後始末
少したってから、次の帝国兵が連れてこられた。
イルはその帝国兵の顔にも見覚えがあった。彼もまた、イルの故郷を滅ぼすのに直接的なかかわりをもっている。
実は、ここにいる捕虜となった帝国兵の多くは、イルの山村を襲った者である。
彼らはたちはイルの宣戦を聞いてすぐに「これは自分たちのことを言っている」と気づいた。ゆえに彼らは竜と竜の子を人一倍に恐れていたのである。彼らは竜の子と相対することを避けたいばかりに脱走兵となり、今やこうしておめおめと捕虜となって生き延びていたのだ。
そこに竜の子本人、イルがやってきてしまうとは彼らも全く思っていなかった。王国にとらわれたので、安心だとすら考えていた。
したがって彼らはイルが竜の子だと気づいた途端、苛烈な拷問や虐待を想定して異常な怯え方をした。多くの者が失禁し、なりふり構わずその場を逃げ出そうとする者まであった。
これに対してイルはといえば、怒髪天を衝いたり、暴言を吐いたりということもない。
あくまでも「先に死んだ者もお前たちがひどく苦しんで死ぬのを望んでいるから、お前たちにそうしなくては」という態度で、冷淡に処理していった。
帝国兵たちの想定に違わず、そのさまは極めて残酷であり、酸鼻を極めた。臓物と強姦に溢れた戦場を見て育ったアザリですら、あまりの光景に目を背け、我慢できずに吐き戻したほどだった。
気丈なアザリをしてそうなのだ。司令官のギイはなんとかして情報を集めるという名目からここにいるので逃げ出すこともできず、何度も吐き戻しながら意地でその場に立っている。
捕虜たちを連れてくる王国兵に至っては交代を必要とした。
捕虜は総勢で12名いるが、半数の処刑を終えたところでもう裏手の空き地は地獄絵図と化している。
7人目の捕虜が連れてこられたが、凄まじい悪臭がまずあいさつ代わりに彼を包み込む。驚愕する暇もなく、視界に飛び込んでくるのは鮮血で染まった地面。ついでそこに散らばって後片付けもされずにいるばらばらの指、爪、手足、人体の一部、内臓。
恐れおののきながらも強引に体は前に進められる。そうすると聞きなれた音が聞こえるのだ。新式銃にクリップを装填する音が。
ここで帝国兵の足は止まる。前に進んだら、死しか待っていないと感知したからだ。
任務に真剣忠実な王国兵たちはそれでも捕虜を現場に連れて行こうとする。押し合いをしながら彼らは進み、ついに帝国兵は見てしまうのだ。苦悶と恐怖を骨の髄まで味わいながら死んだ、捕虜たちの姿を。
「ぎゃああぁ!」
パニックを起こし、半分白目をむきながら彼はその場から逃げようとし、足をもつれさせて倒れこんでしまう。
もちろん彼の両腕は拘束されているので、簡単に起き上がることはできない。しかしもがく彼の前に、少しばかりやつれてはいるものの、美しい顔の女性が現れる。
おお、おお……。
死地をくぐった彼からしてみれば、その女はまさに救いの天使に見えた。天使が彼のおびえた顔に触れ、慰めの言葉をかけてくださる。
「何をそんなに怖がることがある。我々はお前たちを必ずしも、苦しめて殺そうなどとは考えていないのだ。
少し尋問するだけだ。それがすめばもうあの建物には戻さないし、王国軍はお前に干渉しないと約束してやれる。いいか、我々はお前を殺そうとは決して思っていない。安心しな」
「あが、ばば……」
口も震えて言葉にもならない何かを発しながら、帝国兵はバラバラになっている死体を指さして訴える。
あれはなんだ、自分もあのようになるのではないか、と。
「あれはあの者たちが愚かだっただけだ。ちゃんと質問に答えてくれれば、我々は君に干渉しないと約束する。
君は愚かではないと期待している。いいか?」
落ち着いた風の男性も現れ、帝国兵に声をかけてくる。かなり地位の高い人物にみえる。彼が自分を自由にするというのだから、落ち着いてもいいのかもしれない。
帝国兵は張り裂けんばかりに鳴り響く心臓をおさえようとし、なんとか落ち着こうと試みた。
「わ、わかっ……。質問、という、のは?」
彼は息も絶え絶えに、尋問とやらを早く終わらせようとした。女性に優しく肩を支えられ、彼は安心を強めている。
「なあに簡単なことだ。君の知る限りの情報を話してもらいたい。特に軍の動き、兵士の構成、噂話、軍事機密、その他もろもろ。さあ話してくれ。
わが軍では生憎、帝国のような録音機械は普及していないが、速記術に長けた者が二名もいる。さあ遠慮なく話してくれたまえ」
「あ、ああぅ」
なんとか彼は有用な情報を話すことで逃げ延びられるようにと、思いつく限りの軍事情報を話した。
もう話したと思われることでも、くだらないと思うような噂話でも、なんでもかんでも思いついたものはまとまらないままでもとにかく口にした。
そうしていないと不安だった。自分がいつ、あの散らばった指や手足の仲間入りをするのかと思うともうたまらないのである。
「だめだな」
と、不意に彼を支えていた天使が口にした。
何がダメなのだろうか。こんなにも必死に情報を話しているというのに、何が不満だというのか?
