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風の王  作者: zan
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竜と少女

 レッサードラゴンのカイは新たな『巣』の周辺で人間たちが暴れていることを知っていたが、手出しをしようとは考えていなかった。

 大軍で山に踏み入り銃をバンバン撃ちまくる帝国軍をうるさく思ってはいたが、自分の存在をさらけだしてまで追い払うほどのものではなかった。だから放置していようと決めたのだが、事情が変わってきた。

 女が逃げてきたのだ。それを追いかけてくるのは帝国の兵士だろう。

 竜の中では弱い部類に入るレッサードラゴンだが、近づいてくる気配を感知することくらいはたやすい。

 せっかくゆっくり休める場所を手に入れたと思っていたのに、とカイは不満に顔をしかめる。

 『巣』の中で丸まっていた体をわずかによじって、彼は外の様子をうかがった。


 背中をつかまれた女が転びかかった。

 鍛えた男が二人、その女へとのしかかろうとする。小さく、幼いその体は乱暴に耐えられそうにはない。成長しきっていないからだ。

 あのような男たちに詰めかかられては、死ぬだろうな、とカイは思う。

 まさに今、その女は死の淵に立っていた。それでも決してあきらめてはいない。なんとかして逃げのびようと地面をひっかいている。

 とはいえ、幼い腕ではやはり大人の男に何の影響も与えない。虚弱だった。

 男はその無駄な行為を簡単にいなし、女が疲れるのを待っているように見える。力の差がありすぎた。

 そこに後ろから追いついてきたもう一人の兵士が近寄っていく。そして抱えていた荷物を見せた。

 女よりももっと幼い、少年の死体だった。必要ないほどにあちこちを切り裂かれていた。


 その幼い少年は、近しい人物であったに違いない。

 女は衝撃を受け、目を見開いて固まった。それから少年の体を取り返そうと、暴れて手を伸ばす。だが、男たちはげらげらと笑ってそれを振り払ってしまった。

 面白半分に振り回した手が女を叩く。それだけで女はの弱い腕は簡単に圧し折られた。

 腕が折れても女は抵抗をやめなかった。そこで今度は男たちも拳で殴りつけた。鼻が折れて血を噴いた。顔が腫れあがる。

 それでも女をしつけるための暴力は止まらなかった。

 彼らはカイに見られているということには、まったく気づいていないようだった。

 人間とは醜悪なものだな、とレッサードラゴンのカイは思った。

 竜と、人間のかかわりはそれほど深くない。人間たちが群れて、その小賢しさから様々に強敵に抗っていることは知っていたが、その程度では竜にはかなわない。

 だからカイとて、彼らとかかわるつもりもない。ただ、自分が死ぬまでのわずかな間、土地を間借りしているだけのつもりだったのだ。

 そんな人間たちが勝手に争って、殺し合いなどしている。

 それがどうしたというのか。勝手にやるがいい。カイは本気でそう考えていた。目をそらして、どうにでもしていろと思った。それほど、竜にとって人間は脆弱であり、格下なのだ。

 あまり目障りになるようなら考えるが、勝手に殺し合いをするだけなら、このまま放置しようと考えていた。


「返せ」


 そんな声が聞こえるまでは、そうだった。

 カイは、目を向けた。

 女をとらえ、兵士は無理にもそれを押し倒そうとしている。

 圧し折れた腕でどうにか戦おうともがく女を、脚で地面に押し付けようとするのは、大の男だ。大人の体重がもろに、女の腹を貫こうとしている。

 それでも、女は抵抗をやめていなかった。自分を拘束しようとする男たちの腕や体を、引っかき、噛みついても逃れようとしていた。爪がはがれて血が噴き出しても、肘で敵を叩いた。腕が折れても、身体をよじって体力の限りに相手を振りほどこうとした。

 レッサードラゴンのカイはこれを見た。まるでかなわないはずの大人の男に対して、少女が戦いをするところをだ。理不尽なほどの身勝手な攻撃への抵抗を。


「大人しくしろよ」


 抵抗むなしく、ついに兵士は女を強引に抑え込んで組み伏せた。

 どれほど暴れても組みほどけないように、抑え込まれてしまったのだ。女は負けた。

 もう抵抗できないように、しばらく彼女は殴りつけられた。女がぐったりしてしまうと兵士たちは当然の権利として、行為を開始しようとする。最後の誇りまで奪い去って、中まで汚し尽くそうとしているのだ。


「せめて死ぬ前に女の喜びを感じさせてやろうっていうんだ。もっと泣いてもいいんだぜ」

「あとがつかえてるから早くしろよな」


 下卑た笑い声を出しながら下半身を握りしめ、女の尻へと近づく。


 レッサードラゴンのカイには、それがひどく醜いものに見えた。彼は一歩踏み出し、爪を振った。

 それだけで、兵士の一人は首を消し飛ばされた。

 首から下は残っているものの、血も出ない。やがて膝が折れて、残された体が倒れた。

 

 もう一人の兵士は目を疑った。そして、周囲を見回す。敵がどこかに潜んでいるのではないかと思ったからだ。

 そこで彼は、自分たちの身長よりも数倍高い位置から見下ろす恐怖の竜に気づく。


 カイからすれば、ただ突っ立って見下ろしているだけにすぎない。だが、その体は人間はもとより、熊などもはるかに凌駕する巨体なのだ。

 そしてその眼光は、鋭かった。睨みすくめる視線が、帝国兵を襲っていた。


 いったい、いつの間にこんな化け物が!


