略奪
ハンナはしばらくの間、帝国のあちこちを飛び回った。破壊工作、もしくはその準備のためである。
帝国を完全に滅ぼし、跡形もなく始末するための努力を彼女は惜しまない。カイに頼れるところは頼ったが、一人で隠密に動きたいことも多かった。
それでもほんの数日の間に、ハンナは行動を起こす。
もちろん、マフィア組織と約束した「商売敵を消す」というものである。それを履行するのだ。
イスハには協力が要請された。多人数が乗れる自動車を用意しろ、ということだった。
もちろんイスハはマフィア組織に命令して用意させた。
エマが調べてくれることも、王国軍の諜報部からの情報も生かして非合法な娼館の居場所を調べ上げた。
石で舗装された大通りをハンナは堂々と歩いて、夕暮れの帝都を闊歩した。
服装はやはり以前のままで、軍装だった。軍帽もそのままだ。ややもすれば背丈の低い少女が、無理をして帝国軍の服装をしているという具合に見えるが、当人は本気だ。
もちろんこのような少女が軍属であることはほとんどありえないから、これでは奇異の目で見られる上に、危険である。
ハンナ・フォードは対竜ライフルをかついで、早速娼館へ入り込んだ。
もちろん、受付役の男がそこにいて、軍装の少女に気づいた。
「何の御用でしょうか? ここは」
女がこんなところに何をしに来た、と言わんばかりの声だった。ハンナは彼を押しのけ、
「ここの嬢を全部、解放してもらいに来た。勝手にもらっていく」
と、強引に館へ入ろうとした。男はハンナを取り押さえようとしたが、指先で小突かれ、その場に昏倒してしまう。
調べはついていた。影魔にかかれば、人間の建物を調べることなどなんの造作もない。イルに従う影魔、エマの存在がたいへんありがたい。
出会う男たちを指先で軽く小突き、無力化していく。たいていの男たちはそれだけで倒れ、動かなくなっていた。
ここでは必ずしも殺してしまう必要はないので、殴り殺すようなことはしていない。返り血を洗うのも面倒だからだ。
勿論、そのまま奥の部屋にも押し入った。
娼館であるから、客用の部屋の中では性行為の真っ最中である。ベッドの上で男女がもつれあっていた。
突如として入ってきたハンナに、慌てて身体を隠し、そして憤慨した。
「なんだお前は、ゲッ」
文句を言いに来た男を、ハンナは一撃。顎先を打たれた彼はその場に倒れ、立てなくなる。
女の方には、ついてくるように命じた。
男の相手をしていた小柄な嬢は、あまりのことに声も出ない。が、ついてこいという命令に従わなければどうなるかわからなかった。怯えながらも衣服を身に着けて、外へ出る。
ハンナはもう、隣の部屋に押し入って同じようなことをしているところだった。
男たちは次々と打ち倒され、女は引き剥がされてハンナのうしろについていかされる。嬢として客の相手をしていた者の中には陰間も何人かいたが、ハンナは彼らをも女たちとひとまとめにして、引き連れる。
助けられた側の嬢からしてみれば、今のハンナの姿は奇異に見える。彼女は本来の年齢ならば、軍の参謀として働いていて何の問題もなかったのだが、やはり今の見た目は若すぎる。が、彼女が帝国軍の衣装を着ていることが多少はプラスにはたらく。
帝国軍なのだ。
風紀粛清のため、娼館を取り締まりにやってきた、と誤解されても無理はない。
無論、このような少女一人がそのようなことをするはずはない。だが、帝国軍という肩書は強かった。
「あの、あなたさまは」
6人目の嬢を連れ出した時、2人目に助けた嬢がとうとう、ハンナに声をかけた。
ハンナは振り返ってこたえた。
「私のことはいい。あんたは、帝国のことを恨んでいるか? この国が滅んじまえばいい、とかは考えてないか」
「えっ」
嬢は戸惑った。軍属の者から国を否定するような言葉がでるとは思わなかったのだ。
ハンナはさらにこう付け加えた。
「私はそう思っている。あんたらが望むなら、王国へ逃がしてやるさ。
この国に何か未練が残っているなら、話は別だけど」
