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風の王  作者: zan
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変わりゆく身体

 『巣』の中に連れてこられたものの、一日二日はただ、痛みのために全く動くことがかなわなかった。

 中を確認するということもできない。ただただ痛みに耐えるだけだった。全くどうすることもできない、気が遠くなるほどの痛みが全身に襲い掛かってぴくりとも動こうものならさらなる痛みが差し込む。耐えるだけしか、できなかった。

 三日目でようやくわずかに動けるような余裕が生まれた。痛みがわずかに鈍くなって、「このままだといけない」という気持ちがおきた。なんとか動こうとするが、それでもまるで赤ん坊からやり直しになったように、指先のわずかな動きから回復していくことが精いっぱいだった。

 カイの見る限り、イルは懸命に指を曲げ伸ばしをしている。早く、少しでも早く体を動かせるようになろうとしているのだ。それでも、肘関節、肩関節を動かせるようになって地面を這うまで、一週間近くもかかった。

 この頃になってようやく食事がとれるようになった。動物のまるのまま死体に食らいつく、野生そのものの食事をだ。

 下半身の自由が戻って壁際につかまり立ちができたとき、やっとイルはホッとしたような顔を見せた。それでも膝がまだ震えて、歩くことはおぼつかない。

 イルは一生懸命に自分の体を動かそうと必死だったが、その努力にもかかわらず体は常に重かった。他人の体を無理やりに動かすような気分で、しかもその体に鉛がまとわりついているかのような。体中に流れ落ちる汗を拭きとることもおっくうなくらいだった。

 それでも、彼女は体の自由をわずかずつ取り戻していった。


 カイとしても聞いた話でしかないが、竜の血を与えられた人間が苦痛に呻くのは第一段階に過ぎない。想像を絶するような痛みに耐え抜いたとしても、それだけで竜の力をもって生きていけるわけではない。

 竜の体へと作り変えられていく肉体には、多大な負荷がかかる。これに耐えて、人間の肉体らしさを維持してこそ竜の血に耐えたといえる。

 もしもそれができなければ、少しばかり怠惰になってしまえば、それだけでもう、人間の形は保てない。竜の血が命を助けはするだろうが、人間らしさはその限りでないからだ。動きもしない体は、動かないことが最適であるように維持されていく。目や耳も役目を果たさなくなっていく。

 ただこの苦痛に寝転がって耐えるだけでは、人の形をとどめた肉の塊に成り下がるということだ。

 長い寿命が尽きるのを待つだけの生き物など何の存在価値もない。死ななかったからそれでいいなどとはいえない。


 カイはイルの動きを観察していた。

 伝聞の情報しかもたないカイには、イルの体がどれほどの運動を必要としているかがわからないのである。今の動きで十分かもしれないし、そうでないかもしれない。過剰であるかもしれなかった。

 何も言わなくとも、イルは自分の体を追い詰めるように動き回っている。毎日のように限界まで肉体を酷使し、死んだように眠ってしまう。

 過剰に動くことで悪影響があるかもしれない。だが、足りずに動けもしない塊になるよりはよかろう、とカイは考える。

 このままイルには運動を続けるようにもとめることにした。かわいそうにも感じたが、仕方がない。


「お前の体は竜の血で作り変えられたのだ。つらいだろうが、その体を扱えるようになるために、今動かねばならん」


 死んだような眠りからようやく覚めたイルに対し、告げる。頑張って動け、ということで、もう食べ物も簡単に与えないとも伝えた。

 これまでは近くに獣の死骸や山の果実を置いていたが、今後はしない。厳しい指導であると、カイは自分で思う。

 山村で育ったおかげか、特段そのことについてイルは不満を言わない。


「わかった」


 汚れた身体ながらも凛とした目でしっかりとこたえ、どこか淡々とした調子で衣服の裾を引きずり、膝を震わせながらも立ち上がって『巣』から出ようとしている。

 まだやっと、壁につかまって歩く程度なのだ。まともに動けもしないのに、ここから出て大丈夫なのかとカイは驚く。

 食べ物を簡単には与えないとはいっても、少々離れた位置において歩かせる、程度のことを想定していた。あくまでも最初は『巣』の中で運動させ、少しずつ段階を踏んでいくつもりだったのだ。それなのに、イルはもう勝手にステップをあげて、自ら鳥獣を狩る勢いだった。

