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風の王  作者: zan
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切断

 少しずつ身体が軋んでいった。

 ウクルの肉体は引き延ばされ、壊れていく。彼とて自分の体が千切られようとするのを黙ってみていたわけではない。抵抗はしているが、すでにそれは弱弱しいものになっている。

 腹には足が食い込んでいるので、いくら首根っこを引き上げられてもウクルは立てない。少しずつ筋肉や骨が断裂していく。

 ぶちぶちと筋肉繊維や血管が切れていくさまを、無理やりに体が千切られていくさまを、ウクルは感じ取っていた。彼の視覚はもうほとんど機能せず、見下ろすこともできないでいる。

 このまま体を二つに千切られてしまえば、間違いなく死ぬ。竜の子といえども、肉体を半分以上も失ってしまっては、さすがに生きていられない。

 文字通り、身を引き裂かれるような痛みがウクルを襲う。彼は声を出すことさえもできない。

 『竜の子』であっても、腕力だけで同じ『竜の子』の体を引きちぎるのは無茶なことだ。握りしめるイルの指から血が滴る。ウクルの皮膚が破れただけではなく、あまりにも力がかかりすぎたイルの爪が割れているのだ。

 ウクルはありえない現実に、恐れをなすしかなかった。奇術師として訓練し、あるいは人の意表を突いて驚かせ、楽しませてきた彼でさえ、このような力技をしたことはない。

 ある種のトリックを用いて人体が切断されたように見せる技はあった。ウクルもそれをやってみせたことはある。

 だがウクルの体は今、本当に分断されようとしているのだ。

 種も仕掛けもないまま寸断されていく。彼は今苦しみの極致にあって何の感慨も持ちえない。

 釣り上げる腕が持ち上がらなくなると、イルは自分の腕と敵の体の間に肩を入れ、敵の体を折り曲げ、背筋を使って一気にこじった。なんの遠慮も、躊躇もなかった。

 それがとどめとなり、苦悶の声も出せないまま、ウクルの体は真っ二つに千切れていく。腹から皮が破れ、やわらかな体の中身が弾けるように飛び出した。汚らしい血と内臓がイルの体に引っかかるが、彼女は気にもしない。

 ウクルの上半身は完全に下半身と分断され、断面からは引き抜かれた背骨や腸が垂れ下がる。

 散らばった血や臓物の匂いがあっという間に周辺を染めた。

 地獄のような光景がまたしても作られたのだ。


 この様子を見ていた者は、少なくない。

 王国兵の一部は任務の一環として彼らの戦いを見届けなくてはならなかったし、そうでない者の中にも好奇心から覗き見ている者があった。

 そうした者は一人残らず戦慄した。

 竜の血を浴びて、強くなっているはずの敵を。味方の兵士をわずかな間に数百人以上は殺したであろう、あの恐ろしい敵を。

 素手で引きちぎってしまった。返り血にすっかり染まったその子供を、誰がただの子供だと嘲ることができるだろうか。竜に頼り切って帝国兵を倒していると言えるだろうか。

 『竜の子』の力は、もはや人智を超えている。王国兵たちは畏怖した。

 誰があのような愚かな噂を広めたのか。竜さえいなければ、『竜の子』には勝てるなどと。


 戦い終わったイルは、敵の死体をさらに踏みつけて損壊しようとした。

 生命力が強い『竜の子』ともなれば、どのような状態にすれば死ぬのかよくわからなかったからである。実際には体を引きちぎられた段階でウクルは重要器官をいくつも失っており、再起不能であったがイルからはそれがわからない。

 ウクルはまだわずかに生きていた。もちろん、竜の血をもってしても回復不能な重傷であったが、引きちぎられた傷口からの出血は止まろうとしている。人の身にありあまる竜の力は、彼を生かそうとしていた。

 とはいえそれは無駄な努力であるともいえた。頭と心臓、肺だけが残っていてもそれで生命活動を維持できるわけもない。

 消えゆく意識の中で、ウクルは自分を倒したイルの顔を見上げようとした。

 ここで勝って贅沢な暮らしを取り戻そうと頑張ったのだが、うまくいかなかった。あれほどの苦痛にも耐えて生き延び、無敵になったと思っていたのに、踏み砕かれた。


 同じ『竜の子』だったはずではないか、お前は一体、なんなんだ。


 彼はそう言いたかったのかもしれない。こうもあっけなく自分を倒した者の顔をにらみつけんとしたが、目の前に迫るブーツの裏側が彼の視界を覆っていた。彼は何も見ることができない。

 死体となったウクルの上半身を、イルは踏み砕いて処分した。何度も踏み下ろすブーツの底が人間の形を消していく。脳髄の一欠片も残さずに擦り潰され、ウクルが再生する見込みは完全に失われた。

