世論
「帰りたいというなら、帰らせてやってもいい。
だが、私たちは帝国とは敵対しているんだ。あまりいい扱いはしてやれそうにない」
ドロテはおびえた。
また娼館で働かされるのではないかと不安になったからだ。
「そうやって怖がらせるのは、よくない」
だが、イルがハンナの顔を見てそんなことを言った。ハンナはにっこりして、大丈夫だとこたえる。
「今までよりかはマシだよ。お客様扱いはできないってこと。
イルのお友達を粗末に扱うなんてことはしないよ」
「そう」
「イルは優しいな、帝国兵以外には」
ハンナは笑ったままドロテの肩に手を置いて、そこから一言付け加えた。
「私は違うけど」
ドロテはその言葉の冷たさを感じ取れなかった。
何をすればいいのかもよくわからなかった。
「あなたには選んでもらわないといけない」
戸惑う間に、ハンナは言葉を重ねてきている。ドロテはうまくまわらない頭で頷いた。
「簡単に言えば、王国で暮らすか、帝国で娼婦を続けるか。どっちがいい?」
故郷を捨てるか、娼婦に戻るか。二択だった。
ドロテはどちらも嫌だった。帝国に戻って、家族と一緒に暮らしたかったのだ。当たり前の感情である。
その感情を読んだように、ハンナは付け加えて言った。
「君はたぶん、帝国の家族のところに帰りたいと思っているのだろうが、それは無理だ。そして、おすすめしない。
私たちは帝国に忌み嫌われているからな。今帰ったら、君は殺される」
「そう思う」
と答えたのは、サウティだった。
「帝国民は、卑しい。帰ったらスパイだと疑われて、ひどい目に遭う。
たぶん、私みたいなことになる。命もとられるかも」
そうか、とドロテは思い当たった。
誘拐されて娼館に入れられた日から自分は行方不明者になっている。そして王国から戻ってきたとなれば、疑われるに決まっていた。
普通なら犯罪被害者として丁重に保護され、家族のもとへ返されるということになるだろうが、戦争の真っ最中なのだ。そのような対応が期待できる状況ではない。
「悪いことは言わないから、戦争が終わるまでは王国にいたほうがいい。
どうしても帝国にいたいというなら、こっちが用意した娼館にいてもらいたいな。そこなら私たちの息がかかっているから、多分大丈夫だろ。
客をとらせることはないと思うが、やってくれるなら手当てがつけられる」
「ハンナ」
「何?」
説明を終えたところで、イルが口をはさんできた。ハンナは何かわからないところでもあるのかと聞き返したが、
「優しいね」
出てきたのはただの感想だった。
ハンナは小さく笑ってイルの頭を撫でた。イルは嫌がって頭を振った。
そんな様子を見る余裕もなく、ドロテは王国に残ることを決めていた。それしか選びようがなかったからだ。
翌日の夕方、慰安部隊の女たちがなんとか会場をつくった。
屋根だけはどうにかしました、という程度だが最前線基地ならこれが精いっぱいだろう。
椅子を綺麗にしただけでも誉めてもらいたいものだ。
「まあこんなものだろう」
会場の出来栄えにギイ司令官は頷いた。
やがてアザリに案内されて、報道関係者がやってきた。彼らは前線基地を見るのも始めてらしく、キョロキョロと周囲を見回していた。
全員が男で、10名より多いくらいだった。
「ようこそお越しくださいました。こちらにおかけになってお待ち下さい」
アザリは努めて明るく振舞って緊張を解こうとしていたが、無駄だった。報道関係者らしき男たちは用意された椅子にかけているものの、完全に固まっている。
帝国兵を一人で何万人も殺している『竜の子』と直接話すというのだから、仕方ないだろう。
だがギイ司令官はそのあたりもしっかり考えていた。
彼らの前にまず自分が出て行ったのだ。ギイ司令官は有名なので、彼らも安心してくれる。
「おお、ギイ司令」
「ギイ司令、このたびはお招きいただき誠にありがとうございます」
ギイのことを知っている者たちが立ち上がり、頭を下げてきた。
彼らに軽く手を振って微笑み、堂々とこたえた。
「なに、楽にしてくれていい。本題の『竜の子』を紹介する前に、彼女が救ってくれた女性たちを紹介したい。
