捕虜など必要ない
帝国兵のほとんどは殺されてしまった。
わずかな者が王国側に逃げ込み、降伏兵として捕らえられたが、生き残った者はそれだけである。戦いが始まってから三日であれほどいた帝国兵は死体となり、前線基地は廃墟と化し、軍は徹底的に破壊されていた。
こうなってしまっては、たとえ生き残った者がいるにしても組織的な行動などできない。上からの連絡を受け取るための通信機の類も破壊されつくしているので、彼らにはもうどうすることもできないはずだ。事実上の全滅であり、壊滅だった。
降伏した兵士は生き延びたとはいえるが、結局は命惜しさに敵前逃亡を選んだ脱走兵がどうにか逃げ延び、敵国の捕虜となって死を免れたというだけである。
王国軍としても、彼らの扱いには困るものがある。捕虜となった帝国兵の数はそれほど多いものではなかったが、竜の子との約束もあってどうしたものかわからない。
『帝国軍に対して手出しをするな』とは言われたが、『捕虜をとるな』『殺すな』とは言われていないので、降伏してきた帝国兵を殺したとしても問題はないかもしれない。だが、ここでは竜の子の機嫌を少しでも損ねるのはまずい。
ギイ司令官には色々と思惑もあったが、数日ほどは何もしなかった。彼らにただ食っちゃ寝の生活をさせただけである。
しばらくのあいだは最低限の見張りをつけて、拷問も強制労働もしない放置体制をおいたが、帝国からも、竜の子からも何の連絡もない。捕虜のことは一応調べているが、間違いなく全員男性であり、ハンナ・フォードという帝国兵が紛れている心配もない。その点は安心していたが、いつまでもこのままというわけにもいかなかった。
斥候を飛ばし、敵の前線基地を確認させてみた。基地のあったあたりは死体だらけで手の付けようもないという。そのまま放置して腐るに任せるというわけにもいかない。王国の国土が死体だらけというのではまずいし、疫病のもとにもなる。
何もしないでいられる段階はもう過ぎた。ギイ司令官は竜の子と一番親しいと思われるアザリを呼んだ。
呼びつけられたアザリは「また面倒な」という顔をしていたが、それでも時間通りにやってきた。彼女に捕虜の数を告げ、どうするべきか相談してみる。
「こんなに捕虜がいるのですか。我々は戦ってもいないのに」
ちょっとの間、にらみ合っていただけでこんなにも捕虜が手に入るというのは前代未聞である。アザリが驚くのも無理のないことだ。
「感想を聞いているんじゃない。あの子は我々に手を出すなと言っていたが、捕虜の扱いについては未定だった。
本来的にはそのあたりも詰めておくべきだったが、あのときこうなることを予想できたものはいなかった。それに正直なところを言うと、竜の大きさを目の当たりにして我々は冷静さを欠いていた。
そもそも敵は帝国兵だ。離散するにしても帝国側に逃げていくのがスジだろうに、まさかこちら側に逃げてきてしまうとは。
そのあたりを少しつついてみたところでは竜がどうとか言っているが、詳細はわからないままだ。
こういう状況を受けて、我々はどうすればいいと思うね」
「とりあえず生かしておけば、ある程度の尋問は許されるでしょう。殺さないようにだけ気を付けておけば問題ないはず。
私に相談しなくとも、司令官ならおわかりになったのでは」
「勿論だ。が、お前ならあの竜の子にそれほど嫌な顔をされずに伝えてくれるだろう?」
まあそうですが、とアザリは言いかかった。
その前に、部下の一人がその場に飛んできて、こう言った。
「司令官、竜が来ました。子供もいます」
イルだ。
ギイとアザリは顔を見合わせた。
「来たようだな。では直接聞くしかあるまい」
「そのようにしましょう」
ほどなく、捕虜の収容所にイルがあらわれた。
錆びたような色になったコートはもうズタズタだった。元の色がわからないようなバサバサになった髪を無理やりに帽子でまとめているが、その帽子も穴が開いている。顔にも血糊がべっとりと張り付いたままだが、当人は気にもしていないようにツカツカとやってきた。
たったひとりで帝国軍の前線基地を叩き潰した、そのままの格好なのだ。服を着替えることも、体を洗うこともしないでここへやってきたのだろう、とアザリは思う。
血の匂いがする。それもひどく濃厚なものだ。
そこの角で何人か殴り殺してきた、と言われても信じられるほどにはひどい匂いだった。まさしく、死神のような。
「ギイ司令官、帝国兵を捕まえたと聞いているけれど」
「そうだ。君からは捕虜に関してどう扱うとも聞いていなかったし、我々もまた、捕虜を得るとは考えていなかった。
どうしたものかと思案していたところだ。何か彼らに対して要望はあるかな」
イルは顔色一つ変えずに答えた。
「私はすべての帝国兵の命を奪うことを目標にしてる。私に殺させてもらいたい」
「わかった、それもいいだろう。だが、我々としては彼らから情報を得たい。今までも少し話をしたが、彼らからはまだ大した情報を得られていないのだ」
「それで?」
「つまり、可能なら我々も彼らの処刑に立ち会いたい。そのうえで、情報を得られそうなら質問をすることを許してもらいたい」