 カイは自分の子をつくったこともない、若いドラゴンである。子を思う親の気持ちなど知りうるはずもない。

 しかし、イルの危うげな歩みは彼を簡単に心配させた。態度には出さないが、彼は内心でおろおろとしている。


 助けたほうがいいのか。まだ早いと止めたほうがいいのか。

 しかし本人がああやって出ていきたがっているというのに、それを止めるのはどうか。


 カイが迷っている間に、イルはもう、『巣』の外だ。

 迷いはない。イルは、あまりにも峻烈な魂をもっていたのだ。帝国兵を決して許さないと決めたように、自分にも厳しい。甘えた態度は一切とらなかった。

 レッサードラゴンのカイにも、イルが幼い人間であるということはわかっている。あのくらいの子供というのはもう少し親に甘えたり、うまくいかないときには愚痴をこぼしたり、不満を述べたりするものではないのか、と彼は驚いている。竜の中にだって甘やかされて育ったせいで傲岸不遜な者も多い。それこそ、とうに独り立ちしていなければならないような成竜が。

 かたや、このイルはどうだ。

 よたよた歩きながらも、二本の足で立って歩いている。時折は木々につかまり、地に手を突き休みながらも彼女は歩いて進んでいるではないか。

 誰にも頼らず、不平不満を一切言わず、甘えずに。


 イルは彼女が竜の血を浴びた場所まで、ようやくたどり着いた。獣道が伸びた先で、『巣』からはわずかな距離だ。

 そこで彼女は、獣たちに食い荒らされた死体を発見する。イルの弟のものだった。エズリ。


 カイは『巣』から身を乗り出してイルの様子を見ていた。

 彼女は恐ろしいほど冷徹な目でそれを見た後、少しだけ手を合わせて満足したようだった。

 埋葬してやりたいという気持ちはあるだろうが、今の時点でそれは無理なことだ。体の自由が利かないし、すでにほとんど食われてなくなっているし、腐敗もすすんでいるのだ。もはや弟は自然に帰った、と考えるより他ない。

 今は何もできない、という申し訳なさでイルはもう一度頭を下げた。

 帝国兵たちの死体も近くで荒らされていたが、そちらには一瞥もくれなかった。


 そのあともイルは歩き続けて、川までたどり着いた。大きな川であったが、底も浅く、溺れるような気づかいはない。イルは迷いなく川へ下りていく。

 水の流れに足を取られはしないか、溺れてしまうようなことはないか。

 見守るカイが心配するが、イルは川の怖さも知っている。慎重に流れの速さを確かめながら足を入れていく。そうして髪や体を洗ってきれいにした。両手はまだまだ不器用ながらも、そのくらいならできる。ぼろぼろになっていた服も流れにさらすようにして洗い、何もしないよりはマシになった。

 もちろん重要な行動だったが、食べ物を得るより先にすることでもないとカイには思える。やはり幼いとはいえ女なのか、と一瞬考えた。

 だがそうではなかった。イルは大まじめに垢や泥を落としていた。これは狩りの準備だ。

 つまり、体臭を消しているのだ。狩りをする前に獲物に匂いで気づかれるようなことのないよう、消しているのだ。


 イルは身体を伸ばし、関節を押し付けたりして懸命にほぐしている。なんとか動けるように、走れるようにと調整しているようだ。

 そうしているうちにふと、何かに気づいたらしく呆然と手足を見やっている。

 イルの体は、小さくなっているのだ。

 もちろんカイはそれを知っていたが、あえて教えてはいない。竜の血による変化の中では、些末なことだからだ。

 竜の血は彼女のガタガタになった体を癒しはしたが、その分だけ彼女の体からエネルギーを奪ったのである。見たところ、三年ほど若返ったように、イルの体は縮んでしまった。もともと幼いイルの体がさらに小さくなったので、より危うげになっている。