まずは彼女たちの話を聞いてくれたまえ」
彼が手を挙げると、離れたところで待っていた16人の娼婦がギイの隣にやってきた。
いずれも見目麗しい。うち2人は男性だったが、言われなければ気づかなかったかもしれない。もちろん、彼女たちにはアザリやサウティが念入りに化粧を施した。本人たちには写真を撮られるかもしれないからできるだけ綺麗にしたほうがいいと説明したが、それだけが理由ではない。いつの時代も、被害者が美人であればそれだけで悲劇性が高まるものだ。
「私は帝国の、名もない家の娘でございます。本来、素性を明かすべきでしょうが、戦時ではどのようなことがあるかわかりません。匿名でお話しすることをお許しください」
話し始めたのは、貧民街から誘拐されて娼婦にされた娘だった。
娼館で言葉遣いなどは叩き込まれたらしく、そのあたりに問題などはなかった。彼女は自分がいかに卑劣な犯罪行為によって辱められたか、そして『竜の子』によってそこから救い出されたかをせつせつと語る。この娘は直情的で、言葉に感情がこもりがちであった。それがこの場では生きている。
それが終わりと、次はその隣にいたドロテが話し始める。彼女は昨夜聞いたばかりの、「もう自分には帝国に帰る道もほとんど残されていない」ということまで含め、悲しみに満ちた顔で自らの境遇を語った。
報道関係者たちは生々しい言葉で迫力をもって語る娼婦たちに黙り込んでしまった。
彼女たちを救えるのは、『竜の子』を置いて他には誰もいなかった、と断じられた。帝国の警察がこの悪事を突き止めるころには娼婦たちは恐らく病に倒れるか、心を閉ざしてしまっていただろう。
そのようなことが言われた。報道関係者たちは思わずそれに納得させられた。
さらに、ここでは竜の子がいかに正義を信じるものか、ということが強調されてくる。帝国軍を恨むものでありながら、何の罪もない一般人は助けている、というわけだ。
『竜の子』が正義であれば、それに味方し、また味方してもらっている王国軍は正義、ということになるので、都合がよかった。
「ではそろそろ、『竜の子』にご登場願いましょう」
イルとハンナも報道関係者の前に姿を見せる。
彼女たちは拍手で迎えられた。娼婦たちが主に拍手しているので、パフォーマンスにすぎない。
しかし今の話を聞いていた報道関係者たちもこぞって手を叩いてる有様だった。
イルたちには関係者やギイ司令官から様々に質問が飛んだが、イルはいつものとおり包み隠さずに答えた。ハンナは様々に目論見があるので、それに沿うように答える。
「帝国は恐ろしい計画を進めており、我々を排除しようと躍起になっております。
そのひとつが、竜の子を作り出す計画です。すでに知られている方もおられるかもしれませんが、帝国は国中から希望者を募り、竜の血を彼らに与えております。
竜の子は確かに強い力を持ちますが、無条件に与えられるものではありません」
ハンナは帝国の情報をあけっぴろげに話していった。帝国内部では大々的に宣伝されていることなので、隠す必要もない。
「普通の人間が『竜の子』となり、力を発揮するまでにはたいへんな苦痛があります。
帝国で竜の血を受けた者も、かなりの人数がその時の痛みでショック死しているほどです。そうとわかっていながら、帝国はまだ竜の血を与え続けているのです」
しかも苦痛に耐えるだけでは生き残れない。竜の血はそのものの脳まで食い込み、変質させようとしてくるのだから、抗いようがない。そこを耐えて自分を保てるかどうかは全く運なのだ、しかもその確率は非常に低い、とハンナは続けていった。
このような非人道的な処置の結果、たまたま生き残った『竜の子』がいたからといってどうだというのか。
こうした彼女の主張は王国内に報じられ、知識層がそれに対して様々に反応していった。
おおむねは帝国の非道を鳴らしたものであり、世論もそれに同調する。
ギイ司令としては満足のいく結果だった。帝国が非難され、それを討伐する王国軍への支持が高まったからである。