「かまわないけど、私は彼らを殺したいときに殺す。そのことに文句は言わないでほしい」
「勿論だ」
頷いたものの、ギイは心の中では溜息を吐いている。
この子供はやはりあまりにも帝国兵に対する恨みが強い。殺すことしか考えていないのだ。
それではいけない。あまりにも無駄がでる。誰も、焦土と化した帝国を手に入れたいとは思っていないのだ。なんとかしなければ。
とはいえぐずぐずしていて不興を買うわけにもいかない。板挟みだった。
「よし、すぐに面会させよう。こっちへ来てくれ」
ギイ司令官は自ら、捕虜たちのところへイルを連れていく。その間彼はずっと何かいい考えが出ないかと考えていたが、焦りすぎていたせいかうまい案は思いつかなかった。
何の手立ても浮かばないまま、目的地についてしまった。
裏手にある、空き地だ。屋根すらない。
「ここへ一人ずつ連れてくる。そのあとは、お好きなように」
その言葉どおり、何名かの王国兵が捕虜を連れてきた。一人ずつ。
捕虜となっていた帝国兵たちは数日間大した尋問もされずに放置されていたこともあり、死の恐怖を忘れかかっていたところである。このまま本国に送還されるか、あるいは簡単な労働をさせられるか、いずれにしても殺されはしないだろうと思い始めていた。そこへこれである。
一人ひとり裏手の空き地へ連れられて行くということになった。いかにも処刑が始まるという感じなのだ。
死を忘れていた彼らも当然ながら自分たちが殺されても仕方のない身分であることを思い出し、自分も一巻の終わりかと世をはかなみ絶望し、自分では歩けずに王国兵に無理やり引きずられているようなありさまだった。
このような一人ずつ面接させるような格好に仕組んだのには理由がある。どれほどイルが激高して理性を見失っても、その場で捕虜を全員殺すということができないように。
ギイは彼らから情報を得ることを諦めてはいないのだ。
「立っていたら、疲れるでしょう。座って」
気を遣ってアザリが持ってきたのは簡素なつくりの椅子だったが、イルは座らない。
「アザリこそ座って。私は、平気だから」
「私は、立場上座ってたらまずいから。まあ疲れてないならいいけど、何かあったら私たちができるだけのことはするよ」
「わかった。で、あれが帝国兵の捕虜?」
「そうね」
王国兵が連れてきたのは、今にも泣きそうな表情をしながらも、粗野な性格が透けて見えるような髭面の男だった。イルはその顔に見覚えがある。
「質問していい?」
彼女はギイ司令官に一言訊ねた。彼が頷くと、イルはこう切り出した。
「あなた、山村でほとんど無抵抗な女の人に乱暴したことがある?」
「い、いや。ない」
「そう」
イルは覚えている。自分たち姉弟によくしてくれた近くに住む優しい女性を。
そして、その女性を容赦なく凌辱して殺した残酷な帝国兵も。
見間違えるはずもない。目の前にいるこの男が、恩人を苦しめて殺したのだ。しかも、それを否定するという卑劣ぶり。
「何度か言っているけど、私は帝国兵が丸ごと凌辱して焼き尽くした山村の生き残りで、そのお返しとして帝国兵を一人残らず殺すつもり。だから、もしも私の故郷の山村を直接手にかけた帝国兵が見つかったら、念入りに苦しめて殺さないといけない」
言いながら、イルは持ってきていた新式銃を手にした。すでにクリップは装填されていて、いつでも撃てる状態だった。
「本当に、ない?」
「ない」
震えながら、帝国兵は首を振った。覚えがあったが、ここで「ある」などと答えてしまっては殺されてしまうと判断していたのだ。
イルは軽く頷いて、それから新式銃を撃った。
銃弾が帝国兵の左膝を撃ち抜き、彼は苦悶の声を上げて倒れる。両脇に立っていた王国兵が彼の体を無理やりに起き上がらせるが、イルはそれを下がらせた。
「立たせなくていい。そのままにしておいて。
ねえ、私は大体あなたたちの言っていることが嘘か本当かくらいは、見分けがつく。
だからもうあなたが何を言っても無駄で、あなたが死ぬことはもう最初から決まっている。だって、私はすべての帝国兵を殺さないといけない。そういうふうに宣言したし、あなたたちの国の偉い人にもそう言って約束した。聞いているかどうかは知らないけれど、私は確かにこう言った。
どんな交渉も受け付けない、妥協もしない。私がすることは、帝国兵を殺すことだけ。私の望みは、全ての帝国兵の命。
だからあなたが殺されまいとして嘘を言ったとしても、反省してごめんなさいと百ぺん繰り返したとしても、同じこと。
さらにいうなら私はあの山村の生き残りで、あなたたちに奪いつくされて死んだ人たちのことを覚えている。
できることならあなたのように直接あの村に手をかけた人には、同じだけの恐怖と苦しみを味わってもらいたい。私はそう願っているし、そうするべきだと思ってる。ましてや、自分がやったことから逃げて、嘘までついて逃れようとしているような下賤な人間なら特に。
そのあたりをふまえて、もう一度聞くけれど」
イルはそこで、やっとアザリが用意した椅子に腰かけた。椅子は壊れなかったが、大きく軋む。
「本当に、あなたはあの山村で乱暴なことをしなかったと、言えるの」