帝都への工作
折れた腕は、翌朝には治っていた。
ハンナがしっかりと固定してくれたおかげかもしれない。軽くもみほぐしてみたが痛みを感じなかった。これなら問題なく帝国兵たちを殺しに行ける。
昨夜は王国軍基地にそのまま泊まり込んだ。レッサードラゴンのカイとともに『巣』に戻ってもよかったのだが、ハンナがあれこれと夜遅くまで王国軍と話し込んでいたため、それができなかった。
アザリがイルの世話をあれこれと焼いてくれてはいたが、それ以外の王国兵たちはといえば、実に忙しそうに飛び回っていた。死体の処理、被害の確認。するべきことはいくらでもあるといわんばかりであり、それが落ち着いたころには本格的に慰安部隊が必要とされ、アザリも仕事へ戻っていった。
結局イルはカイの大きな体にもたれかかるようにして座り込み、ぐっすり眠った。
起きてみれば眠った時にはなかったはずの、大きな毛布が体にかけられている。アザリかハンナ、もしかするとサウティが来てくれたのかもしれない。
腰を下ろしたまま背筋を伸ばして、両眼をこすった。
何か食べようか。
王国兵たちに言えば、ご飯をくれることになっている。アザリやサウティが約束してくれたので、食べ物を探したり、獲物を狩りにいったりする必要はもうなくなった。
イルはまだ目を閉じているカイの体を軽く撫でて、歩き出す。
血の匂いはあちこちに残っていたが、そこらに転がっていた死体はあらかた片付けられており、きれいになっていた。
イルは血の付いたコートをひっかけたまま歩いてまわり、慰安部隊の一人を見つけた。彼女は小さな木箱の上に坐ってうなだれていたが、かまわずに声をかける。
「ご飯が欲しいのだけれど」
「おおせのままに、竜の子」
慰安部隊の女は泣き笑いのような表情でイルを見て、立ち上がった。
「あなたがあの恐ろしい帝国兵を殺してくださったと聞いております」
「うん」
「本当にありがとうございました。憎たらしい彼を徹底的に殺してくれて、本当にありがとう」
「大したことはしてない。ご飯が欲しい」
「すぐに用意します」
意中の兵士でも敵に殺されたのだろうか。その女はとても感謝し、一方で悲しんでいるようだった。
イルとしては朝ご飯にありつければそれで満足であったから、深くは考えなかった。
その女は用意をしてきますと立ち去り、しばらくしてから食事をもって戻ってきた。豪勢といえる朝食であり、量も十分だった。イルは気にせず、近くにあったテーブルについてそれをもらった。食べ終わらないうちに、ハンナがやってきた。
彼女は何か書類を抱えていたが、イルはそれに興味のかけらも抱かない。
「イル、ここにいたか」
「うん。朝ご飯をもらってる」
「私ももらって構わないか」
「うん」
ハンナはイルの向かい側に坐って、食べ始めた。
「怪我は大丈夫か? もう痛くはないのか」
「もう痛くない。今日は北にいく。エマはそこにもたくさん帝国兵がいるって言っていた」
「北にいる帝国兵となると。たぶん、公国との国境線に配備してる軍勢じゃないかと思う」
「なんでもいい、私は殺すだけ」
ハンナは頷いて、話をつづけた。
ある程度はもう道筋がつけられている。帝国をどう追い詰めて、どのように滅ぼしていくかはもうおおよそ決まっているのだ。といった。
「そう」
イルは大して興味がないように頷いた。ハンナに任せておけばいいようにしてくれるだろう、と考えている。
「イル、あなたは帝国軍を滅ぼす。私は帝国を滅ぼす。それでいいか」
「かまわない」
「では、私たちの前に共通してふさがる問題について話そう」
少しもったいぶってハンナが話したのは、帝国側も『竜の子』を生み出しているということである。彼らの動きをつかんでおかなくては、まずい。ほかの兵器や武装などは問題にならないが、『竜の子』はよくない。
『竜の子』についてはイルも知っていた。だが、立ちふさがるなら叩き殺していくだけだと考えているイルと違って、ハンナはもう少し敵を評価している。
いま、イルの味方になっている『竜の子』はイル本人とハンナ、それにイスハの三人だけだ。
しかし帝国には少なくともあと三人の『竜の子』がいるはずだった。アンピス、エイリー、オスマの三名。さらにいえば、帝国は日々志願者を募っては竜の血を湯水のようにうちかけているだろうから、もっと増えている可能性もある。
こうした帝国の内部事情はエマから得られた情報に加え、イスハが自白したことで裏付けも取れている。ほとんど間違いのない情報であった。だが竜の血がどこから出てきたのかなど、わからないことも多い。
詳細なことを調べるには時間がもっと必要と思われたが、それを待つよりは自分の目で見たほうがいいかもしれない。偵察に行ってみようと思う、とハンナが言う。
「そうしたほうがいいと思うなら、そうしたら」
「ああ、帝都にいこうと思っている」
イルが必要としないときは、ハンナもカイの背に乗せてもらえる。その話はすでにつけてある。ハンナとしてはあっさりと承知されたことに拍子抜けすらしたものだが、レッサードラゴンのカイはイルの友人となってくれたハンナに対して恩を感じていたのである。
カイは、圧倒的な速度で飛べる。帝国最高の機動力を誇る飛行船を上回る速度で飛ぶが、比較できるような速度差ではない。
