よかろう、ふもとの町へ行くがいい。お前の足では時間がかかるだろうから、途中まで送ってやろう」
「えっ?」
「背中に乗るがいい。しっかりしがみついておけ」
カイは『巣』の外へと進み出た。早くも今から行くのかとイルは驚いているが、カイは外を見るのに忙しい。あれがふもとの町か、とあたりをつけた。
大きなカイの背はごつごつとして触り心地もよくない。それでもイルは言われたとおりに背中へ乗った。しっかりしがみつく。振り落とされるようなことはないだろうか。
翼をばっと広げて、地面を蹴った。巨体が浮き、眼前の崖から落ちていく。山から飛翔し、一旦は落ちながらもすぐさま風をとらえ、竜は浮き上がった。
レッサードラゴンのカイは、翼を広げて飛翔した。その威容は、まさしく山の神だ。
背中のイルがどのような反応をしているのかは、カイには見えない。人間からすれば空からの光景など、生きていてそうお目にかかれるものではない。楽しんでいる余裕があればいいがと思いつつ、彼はふもとの町を目指した。
わずかに数分もかからず、カイはふもとの町の近くへたどり着いた。彼は離れた位置に降り立って、イルを降ろす。騒ぎになるのを避けるためだ。
「このあたりでよかろう」
「うん」
背中から降りたイルは、カイを見上げる。
「いってくる」
「終わったらここで何か音を立てろ。聞こえたら来る」
カイは、当然のように帰りも迎えに来るつもりだった。イルはわずかに戸惑ったようだが、頷く。
「指笛は、得意」
「では、くれぐれも気をつけろ」
そういう具合でカイは地面を蹴ってふわりと舞い上がり、二度三度と大きく羽ばたいて暴風を巻き起こしながら去っていった。
イルは自分の用事をすませるために町へ向かって歩いていく。カイのことを振り返るようなこともなかった。
だがカイは、別れてから十秒も数えないうちからもう、イルのことが心配になる。
かといって、このような巨体が町の近くにいれば嫌でも目立ってしまうだろう。近くにはいることができそうにない。自分に代わって、誰かがイルのことを見ていてくれたなら少しは気が休まるのにと彼は考える。
使い魔。
その言葉がふとカイの脳裏に浮かんだが、却下する。
竜が使えるような使い魔は、ワイバーンと呼ばれるような竜に似た姿、巨体が多い。そうでなければトカゲのような小さく、非力なものになってしまう。これでは用をなさない。
自分が人間に変身して追いかければすべて解決するが、そのような都合のいい能力を持っているわけもない。
何か、適当な生物を支配してしまうのが一番いい。人間の近くにいるのだから、やはり人間か犬がいいだろう。犬なら連れていても特に目立つこともないし、変に思われることもないだろう。
『巣』周辺の山を見ながらカイはそれとなく犬を探してみたが、ここにいるのは餓えた狼ばかりである。そこらで鹿を食い殺してまわるような獰猛な獣をなんとかして犬っぽくはできないかと無駄なことを考えてみるも、いい方法は浮かばなかった。
それならばいっそ、もっと目立たない何か。
影のように、闇に潜む魔物はどうか。