 こうした行いはイルとしては至極当然の処置であったが、王国兵たちはそう見ない。


「なんという怨嗟だろうか。あの子は本当に帝国兵を骨の髄から恨んでいるのだ」

「執拗だし、残酷だ。あれでは帝国から悪魔と呼ばれるのも無理はない」

「味方であるうちはいいが、敵となったらどうなるのか。あの男にはたった数分で何百人も殺されたが、それ以上の地獄があるということか」


 恐れおののく。念入りな処置を恨みからのものだと誤解した。

 もちろん、イルの帝国兵に対する怒りは深く激しい。その点に関しては誤解ともいえないが、ここではその残酷さと執拗さ、そして徹底的な行いが強調された。

 王国兵たちは縮みあがってしまった。いくら味方であろうとも、その強大すぎる力には恐れざるを得ない。

 だが『竜の子』イルが帝国を恨んでおり、帝国兵を一人残らず殺すために活動しているというのもまた、疑う余地のないことであった。それをよりどころに、帝国軍があるうちはイルと竜が決して自分たちを攻撃してはこないという確信もある。

 こうして王国兵たちは考えを固めるに至った。

 すなわち、『竜の子』を刺激してはならない、怒らせてはならない、と。

 あの怒りの矛先が自分たちに向いたら、終わりである。間違いなく一兵残らず根絶やしにされ、骨のかけらも残らない。この認識は王国兵たちの間に瞬く間に伝播し、共通のものとして確固たるものになっていく。全軍に及ぶのに数日もかからなかった。

 イルは襲い掛かってきた敵の『竜の子』を踏みつけ終わると、動き出さないか、あるいはまだ生命活動をしてはいないかしばらく見守った。もちろんその兆候はなく、ウクルは完全に死んでいる。

 ようやく彼女は一息吐いてその場を離れた。

 遠巻きに見ていた王国兵たちへ近づいていく。突然近寄ってこられて王国兵たち驚き慌てて背筋を伸ばした。


「こ、この度はご助力にあずかり、感謝いたします!」


 若い男が敬礼してそう叫んだが、イルは表情一つ変えない。


「アザリを呼んでほしい」

「はっ」


 用件を言いつけられた兵士は、すぐに走っていった。

 それ以外の兵士たちは目を見開いて、身を縮こまらせる。イルが何かしたわけではない。

 空から竜がやってきたからだ。

 カイが山から下りてきたのだ。その背にはハンナ・フォードとイスハがいる。


「イル!」


 呼ばれて、イルは顔を上げた。


「ここは狭いな」


 破壊されつくした建物の間に、カイが窮屈そうに降り立つ。その背中から、ハンナが下りてきた。顔面蒼白の女性を連れている。

 イルはこれを認めると自分からハンナに近寄って、彼女の無事を確かめた。


「ハンナ、怪我がなさそうでよかった。そっちの子は、帝国兵?」

「帝国兵じゃないって、自分では言っている。それと、イル。そっちこそ怪我は?」

「少し」


 利き腕は折れている。少しどころの怪我ではなかった。

 しかしこんなものは放っておけばすぐに治る。イルは新式銃を添え木代わりにして、右腕を包帯でぐるぐる巻きにしようとした。


「雑なことしないで。私がやるから」

「わかった」


 ハンナの申し出を受けて、任せる。ハンナは衛生兵の訓練を受けた経験もあったため、外傷の応急処置などは慣れたものだった。

 処置が終わった頃には王国兵たちの間からアザリが出てきた。呼ばれたから来た、という態度で遠慮のないいつものアザリだった。王国兵たちのような恐々とした敬礼もない。


「イル、敵をやっつけてくれたみたいね。またお礼をしなくちゃいけないようだけど、その前にそっちの美人さん二人を紹介してもらえると助かるかな」

「別にお礼はいらないけど」


 本当にどうでもいいと思っている顔で、イルはそう答えた。

 紹介されたほうがいいかと思っていたハンナはそのイルの調子を見て、あきらめる。王国兵たちを前に、自己紹介をした。


「お初にお目にかかる。私はハンナ・フォード」

「あなたが。私はアザリ。しがない王国兵ですが、よろしく」


 この人が帝国兵のハンナ。殺さないでほしいと言っていた人か。

 そう思ったアザリはまじまじとハンナの顔を見たが、帝国兵というには若すぎである。イルより少しだけお姉さん、という感じしかしないのである。聞いていた話では冷静沈着な軍人という感じだったので、理解が追い付かない。


「帝国兵の方だと聞いているのだけれど。それに、少し調べたところではあなたは死んだことになっていた」


 一応、アザリは疑問をぶつける。

 帝国兵だとしたら、王国軍に乗り込んでくるのは諜報を疑われても仕方がない。殺しはしないが、拘束はせざるを得ないだろう。

 そもそも、帝国側に流布されている情報では「『竜の子』がハンナを殺して残酷性をあらわにした」ということになっているため、彼女が生きているのはおかしい。


「だからこそ、ここに来ている。もう帝国に私の居場所はない。

 誠に申し訳ないが、ここの司令官と会わせてもらうわけにはいかないか。話したいことがたくさんある」

「色々と複雑な事情がおありなのは、お察しいたします。もちろんこの件は司令官に報告するけれど、その前にそっちの気分が悪そうな女性は、大丈夫かしら」


 アザリの見る先には、イスハがいる。彼女は「数十分前までウクルだった何か」を見て、嘔吐感をこらえている様子だ。


「あれはたったさっき私を殺そうとしてきた降伏兵のイスハ。彼女の処遇についても話したい」

「そう」


 頷いたものの、ハンナとイスハを信用することはまだできない。アザリはイルとカイにしばらくとどまってくれるように頼み、それからギイ司令官へ状況を報告するため、来た道を急いで戻っていく。

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