邪竜と帝国軍
会議室では帝国軍の高位将校が顔をそろえ、報告書に目を通していた。
全員が大体読み終えたと見るや、ひとりの男が立ち上がり、誰の許可も得ずに発言した。この男にはそれが許されている。
「おおよそ、事態はわかっていただけたかと思います。
我々が王国の占領を目指して派遣した10万ほどの軍は、完膚なきまでに破壊され、逃げ延びて戻ってこれた者はほとんどいません。見逃されてきた1000名ほどの慰安部隊を除いてね。彼女たちは次の任務についてもらう予定でしたが、二度と戦地へは行きたくないと言い張って、退職してしまいました。その前にもちろん、何を見てきたのかは吸い上げておりますが。
その報告は別にまとめております。あえて言うまでもありますまいが、あえて口にするなら完敗であります。
完全な勝利を目指して私たちが派遣した栄えある帝国軍三個師団、その全人員が死亡するという結末をもって、我々の攻勢はまず完全敗北の形で終わりました。
さて、慰安部隊の女たちは退職したとはいえ軍事機密を握る者。ましてや三個師団全滅などという汚名を言いふらされても困るというもの。
彼女らの処置をまずは話し合いたいところですな。
ま、私としては全員処断する方向で進めていくのが妥当かと考えておりますが」
この男は軍令部総長である。同時にまた、皇太子でもある。
彼は軍事的知識を豊富に持ち、対魔物、対人を問わずに戦闘の経験もかなりあった。また民衆の信頼も厚い。
果断な性格ではあったが、目的のために手段を択ばない気質の人間でもあった。
「兵士を三個師団も失ったというのに、この上貴重な慰安部隊を処断すると申されるか、皇太子殿下。それは考え直されたほうがよろしい。
彼女らは戦場の悲惨を見て恐れているのでしょうから、帝国内の安全な地で働いてもらえばよろしい。何も慰安部隊だからと言って夜の仕事ばかりをするわけではあるまい。
女がいるだけで、兵士たちの心は安らいでいくものだ。人間は使い捨てにするものではござるまい」
と、反対意見を述べたのは軍の財政を取り仕切る男だ。
彼は少なくとも、合理的な理由がなければ部下を死なせるような命令を出さないし、それを許さない。
皇太子はうむ、と満足げに頷いた。
「財務卿が言うならば、そのとおりにしたほうがよいかもしれません。ですが、情報統制は必要でしょう。
彼女らの管理は徹底して行っていかなくてはなりません。不意なところから余計な情報が洩れて、兵士らの士気が下がってはたいへんです」
丁寧な言葉づかいではあったが、皇太子の声には高圧的な色がこもっていた。
彼は他人を自分の思い通りに動かさねば、気のすまぬ性格である。
「まあ、その点はご提案いただいた財務卿にお任せいたしましょう。
本題ですが、その『竜の子』は今どこにおられるのでしょうね。
帝国本営をたった一人で叩き潰し、我が三個師団を消し飛ばした『竜の子』。
その災いの種をどうにかせねば、他の国にちょっかいをかけるどころの話ではありますまい。どうにかして竜と『竜の子』を殺さねば我が帝国軍の安寧はございません。
何しろ」
そこで皇太子は全員を見つめてこう言い放った。
「彼女には説得も、謝罪も、交渉も効かないと明言されておりますので、本当に帝国を恨んでいるのでしょう。
不幸にして、彼女と我々の間には何らかの大きな誤解があると思われますから、こちらとしても引き続き対話を求めていくことは必要でしょうが、一方では軍の被害は大きなものとなっておりますし、彼女を武力で排除することをも視野に入れざるを得ません。そこで本日は、竜の生態に詳しいジャルー博士にお越しいただいております」
ジャルーと呼ばれた人物は、そこでやっと立ち上がり、軽く一礼をした。
驚いたことに見目麗しい女性であり、皇太子を除いたほとんどの面々が年季を重ねた男性である中、異彩を放っている。まだ10代と見えてもおかしくはない。
だが、口を開いたジャルーは厳かな雰囲気を崩さず、淡々と話しを始める。
「今回、お招きいただいたジャルーと申す。帝国軍の運命を担う重鎮に囲まれ、緊張のあまりに肩肘が凝ってしまいそうだ。
さて帝国には竜によって多大な被害が出ていると聞いていたが、この資料を見る限りでは竜の中ではさほど強い種族のものではなさそうにみえる。
