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風の王  作者: zan
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退路を断つ

 これが飛行船というものか、とウクルは感心しきりだった。

 空気よりも軽いという物体で満たされたその巨体は、容易に空へ浮くという。ウクルの眼前にある乗り物は、彼が両手を広げたよりも数十倍に大きく、広かった。

 客や貨物を積み込む部分は海に浮かんでいる船となんら変わらないように見えるが、その上にはマストの代わりに船の2倍以上の大きさのある塊がくっついているのだった。形は先の丸い銃弾のようにも見えるが、大きさが段違いで、まるでクジラのようだった。

 このクジラに空気よりも軽いという気体が詰まっているのだろう。

 話に聞いたところでは間もなく乗り物は空に浮き上がり、馬よりも早く人々や貨物を運搬するという。各地を旅してきたウクルも、これに乗るのは初めてのことだった。

 たしかに、飛行船というものは帝国の技術をもって作られた、世界に誇るべき発明品の一つであった。


 ウクルは帝都で生まれたごく普通の少年であったが、日々の暮らしや学校での成績にいちいち腹を立てる両親に嫌気がさして、帝都を逃げた。

 持ち出した小遣いも底をついて、糊口に欠くようになったころ、旅芸人をやっているという男に拾われ、世の中の歩き方と悪い遊びを覚えた。彼についてあちこちを旅してまわり、自分も芸人として独立した。師匠の教え方がよかったのか、生来の手先の器用さからか、彼は芸を覚えることができ、切り絵やカードさばき、コイントスなどをもって人々を魅了することができた。

 旅をしながらも、彼は予想だにしない金を手にすることができたのである。悪い遊びを覚えていた彼は、その金をつかって快楽にふけった。酒もたばこも、女も。

 最初のうちはそれでよかった。昼間に芸で稼ぎ、夜には稼いだ金を浪費する。ウクルにとってはよい生活であったし、贅沢なことがいくらでもできた。

 だが、そのような不健康きわまる生活は、彼の体を蝕んだ。わずかに数年で、彼の指先から器用さは失われたのである。酒がなければ指が震えるような始末であったし、最後に覚えた危ない薬は彼の心まで侵していた。

 芸で食ってきた彼には、芸以外のことができない。学もなければ大して体力があるわけでもない。あっという間に金はなくなり、彼は転げ落ちるようにして没落した。女性や子供を狙って、脅しつけて金を奪うようなこともした。どうにでもなれという気になっていた。

 警察に捕まるようなヘマはなかったが、それも時間の問題である。いつまでも逃げられはしないだろう。

 そんなとき、志願者を募集する広告が目に留まった。自暴自棄になっていたとはいえ、死ぬ時くらいは帝国に貢献してやるかという気持ちがなかったとはいえない。彼は竜の血を浴びることを決めた。

 そうして彼は帝都に連れていかれ、血を浴びて死ぬような苦しみを味わったものの、どうにか耐え忍んだ。血を浴びた後はあまりの痛さから常に死を望んでいたし、大半の被験者の意識が戻らなくなったという話を聞いてはうらやましいとさえ思っていた。

 だというのに、彼は生き延びてしまった。

 自分自身ですら気づいていない、心の底に欲があったのだろうか。芸人として輝いていた自分に戻りたいという渇望があったのかもしれない。


 飛行船は飛び立った。

 ウクルの他、操縦士や軍人がいくらか乗船している。ウクルと同じ時期に血を浴びたという女、イスハもいる。

 話によると、このイスハという女は竜の子と自分の戦いを監視し、報告する役目を負っているらしい。それはそれでよい。

 勝手に報告してくれ、と思っている。


 イスハはウクルの過去を知っている。当人が調子に乗ってぺらぺらと話してくれたからだ。

 彼の口は軽く、少し酒が入っただけで親の名前から夜の事情まで何もかもをさらけだしてくれた。貧しさの底で暮らしてきたイスハにとってはそれほどショックをうけるような内容ではなかったし、才能が有りながら身を持ち崩したどこにでもいるどうしようもない男だというような感想が出てきただけだった。

 こんな男でもあの激痛に耐えられるのだなと感心しながら、イスハは機嫌よく酒瓶を抱えている彼を見やる。

 イスハに与えられた使命は、なんとしても生き延びてウクルと『竜の子』が戦う様子を報告することにある。ウクルが勝っても、負けて死んでも、それは変わらないのである。

 捨てゴマ同然の使われ方ではあるが、一番槍には違いない。それに、竜の血によって得られた力というのは確かにとんでもないものであった。少なくとも自分が銃に撃たれて死ぬことは今後ないだろうと思えるほど、体は頑健になった。

 アンピスやウクルが何度も硬貨を引きちぎったり、鉄骨を折り曲げたりして悦に浸っている様子が思い出される。もちろん、イスハ自身も相当な力を得ていた。今なら熊と戦っても負けやしないだろう。

