逃げ道をふさぐ者
雷でも落ちたような凄まじい衝撃と音が轟き、集まってきていた兵士たちの一角が崩れた。
目を覆うばかりの激しさで彼らの肉体は損壊し、砕けて散った。少なくとも三人ほどはその衝撃に巻き込まれ、断裂された四肢や頭が飛ぶ。
これまで飛んできていた銃弾とは桁違いに威力の大きな反撃である。
しかもその銃弾は人間を二人ほど貫通したくらいでは全く威力を落とさない。ただ前の兵士たちについて走っているだけの、イルの姿を見ることもできないような兵士にすら致命傷を与え得るのだ。
人間に向けて使うようなことを全く想定されていない、冗談のような破壊力の銃を撃たれた帝国兵たちは、あまりの被害の大きさに戸惑った。
こうもあっけなく人間が挽肉になるとは。上半身が消し飛び、それまで走っていた戦友の下半身が命を失って倒れていく。
次の一瞬、自分がそうなるかもしれない。おそらくそうなる。
だが撤退を指示する人間もいないのでとにかく突っ込むしかなかった。
「憶するな、敵は一人だ」
誰が発したともわからない、この一言が兵士たちを前に進める。敵は一人。一人倒せば、それで悪夢は終わるのだと彼らは信じた。
「敵の……」
指示らしいものを飛ばしかかった人間が、意味のある言葉を紡ぐより先に挽肉のようになって飛んでいく。
帝国兵たちにはそれでも、進む以外になかった。
恐ろしい雷のような銃声が何度もその場を貫き。そのたびに仲間たちが、戦友が、上官が、部下が、人間だった何かに変えられていく。
行かなくてはならない。行かなくては。子供一人、たった一人倒せば。倒すには前へ。前へ行かなくては。
そうして必死に走って前へ行く帝国兵たちの真上から、銃弾の雨が降り注いだ。
イルは迫ってくる帝国兵たちに囲まれるのを避けようと、飛び上がって逃げた。
その前に対竜ライフルを片手で撃ちながら、そこらに転がる死体からクリップポーチを拾い集める。十分な数が集まったところで地面を蹴った。新式銃を手にし、着地もしないうちから撃ちまくっている。
思わぬ方向からの攻撃に帝国兵は対策もなくバタバタと倒れ、物言わぬ骸と化していく。
これが悲劇の始まりである。死体は情報を話すことができないので、後から現場にかけつけてきた兵士たちには状況がわからない。指示をする立場にあるような者は真っ先にイルに撃たれて死んでいるので、最初から最後まで状況を見ていたような者はない。
兵士たちにとっては、何者かの襲撃を受けているという以上の状況は理解できなかった。
どうにか彼らの間に伝わった情報とは、「敵は一人。全員でかかって倒せ」というものだけだ。
冷静に考えれば、敵の銃撃から身を隠し、少しずつ追い詰めるという戦法もとれた。そのほうが被害は少なかっただろうし、他の兵士たちが集まる時間も稼げたはずだった。
しかし彼らにとっては不幸なことに、それを指示するものはなかった。
恐怖の源である子供を一秒でも早く殺して、安心するために彼らは突撃する。
一方で竜の子供にはかなうはずもないと見切りをつけ、さっさと撤退した帝国兵も少なくなかった。
これは敵前逃亡である。重罪であり、知られるようなことがあれば少なくとも懲罰部隊への異動は免れないはずだ。だが、イルが帝国の本営に一人で殴り込み、そして叩き潰したと知っている者は彼女と戦うよりはましだと考えた。
彼らは帝国本土へ戻るべく山越えをしなければならない。
そうするつもりで脱走兵たちは山へ向かった。太陽は地平線に沈まんとしている。日没まで間もないだろう。
夕闇の中、彼らは今までになかったはずの巨大な建造物に気づいた。山に入るためにはこの道を通らなくてはならないのに、まるで立ちふさがるようにそびえたつ、見慣れないものだ。
そして次に、それが建造物ではないということに気づき、頭の良い者はその正体にも思い当たった。
そうだ。
子供が攻めてきているのだから、竜がその近くにいないわけがなかった。この建造物かと思っていたこの巨大なものは。
おお、神よ!