おそらく力を得たマイナードラゴンか、レッサードラゴンといったところだろう。私はそのように見ている」
「ほう、竜にも色々と種類がござるか」
と、財務卿が感心したように応じた。
博識な帝国の軍人とはいえども、竜という存在は人類からは縁遠い。竜がいくらかの種族に分類されることすら、彼らは知らなかった。
ジャルーはそれにうなづき、簡単な説明を入れた。
「しかり。竜というのは、帝国においては大型であり翼を備える魔物の総称のようなものとなっている。
しかしながら正確には、竜とは呼ばれているがその要件を満たさぬ者も多し。一例とっていえば、帝国東の東部地方都市にて年何頭か討伐される竜たち。
彼らはドラゴンピアッサーなる銃で空飛ぶ魔物を撃ち殺しているが、あれらは竜ではない。竜より下等、俗にドレイクと呼ばれるものだ。
竜はドレイクよりも上等であり、ドレイクを殺せる銃を持っていたとしても、竜には通じまい」
「なるほど、そうであったか。われらはあれが竜の強さの指針となると考えていた。
だがあれを基準としたのは間違いであったらしいな。ならばジャルー博士、本物の竜の強さを教えてもらいたい」
皇太子の言葉にジャルーは頷きを返した。
「竜の強さは多岐にわたる。そこでおそらく今度の事件を起こしている竜、レッサードラゴンのことについて話をいたそう。
このレッサードラゴンは竜の中では大した強さではないが、それでも人間の作った武器、剣や槍はもちろんのこと、銃でも傷をつけることは難しかろう。その爪が振るわれれば岩をも切り裂き、牙を開けば鉄をも噛み千切るであろう。だがこの竜は竜種最大の武器であるブレスを噴けぬ。グレータードラゴンなどにもなれば、口から強力な火炎のブレスを吐き出し、石材などを飴細工のように溶かすであろう。だが、このレッサードラゴンにはそのような武器がない。もしも魔法的ななんらかの力を得たなら命と引き換えに一度くらいは噴けるかもしれないが、計算に入れるには及ばないであろう。
以上もって考えるに、帝国の技術で作られている大火力部隊の攻勢ならば鱗を突き破り竜の命を絶やすことかなうであろう。問題はそれをうまく運用するために、まずは敵の攻撃をいなさねばならぬ。
そして何より、現状は竜の攻勢はいうほど来てはおらず、むしろ『竜の子』が攻めてくる場合が多いということであろうか」
「そのとおりだ、ジャルー博士。
そこまでわかっているのなら、『竜の子』について知っていることをも教えてはくれまいか」
「実は、レッサードラゴンが『竜の子』を従えているという事例は過去にはない。が、竜の血を浴びた者があのような恐ろしい力を得るということは古来から伝えられてきたことであって、わずかではあるが、実例も示されている」
「ほお」
何人かの帝国将校が身を乗り出した。竜の血を浴びることができれば、あのような力を得るというのだ。
となれば当然、帝国兵の何人かも竜の血を得て強化すればいいのである。そうすれば、数の力で勝てるはずだった。簡単な理屈だ。
「では、もしや帝国兵らに竜の血を分け与えれば我々も『竜の子』を得られるということかね。血を浴びればよいのか?」
「お試しになられるか、皇太子殿下。大変な苦痛を味わい、しかもあのように元気に暴れまわるほどの力を得られるものは、稀とのことだが」
「竜の血はあるのかね。やってみる価値はあるだろう」
「推奨はできぬが」
ジャルーはそこで少しだけ笑った。彼女は皇太子に敬語も使わずニヤついているが、誰にも咎められない。
今や帝国軍の将校たちも、竜についてジャルー以上に詳しい人間に心当たりはなかったからである。彼女にしかもう頼れないのだ。
「幼児にウォッカを飲ませるようなもの。それに耐えきれたものだけを兵士にするという考えでおられるなら、してもよろしいが」
「かまわん、志願者を募る。あれほど奴は殺したのだから、恨みに思う者もいよう。そのうちの一人でも成功したとなれば、それだけで我々は彼奴らと同じだけの戦力を得ることになる」
「なるほど、そうまで言われるなら」
彼女は笑ったままで頷き、
「想像を絶する苦悶に耐えた者だけが、『竜の子』となりうるという。帝国軍の皆様がどれほどのものか拝見しよう」
挑戦的な言葉を投げたのだった。