結局ハンナはこのとき娼館の中にいた嬢のすべてを連れ出した。ついでとばかり、事務室内の男たちをも倒して、金庫内の現金や有価証券も残らず奪った。
「結構ため込んでるな」
「あなたは、強盗だったのですか?」
嬢が問いかけると、こたえて言った。
「いや、もっとたちの悪いやつさ。金はいくらあっても困らないし、やりたいことをやるのに帝国の金がいるから」
「やりたいことというのは、私たちのようなものを、助けて回ってくれるとか」
「ああ、それもやる。けど、金はいる」
「逃げるのにも?」
ハンナは答えないで、少しの間ここにいろ、と彼女らに伝えた。
少し時間をかけすぎた。
おそらく、この騒ぎが伝わってしまった。外が騒がしくなっている、銃の気配もある。
「掃除しなくてはな」
嬢たちを残して、ハンナは堂々と歩いて外に出た。すでに外には十数名の男たちがやってきており、娼館を取り囲んでいる。今からまさに、中へ踏み入ろうとしていたのだろう。
近くまではイスハが来ているだろうから、彼女がついでに片付けてくれていればよかったのだが、そうはしなかったらしい。
仕方ないなとばかり、ハンナは腰から新式銃を抜いて、構えた。弾丸はまだまだたくさんあるから、そっちの心配はいらない。
敵がこちらを敵と判断しないうちに、ハンナは容赦なく男たちを撃ち殺した。
的確な射撃で、男たちの急所を砕いた。頭や胸を撃たれた彼らは、地面にへばりついていく。処理はあっという間だ。
もしかすると、組織の中でも幹部クラスの者もいたかもしれない。だが、どうでもよかった。
すっかり男たちが沈黙すると、闇の中から一人の女が進み出てきた。イスハだ。どうやら、処理が終わるのを待っていたらしい。
「自動車は用意できています。このぶんなら、必要なかったでしょうが」
彼女は男たちが乗ってきたであろう、いくつかの四輪自動車を見やった。ハンナは首を振る。
「いや、結構な人数がいるからあれでは間に合わない。皆スリムだが、数えたら15人もいたからな」
「多めですね。彼女たちも、帝都の娼館に入れるのですか?」
彼らには嬢も都合する、という約束をした。
競合企業からの引き抜きというなら話が早い。そうするのだろうな、とイスハは考えていた。
しかしハンナはこたえていう。
「希望者がいればそうするが、ひとまずは王国へ逃がそう。彼女たちはアザリに任せる」
イスハの持ってきた自動車は、荷物の運搬が想定されたものだ。乗り心地は最悪だが詰め込めば全員乗れるだろう。定員オーバーだが、実際に運転していくわけではないから、別に問題ない。
自動車とは言ったが、人の詰め込める箱であれば別になんでもよかったのである。
ハンナは一度娼館に戻り、中で待っていた嬢たちを連れてきた。
そこらじゅうに転がる死体は闇の中で見えにくい。おかげで嬢たちが取り乱すこともなく、彼女たちは車に乗せられた。
「しっかりと、しがみついておくように」
と伝えられた嬢たちはそれを実行する。
ハンナは嬢たちの詰まった自動車を、そのまま後ろから押して動かす。そのほうが速かった。
向かう先には、レッサードラゴンのカイがいる。
自動車はカイの背に乗せられて王国に運ばれた。万一にも落とすわけにはいなかったから、自動車は念入りに固定された。
快適な空の旅とは言い難かったが、わずかな時間で別の国だ。
帝国を恨み、滅ぼそうと考えるハンナがなぜ帝国民である娼館の女たちを殺さなかったのかは、わからない。
ハンナ本人でさえ、かなり後になってからそのことを他人に言われて初めて「そういえばどうしてだろうな」などと言ったくらいだった。
このとき襲撃された娼館は、違法なものだ。料金はまちまちであったが、共通するのは嬢に対する多少の乱暴が認められているということであり、待遇がひどく悪いということだった。
そのようなところに好んで働きに来るような女は、まずいない。貧困を極めたイスハでさえ、ここで働くのはごめんだと思っていた。
つまり、ここで働かされていた者は、全てが犯罪被害者なのだ。拉致されてきた者か、そうでなければ親に売られたか、いずれにせよ本人の意志とは関わりなく連れてこられた者なのだった。