帝国の国土は非常に広大であるが、それを横断するのにたったの数時間である。飛行船で同じことをする場合、燃料など諸問題を完全に無視しても二日は見込まねばならない。まさにもって、レッサードラゴンの飛行は冗談のような速度であり、地上近くを本気で飛べば、たったそれだけで竜巻にでも襲われたような被害がでるという。
帝都はそれほど遠いわけでもなく、偵察は可能だ。レッサードラゴンの巨体が目立たないかどうかを気にする必要はあるだろうが、大急ぎで撤退すれば情報は持ち逃げできる。
別にそれはよかった。今のハンナは簡単に殺されたり、つかまったりはしないだろう。
帝都には竜の子もいるようだが、戦うつもりもないのだからさほど心配にはあたらないだろう。エマだって力を貸す。
「私は北へ行きたい」
「公国との小競り合いのための配備なら、『竜の子』はおそらくいないと思う」
パンをちぎりながら、ハンナは言う。
今のところ使い物になる『竜の子』が三人だとすれば、帝国としても二人は帝都の護衛にまわすだろう。おそらくアンピスとオスマの帝国軍人二人がそうなるはずだ。となると自由につかえるのはエイリー一人になるため、使いどころは限られる。公国兵はさほど精強ともみなされていないし、数も少なかったはずである。『竜の子』を派遣するほどではないだろう。
イルがそこへいくことは特に問題ない。苦も無く帝国兵を叩き潰せる。それでもハンナは注意を促した。
「気を付けて」
「わかっている」
「私たちは強いけど、不死身じゃない」
「知ってる」
大人が二人でも食べきれないほどの食事を平らげ、イルが口元をぬぐった。
「でも、私は帝国兵が生き残っている限り、殺し続ける」
「わかった。私は、帝都に行ってくる」
捕らえた『竜の子』はどうするつもりなのか、とイルは訊いた。もちろんイスハのことだ。
ハンナは笑って答えた。
「帝都に返す。彼女にはまだ、帝国でしてほしいことがある」
「わざわざ逃がしてあげるってこと?」
「いや。彼女には今後、帝国の情報をできる限り吸い上げてもらう。ありていにいえば、スパイになってもらった」
「嘘を教えてくるかもしれないのに」
「それならそれでいい。やりようはいくらでもあるから」
言って、ハンナも最後に残していたスープを飲み干した。二人の前に用意された食事はすべて消えたことになる。かなり多めの食事だったが、あっけないものだった。
一方、ハンナとの戦闘後に敵国に連れてこられてしまった哀れな竜の子、イスハは丁重に遇され、簡易なテントの中に寝泊まりすることを許されていた。
竜の子の客人という扱いである。彼女は完全に警戒を解いてはいなかったが、いくぶんか緩んでいる自分を感じざるを得なかった。
もう戦わなくてもいいのかもしれない、と考えてみれば結構なことだ。
もともとイスハは争いを好むような性格ではない。極貧を経験した後、なまじ強大な力を手にしてしまったがゆえに無敵になったように思っていたが、そうではないと思い知らされている。痛い目をみたのだ。
帝国には二度とかかわらないから、落ち着いた生活をさせてもらいたい、とすら思う。今なら何でもやって暮らしていける。
しかし彼女をの願いをかなえるのは、無理な相談であった。ハンナは徹底的にイスハを利用するつもりでいる。
働き始めている王国兵たちをぼんやり眺めていたイスハの前に、ハンナとイルはやってきた。そして、こう言ったのである。
「お前には帝国に戻って、私たちに都合のいいように動いてもらいたい。それができないのなら、今この場で殺してやる」
「そう言われては、はいと言うより他ありません。期間はどのくらいでしょうか」
半ば諦めの混じった声で、イスハは答えた。こんなことになったのも帝国のせいだ、と思いながらだ。
「帝国が滅びるまでだ。そのあとはどこへなりと行っていい」
「わかりました。帝国に戻った後、あなた方のことは報告してもいいのですか?」
そうすれば、帝国からの命令も達成されたことにもなる。
「お前はこの銃で撃たれて、今まで意識を失っていた。だから、何も見ていない」
「今まで?」
「そう、今まで。お前は何も命令を果たせず、帝都に引き上げる」
「はい」
溜息をつきたかった。イスハはこれまでも帝国のことは別に好きではなかったが、今や彼女にとって帝国は憎悪の対象となっていた。
何しろ、自分たちを殺しうるような強力な銃が存在するということを帝国は黙っていたのだ。
無敵だとか散々におだてておいて、自分たちはそれを殺せるような物を隠し持っているとは。竜の子を使役しようとするのならそのくらいは当然やるだろうとハンナは言っていたが、だまされたような気になるのは当然である。
正確には、イスハは皇太子とジャルーを恨んでいる。帝国でも、帝国軍でもない。
自分たちに血を浴びせかけ、ふんぞり返って高いところから命令し、そのくせ大事なことは黙って話さない皇太子とジャルーを、イスハは憎んでいた。
自分を撃ったハンナについては、そういった対象ではなかった。彼女は色々と教えてくれた。皇太子やジャルーという女について、彼らがイスハたちをいかに軽んじているか、人として見ていないかということをせつせつと語ってくれたのだ。
おかげでイスハは目覚めた。
自分たちは帝国の、皇太子たちのいいように使われていただけだと。別に選ばれたわけでもなんでもなかった。期待されてもいなかったのだ。
とはいえ、殺してやりたいと思っているわけではない。もう相手にもしたくなかった。
だから帝都に戻ってまた彼らの顔を見るのは嫌だったが、ハンナに命令されてはどうしようもなかった。