 イスハ自身はそんな力を自慢する気などさらさらなかった。皇太子にはああいったものの、極貧の中を日々命をつないできた彼女からしてみれば、自分を救わなかった帝国に恩義など感じられるはずもない。顔を見たこともない皇太子などなおさらだった。暖かい料理やベッドを提供してくれたというならまだしも、竜の血を浴びた後もそんなことはなかったと記憶している。大してうまくもないスープと最低限の毛布がかけられただけだ。

 それならこちらも最低限の義務だけを果たし、どこかに逃げてひっそりと生きていこう。身体が健康になっただけ、どこにいっても以前より貧しい暮らしになるということはおそらくないだろうから。

 などと、イスハは考えていた。


 やがて飛行船は国境のあたりまで移動した。


「そろそろ、出撃ですよ」


 軍人たちが告げてくる。

 ウクルは支給された軍服にゴーグルだけをつけて、軽く窓の外を見やった。小さく溜息を吐いた後、パラシュートを背負う。

 イスハは一般的な登山用の装備を着込み、双眼鏡やカメラなどの荷物を確かめ、ブーツのひもを結びなおしている。戦うつもりがないので軍服を着るようなこともしないのである。もしも『竜の子』と出会ってしまっても無関係を装えるように登山服まで用意した。

 まもなく、国境をこえるだろう。そこからは敵地である。船がゆっくりと降下していく。

 ある程度の高度になったところでウクルは飛行船を飛び降りていった。彼の体重はこの時点でかなりのものがあるが、パラシュートは役目を果たせるだろうか。

 心配をよそに、ウクルはさっさと地上に降りていた。パラシュートは即刻切り捨てて回収もしない。

 彼はまっすぐに、王国軍の基地へと突っ込んでいく。そこにいくように、皇太子に指示されていたからだ。


「敵の『竜の子』は国境付近の王国軍基地から補給を受けているようだ。そこを攻撃すれば、奴は必ず出てくるだろう」


 ウクルは命令にしたがって、王国軍基地を強襲する。

 彼に少し遅れて地上に降りたイスハは、その姿を双眼鏡でとらえる。

 肉眼での視力も竜の血で相当に強化されているが、双眼鏡を使う力もある。どれほど倍率のあるものでも、スイと目標物を見つけ出せる技量が、今のイスハにはあった。

 ウクルは両手に新式銃と、腰まわりのポーチにたっぷりと弾薬を積んで突進している。まるで風のように大地を駆け抜け、彼は敵兵が大量に詰めているはずのそこへ、臆することなく飛び込んでいった。


 一瞬後、殺戮がはじまり、悲鳴と怒号があがった。

 イスハはこれを冷徹な目で見守った。

 彼女は『竜の子』となったなかでは、同じ女性ということでエイリーと話す機会が多かったが、彼女は力自慢をするよりも美貌を取り戻したことに感動しており、そちらを見せつけてくることが多い。胸の谷間など何度見せられたかわからない。それに比べるとイスハの肉体は健康にこそなったものの、うすっぺらであった。

 ほっそりとしたその肉体を厚手の登山服に包んで、ハイカーが山頂を確認するかのような気軽さで、彼女はウクルが死をまき散らすのを見守った。

 敵の『竜の子』が出てこなければ、あのままウクルは基地を殲滅してしまうだろう。銃など、今の彼にはシャワーのようにしか感じないはずだ。

 『竜の子』が今、どこにいるのかということまではわからない。都合よく基地にいたのなら間もなく戦闘になるだろう。

 しかしあちらもあちこちの帝国基地を襲ったり、訓練中の帝国兵を襲ったりしているので遠隔地にいるということも考えられる。もしそうなら、イスハは目の前で万単位の人間が殺されていくところを観察しなくてはならない羽目になる。

 自分に関係のない人間がどれほど死のうがおセンチに心を痛めるようなことはないが、それでは時間がかかって仕方がない。面倒だなとイスハは思う。

 人気のない山の中から双眼鏡を構え続けている彼女の耳に、ふと雷が落ちたような凄まじい轟音がとどいた。

 それは彼女からみて左斜め前あたり、かなり遠くはあるが山林の中から発せられた音に違いない。そのような分析をする一瞬の間に、上空から何かが一瞬で大量に燃え上がるような、爆発音が聞こえた。

 見上げたイスハの目に、自分が乗ってきた飛行船が変形し、後部から真っ赤な炎とどす黒い煙を噴き上げているのが映る。

 誰かが、何かで飛行船を撃ったのだ。それはわかる。


 だが、一体何を使って撃ったのだ!


 船部分の上にくっついた巨大な気嚢部分を狙われたのはいいが、あの部分とてやわらかな素材ではない。金属でできているのだ。それを地上からの射撃で撃ち抜くなど、ありえないことだった。

 飛行船は燃え上がり、浮力を無くして落ちていく。山火事をおこさなければいいが、とイスハはどこか上の空の心でそんなことを思いながら、左斜め前の山林にいる何者かを確認しようと双眼鏡を向けた。

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