彼らはふだん信じてもいない自分たちの神のことを思い出したようだが、もちろんレッサードラゴンのカイには何も関係のないことだった。
それと気づかずに、隣を抜けて山道へと逃げようとする兵士の何人かを、カイは軽く爪の一撃で迎えてやる。彼らの腰から上の部分が綺麗に消し飛び、細切れになった。人体の破片が後続の兵士たちに降り注ぐ。
この瞬間こそ、脱走兵の全てが、建造物の正体に気づいた瞬間であり、その無慈悲さと強さを知った瞬間でもある。
それでもまだ一人がなんとか竜の脇を抜けようと無駄な努力をした。竜は首を向け、彼の上半身に軽く噛みつく。
噛みつかれた兵士は、首を釣り上げられて全身を支えるような格好になり、全身を痙攣させて小便を漏らす。これだけで致命傷と思われたが、竜は首を離さなかった。
やがて骨が圧し折られるようなバキバキという音が聞こえ、彼の手足から力が抜け落ち、だらりと垂れ下がる。ほどなく、つま先から鮮血が落ちた。
「食われた」
と、誰がどう見てもそのような状況だった。
竜に食われた。帝国兵が。実に残酷な光景だ。帝国兵たちもおおよそこうした残酷な光景は見慣れていたはずだが、竜に食い殺されるというのはさすがに彼らが平気なものではない。
明らかに自分たちより生物としての格が上。そのように思わされた。
確かに、僻地で発生する魔物の中にも人間を食うような輩はいる。それに、熊や狼など人間をも捕食する動物も多い。だが、それらはまだ退治できる範疇の生物である。この目の前にいる竜は、圧倒的な体格と力に満ち満ちており、上から見下ろしてくる。
これは、逆らってはいけない類の生物だと脱走兵たちは認識してしまった。
竜は巨躯をわずかに揺らしながら、前進してきた。同時に軽く爪を振り払う。それだけで、呆然としていた何人かの兵士が砕けて散った。祈る暇もなく死んだ。
脱走兵たちは山を越えるのは無理と判断せざるを得ず、その場から撤退した。竜はそれを追わない。
死神のいる戦場へ戻っていく帝国兵たちを見送るだけだった。
たった一人の子供を相手に戦っていたはずの帝国兵たちは、多数の犠牲を出し、大地を死体で覆い隠している。
帝国兵は全員での突撃戦法の愚にようやく気付いていた。彼らは個々の判断で逃げまどい、また隠れ、被害に遭わないようにと散り散りになっている。そうした状況だった。
もう帝国兵の死体は見飽きるほどそこらに散らばっている。
「たった一人を相手にしていたはずじゃなかったのか」
と、帝国兵の一人が愚痴をこぼした。その問いに答える者はない。
彼の戦友は皆、死んでいたからだ。
帝国兵たちは次々と殺されていった。誇張でもなんでもなく、本当に次々と休む間もなく死んでいったのだ。
竜の子は文字通り、前線基地の中を飛び回って巡り、油断しているような一団があれば容赦なく銃弾の雨を降らせた。そうして彼らから弾薬を補充し、また別の場所へ飛ぶ。
この行動を続けてもう、半日が経過している。
疲れも知らないで、イルは飛び回っていた。火薬のにおいが手足に染みついてしまった。
少しばかり陣地から離れたところに、大きめの建物があることに気づく。イルはそこへ入ってみた。ドアは施錠されていたので、蹴り破った。
「こっ、降伏します。命だけは」
女が両手を上げている。
イルはああ、と思い当たった。その女を無視して、銃を下ろさないままで奥へ向かった。カギのかかったドアを次々と蹴り開け、奥の広間らしいところへいくと若い女が隅のほうにかたまって、毛布をかぶっていた。
王国兵にはアザリやサウティがいたが、帝国兵には彼女らがいるということなのだろう。
イルは質問をぶつけた。
「あなたたちも、帝国兵?」
「ち、ちがいます!」
入り口にいた女が両手を振って否定する。
「私たちは帝国に雇われた慰安用の人員で。中には、さらわれてきた子もいるのです。どうか、どうか殺さないでください」
その答えに、イルは満足した。帝国兵でないのなら、彼女たちを殺す必要はない。
「わかった」
と、踵を返して出口に向かった。
多くの女たちはそれでもまだ緊張を崩していなかったが、中には安堵のため息を重くゆっくりと吐き出している者もある。イルの見る限り、自分よりも若い女の姿も見える。若いというよりも、幼く、華奢だ。
戦争のいうものの残酷さの一端がここにあるのかもしれなかったが、イルは特に気にすることもなくその建物を出ていこうとした。
しかし、彼女が出口に差し掛かったところで手榴弾がいくらか飛んできた。それは慎重に調整されて投げられたものらしく、イルが飛びのくと同時に爆発を起こす。
このようなことをするということは、この建物にいる女たちが帝国兵たちにとって大した価値のないもの、とイルは考えた。いつの時代もなくのは女ばかり、という話もまんざら嘘ではないらしい。
爆風と破片をやりすごして、イルは外へ飛び出した。
殺戮の宴はまだ続くのだ。