「大したことは知っているように見えないし、もう十分。司令官、もういいのでしょう」
「そうだな」
天使の言葉に、身分の高い男も応じてしまった。となると、自分はどうなるのか?
「よく話してくれたな。君に聞きたいことは終わった。さて、約束通り私たちはもうお前に干渉しない。歩けるならそちらへ行くがい、出口は少し先だが、そこを抜けたのなら君は自由の身だ。さようならだ」
「あ、ああ。さ、さようなら?」
わけもわからないまま解放されて、男は促されるように臓物の散らばる赤い地面へと足を進めた。
王国軍はもう干渉しないということだったので、情報を話したことが報われたのだろうか。とにかく逃げて、帝国に帰らなくては。
彼はまだドクドクと高鳴っている心臓を押さえつけながら血に染まった地面を踏みつけて恐々と先に進んだ。
そこでは、ズタズタになったコートを着込んだ女児が、新式銃をもって立っていた。
「こんにちは。あなたは、帝国兵?」
帝国兵の捕虜は、そこで自分の命運を知った。
もうまともな声も出ない。
間違いなく、この子供こそが『竜の子』なのだ。
あの天使とあの男は、『自分たちは』干渉しないと言った。この子供が自分を殺すことにも、干渉しないつもりなのだ!
そしておそらく、この周囲に散らばった人体のかけらも自分と同じようにして殺されたに違いない。間違いない。
「あなたにとっては残念でしょうけど、私はあなたをうんと苦しめて殺さないといけない。
私はあなたの顔に見覚えがあって、あの山村で無抵抗の子供にずいぶんひどいことをした人だって思っている。
少なくともあの子供が味わったくらいの恐怖と痛みと絶望の中であなたには死んでもらわないと、不公平でしょう。
あらためて言うけれど、今から急いで反省しても、懺悔しても、とぼけたふりをしても無駄だから。交渉も、謝罪も受け付けない。
私はもう、あなたの軍の偉い人にそういう風に言ってあるから、撤回するわけにもいかない。だから、あなたには選択肢はない。
さようなら、今のうちに何か言いたいことがあったら言っておいたほうがいいと思うけど、何かある?」
淡々と『竜の子』が話すのを聞いて、帝国兵は失禁しながら逃走を試みた。二歩目を踏み出さないうちに彼の右膝が銃弾に貫かれ、役目を果たさなくなる。
彼は少しずつ殺され、大いに苦しんだ挙句数十分ほどかけてようやく死に至った。
「見るに堪えんな」
ギイ司令官はこみ上げる胃液を無理やり飲み込み、アザリに愚痴った。
「そうですね」
吐くもののなくなったアザリも同じ感想だった。さすがにうんざりしてきたところである。
だが、イルは疲れてすらいないようだ。粛々と処理し、挽肉を量産している。
こうした光景があと、5回も繰り返されるのだ。
全くやりきれないとばかりにギイ司令官は水をあおった。どうせ吐き戻してしまうわけだが、何か胃に入っていなければ苦痛が大きい。喉が焼ける。
夕暮れになってようやくすべてが終わった。後始末が大変そうだ。
その甲斐もなく、ろくな情報は得られなかった。捕虜たちは大した身分ではなかったのだ。
「ところで、イル。あなたずいぶん汚れたわね。シャワーでも浴びていきなさい。服も洗ってあげる」
ギイ司令官が頭痛のあまりに引っ込んでしまった後、さっさと帰ろうとしているイルへアザリが声をかけた。
返り血でコートはもうひどいありさまだった。イルの顔や髪もどす黒い赤に染まって、愛らしい部分が消えている。
「帰ってから、山で水浴びするつもり」
イルはそんなことを言って家路を急ごうとしているが、もちろんそんなことは許されなかった。