 彼はそのように言いたかったかもしれないが、事実は逆だ。カイのほうこそ、兵士たちに接近されて困っていたのだ。

 咄嗟に銃を引き抜こうと兵士がもがく。話し合いなど通用しないということを本能的に察したからだ。すぐに撃つつもりだった。

 この兵士の行動はほとんど反射的なものだといってよかったが、それよりもカイの動きは速い。カイは、軽く爪を下した。

 巨大な爪が、残った兵士の頭の上に降りていく。それを避けることもできずに、その帝国兵は震えるだけであった。まるで鉄骨のような重みをもって、爪がゆっくりと降りていく。押しつぶされるように兵士は、地面に倒れこんでしまった。


「あ、あがっ」


 あまりにも凄まじい力強さに、帝国兵は何も抵抗ができなかった。その頭に、ゆっくりと竜の爪が迫っていく。


「あああがががが! た、たすけ、たすけてっ」


 そんなことを言う間に、爪はその帝国兵の頭を押しつぶした。頭蓋骨が砕けて、中身がその場に飛び散っていく。

 ほんのわずかな間に、兵士たちは死んでしまったのだ。

 彼らに組み伏せられていたはずの女は、自由になったにもかかわらず起き上がらなかった。

 カイは女の様子を見やる。

 彼の予想より、女はずっと若かった。その体躯は近くで見るとより小さく見える。幼い。兵士たちに組み伏せられたところで、もう体力も気力も限界だったのだろう。

 怪我もひどかった。片目から血を流し、左腕は妙な方向へ曲がっていた。両足もおそらく、大人の体重でのしかかられて、折れている。あばらもいくらかは圧し折れているだろうし、まともに動きそうな右腕も爪がはがれ、指が潰れている。

 文字通り血の涙を流す少女を、カイは観察するような気持ちで見つめる。すでに死にかかっているのだ。放っておけば、一時間も持たずに死ぬだろう。

 ところがしばらくすると、彼女はどうにか動こうと試み始めた。

 歩くということはもちろん、這うという言葉にすら値しない動きだ。もがいているというのが正しい。

 少女はただ、必死に手を伸ばしていた。まともに動きもしないその体をどうにか使って、ここから逃げ出そうとしている。生き延びようとしているのだ。


 カイの前にいる小さな女は、混乱していた。混乱しながらも、どうにか動こうと努力している。

 だが疲労という言葉では足りないほど、体力も気力も使い果たしている。その上あちこちの骨が折れ、片目が潰れかけ、指先が挫滅している。

 率直に言って傷は深く、それが回復することは今後ないであろう。死がすぐそこに迫っていた。

 レッサードラゴンのカイは、彼女の苦痛を想像してみた。普通なら、その場から動けないはずだ。そうして、寒さの中に埋もれて死んでいくはず。

 なのに、この女は動いていて、生き延びようと必死だった。これが、カイには驚きだった。


「おどろいたぞ、女。お前はまだ生き延びるつもりか」


 女は答えない。必死に腕を突っ張り、無理にも体を動かそうとしている。憤激と絶望に染まった目をもって、生きていた。

 ここは、あたたかな南国の海などではない。冷たい風が吹きすさぶ山中だ。死ぬほど寒い、というわけではないが今の女には酷な温度だ。

 それでも女は死んでいなかった。何より、あきらめていなかった。死にゆく身体を引きずって、必死に逃げ延びようとしている。


 人間を相手にしては無敵を誇るレッサードラゴンのカイだが、竜の中では格下の存在である。上位の竜から攻撃を受け、カイはこのような人の近くへと逃げ出してきた。

 レッサードラゴンとて竜であり、人間に討たれるようなことはまずない。だが、彼の住処をおった竜は彼を放置しないだろう。余計な遺恨を残さぬよう、こちらを追ってくると予見されている。

 とはいえ竜の寿命は長い。カイの住処を奪った竜はひとまず満足し、数十年はそこで過ごすことだろう。その間、カイは自由に生きることができる。

 力をつけ、いずれくる上位の竜に対抗しようという考えもないではなかったが、たかだか数十年程度の蓄積でひっくり返せるとは到底思えなかった。だから、カイは遠からず死ぬという予感をほとんど疑っていない。

 十分に予見できていることであり、そういう気もするのだ。否定のしようがなかった。

 いずれ、カイもこの女のように無残な姿をさらすことになるのだ。

 そのとき自分は果たして、この女のように最後まで生き延びようとあがいていられるだろうか。


「ふむ」


 カイは、娘を助けてやる気になっていた。

 このまま死ぬまで見届けはしない。まるで将来の自分を見殺しにするようで気分が悪かったからだ。女はもうずっと必死に這いずっている。のろのろした動きではあったが、わずかにカイから遠ざかっている。わずかに指一本分ほどの距離を、必死にだ。

 立派なものだ。すばらしい心だ。根性だ。

 尊い、とカイは感じていた。自分にはそうまでして死に対して抗えない。苦しまないように死なせてほしいものだと思ってさえいる。

 自分にはできないことを、この娘はしたのだ。


 最後の最後まであきらめずに力をこめて立ち上がろう、逃げ延びようと頑張る意識をもった娘だ。

 この娘を助けることは、できる。

 命だけは。

 だが、命以外のことは面倒をみきれない。

 意を決して、カイは声を落とした。


「聞くがいい、女。お前がもしも生きることを諦めないのならば」

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