 しかしもうどうしようもない。

 イルは気持ちを切り替えるように頭を振って、懸命に両手を握り締めようと努力を始めた。ただそれだけのことでさえ、今のイルには難しかった。

 彼女はあきらめずにずっと身体を使えるようになろうと同じ動作を繰り返していたが、空腹がそれを邪魔した。


「魚がとれれば……」


 と、イルは独り言ちて川面を見やる。確かに、その川は生き物が多く棲んでいるようだった。

 山村に住んでいたイルは、一通りの釣り、漁のやりかたを知っている。なかでも簡単な方法を選び、実行する。

 彼女は河原に並ぶ石を見定め、大きなものを選んで川の中へと運び出した。石を運ぶといっても、両手で挟むようにして持ち上げ、フラフラの足で運ぶだけである。片手でしっかりつかむなんてことは、今の彼女には無理だった。

 しばらく石を運んでは落とし、川の中で暴れたのち、イルはひときわ大きな石を持ち出して、川の中に沈んでいる大きな岩に狙いをつけた。

 このやり方は、よく知られたものだ。原理としては単純である。

 つまり、川の中に石を落とすなどして騒ぎをおこし、魚が岩の下に逃げ込むように仕向ける。そうしておいて、岩に大きめの石を投げつけて衝撃を与え、水中の魚を気絶させるという具合だ。


「くっ」


 歯を食いしばって石を持ち上げ、渾身の力でそれを岩に投げつける。石はうなりをあげて空気を切り裂き、岩へと接触した瞬間、何かが爆発したような強烈な音をたてた。

 石は粉々に砕けて散り、ぶつけられた岩は大きな亀裂をつくる。真っ二つに割れた岩が、見る間に崩れ落ちていった。


「なに、これ」


 投げた当人であるイルは、半ば呆然とこの光景を見た。

 石の勢いがイルの想定を超えて強かったため、石は砕け散ってしまったのである。もちろん魚を気絶させるという目的は達成されているといっていい。川面に浮かび上がる魚たちが腹を見せている。

 イルはしばらくしてから当初の目的を思い出す。なんとか魚たちを拾い集めて、食事らしいものを作ることに成功する。

 ポケットに入っていたルーペが役に立ち、簡単に火を起こせた。湿っていない木々を集めるのもまた一苦労だったが、日が暮れてしまう前には作業が終わり、魚を焼くことはできた。

 おいしくはない。不器用な指先では、まだまだ調理というほどの満足な作業ができない。しかし『巣』の中での食事に比べればかなり文明的であるといえた。

 竜の血を浴びる前のイルならば、おそらくこんな作業にはさほどの時間も必要でなかっただろう。しかし、今の彼女には一日がかりの大仕事であった。石を一つ拾うだけで、どれほどの時間がかかったか。魚を集めるのにも、拾う前に鳥に掻っ攫われてしまったのが何匹もある。のろのろとしていたせいだ。

 ともかく空腹は解消された。日が落ちて少し経ち、イルは『巣』へと戻る。肉体的には疲れていないが、思い通りにいかない苛立ちがつのっていく。


「私の身体、一体どうなったの?」


 『巣』で待っていたカイに問いかけた。

 体が小さくなって、異様に力が増している。そして他人のものであるかのように、いうことを聞かなくなった身体。そのすべてが疑問だったからだ。

 カイは説明の必要を感じたが、細かな説明は面倒だったので、一言ですませた。


「竜の血を浴びた者は、そうなる」


 力が異常に増したのは、それで納得できないでもない。むしろ好ましい。

 帝国兵たちにはいずれ、自分たちがしたことの報いを受けてもらわなくてはならなかった。イルがそうする。そのためには、この力が有益だった。身体が小さくなったことも、まあ考えてみれば大した問題でもない。

 だが手足の動かなさはどうだ。これは困ることだ。


「ずっと、体は重いまま?」


 イルはカイの目を見上げた。


「じきに慣れるだろうし、そうなればお前は以前よりも強くなれる。村の者たちを弔うことも、彼らの居場所を守ることも可能だろう」


 億劫にそう言い捨てて、カイは目をそらした。そうして、彼は横になって目を閉じる。どうやらこれ以上は答えてくれないらしい。


「わかった」


 いずれ慣れるというのなら、それでいい。イルには今のところ、帝国兵への憎悪以外に何もない。

 彼らに報いを受けさせるだけだった。そのための力をつける時間が必要なら、いくらでも待つ。それでよかった。

 自分の中に納得を見つけたイルもやがて『巣』の中で横になり、まどろみに落ちた。

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