慰安部隊をまとめているアザリは、子供であろうとも女であるイルが汚い身なりをしていることは許せないのだ。
「ダメ。冷たい水なんかでこすったら髪が痛むじゃない。そのコートや帽子も、ボロボロじゃない! ちゃんと洗って、繕う! 私がしてあげる。
そこのあなた、お風呂を沸かして。それとサウティを呼んできなさい。急いで!」
「でも、私は別にアザリには何もしてない。ここの後片付けも任せて帰るつもりなのに、してもらうばかりじゃ」
不公平じゃないのか、と。イルはそう言いたいのだろうか。
何もしてないということはないだろうに。
王国に迫っていた帝国軍を丸ごとぶっ潰したのである。さしたる被害もなくだ。これで、なんで何もしてないなどと言えるのだろうか。
「私たちの兵士が一人も死なないで済んだのよ、あなたが帝国兵を全部殺してくれたおかげで。
少なくとも私やサウティは、向こう10年くらいあなたの奴隷になっても仕方ない、そのくらいあなたには功績がある。王国の民の一人としてね」
「そう。じゃあ、お世話になる」
「素直ね」
いい子よ、とアザリは笑った。イルは笑いもしないで椅子に腰かけたが、その椅子は軋みをたててゆがみ、ついには壊れてイルの体を投げ出した。
「あっ。イル、大丈夫?」
あわてたアザリが駆け寄る。
が、間抜けな転び方をしたイルは痛がる様子もばつの悪さを気にする様子もなく「エマ」、と何かの名を呼ぶ。すると黒い鳥が空から飛んできて、彼女の差し出した腕につかまった。
鷹のような鋭いくちばしと翼をもった、真っ黒な鳥である。
「私は平気」
心配して抱き起こそうとまでしてくるアザリに目を向けてそう言ってから、イルは黒い鳥に何かささやいた。「行って」と、熟練の鷹匠のように彼を投げると、鳥はスイと飛び立った。
帝国に向けて飛んでいくそれを、思わず見送る。
「イル、あれは?」
「お友達。色々と便利に動いてくれるの、エマも人間が憎たらしいって言ってる」
「エマ? あの鳥の名前?」
「そう、私が名付けた。強くて便利、信頼できる」
「へえ、そうなんだ」
アザリは呆然とその鳥が小さくなっていくのを見届けた。
「魔物じゃないの」
「魔物だけど」
竜以外にもとんだ魔物を味方にしているものだ、とアザリは思う。
実際、影魔という魔物はあまり知られていない。特に王国ではそうだ。
帝国では事情が違う。昔には人里近くにも出没していたのだ。しかしその黒い身体と不気味さから嫌われ、火をもって追い払われたということがある。このため影魔たちも人を避けて高山に逃げたのだ。
この影魔は帝国において病魔のもととされた時期があり、かなり嫌われている。物理的な衝撃をほとんど受け付けない影魔のために火炎を放射する特別な兵器をわざわざ開発し、人里から徹底的に駆逐した。
イルが見つけた影魔が弱っていたのは、人里近くに降りた時に帝国人に発見され、火炎放射器で追い込まれたからなのだ。彼は命からがら高山に逃げて、回復を待っていたところであった。
そこでイルに連れていかれたのだが、彼女と行動を共にして、帝国兵がバタバタと殺されていく様子を見た。あっけなく彼らを殺していくイルを見た。
影魔はそれですっかり、イルに気を許してしまったのである。
いまや影魔はイルのために帝国に飛んでその様子を偵察してくるようなこともしてくれる。
彼は帝国人を激しく憎んでいる。もっと死ね、もっと死ねと憎悪で行動している。
だから彼は、たったさっき地上に作られた帝国兵の臓物で彩られた地獄のような光景にも、満足しているのであった。