同情、調略
宴はほぼ終わりに近づいていた。料理はおよそ平らげられ、酒は飲みつくされた。たけなわだ、というところで閉会の合図でもされようという頃合いだった。
ギイ司令官は他の将兵と談笑しているように見せて、実のところイルのことを必死に観察していた。
彼女は男性にはほとんど興味を示さず、ただアザリたちと話して終わったが、一応不興を買うことは避けられたようだ。
アザリを呼びつけ、何かわかったか訊いてみる。
「どうだった。何かわかったか」
「竜の血を浴びた、と。狼や熊も一撃で倒せるくらい強いと本人は言っています。
それは眉唾としても、あの射撃の腕前と竜がついてくるってだけで囲う価値は十分かとは思いますが」
「裏切るようなことはないんだろうな」
「その点は心配いらないかと」
あの子供は、年相応らしい愛らしさをほとんど感じさせずに怨恨と殺意だけをその目にのぞかせている。一切の力を帝国兵を殺すことだけにささげるような、恐ろしい冷徹さをもっている。
アザリはそのように言って、深い同情をあらわした。
「自分の故郷と家族を滅ぼされたばかりか、せっかく仲良くできそうだった帝国兵のハンナを撃たれて憤慨しているのです。
ほとんどの感情が怒りで塗りつぶされていて、安らいだり楽しんだりっていうことは満足にできないのでしょう」
かわいそうに、とさらに付け加える。宴の間にイルのおおよその事情を聞き出してしまったアザリは、幼い身でそのような過酷な経験をしてしまった彼女に対して心から同情している。ごちそうを食べても、おいしいとは言うが幸福感のかけらも感じてはいない様子であり、すれ違った女性のほとんどが振り返るというくらいの美男子たちを見ても、気にかけるようなそぶりもない。押しつぶされた感情の行き場もなく、ただただ、帝国兵を恨むだけなのだ。当人はそれをつらいとも思っていない。
これがどれほどの悲劇なのか、とアザリは怒り嘆いている。
おそらく今、王国からイルを消せと命令されても、アザリは無視するだろう。それほど深く、アザリはイルを思っていた。
「確かに、それはかわいそうだな」
言いながら、ギイ司令官は別のことを考えている。帝国にその憎悪と殺意が向いている間は問題ないが、もしも機嫌を損ねるようなことがあれば、あの殺意を向けられるかもしれない。
それでも、竜の力が手に入るのであれば恩恵は大きい。
ギイ司令官はもしも自分の力で竜を操れたならと想像してみるが、うまくいったら帝国を乗っ取ることさえ可能に感じられる。それほどに竜の力は大きい。その方法を考えてみずにはいられなかった。
竜のままで帝都へ奇襲をかけるのもいいし、周辺諸国に圧力をかけるのもいい。やりようはいくらでもありそうだ。
それなのにこの子供ときたら勿体なくもその強大な力の全てをただ直接的に「帝国兵を殺す」ということにしか使おうとしていない。これはあまりにも、非効率ではないか。
「イル、と呼ばせてもらってかまわないかな」
親しみをあらわすべく、ギイはいきなり子供を呼び捨てにしながら近寄った。
彼はイルを自分の支配下におこうと考えながら、まずは彼女の持っているグラスにジュースを注ぎ込んだ。
「別に、かまわない。あなたはギイ司令官、だった?」
イルは相手の名前を確認しながら、ジュースの入ったグラスをテーブルに置いてしまった。アザリやサウティに注いでもらったジュースはおいしかったが、ギイ司令官の持ってきたものはなんとなく飲む気にならない。
「ああ、そうだ。楽しんでくれているかな」
気を悪くした様子を見せず、ギイは問いかけてくる。
サウティの話は興味深かったし、帝国の悪い面が知れたのでよかった。楽しいというのとは違うように思えたが、イルは一応頷いた。
「ならよかった。ところで、帝国軍を襲撃するということだったが、敵は結構な数がいる。
竜の力を使うのならたやすく殲滅できるのかもしれないが、どのくらいの時間がかかるだろうか。
もしくは、ここでこうして君と我が王国軍が手を組んだことをアピールしていれば、敵は状況の不利を察して引き上げるかもしれん」
「手を組んだ覚えはない」
些細なところも見逃さず、イルは否定する。
それからやっと質問にこたえた。
「私が攻撃する帝国軍はそんなに多くない。追い散らすだけならすぐだけど、全員殺さないといけないから時間はかかる」
「ほう」
当たり前である。いかに近代戦闘といえども敗北した軍に所属する兵士が一兵残らず死んだというような状況は稀だ。強烈な爆弾で一軍まるごと吹っ飛んだという場合でも、たいていは生き残りがいるものである。ましてや通常起こりうるような銃撃戦では敗色濃厚となった時点で負けた軍は逃げに転じるので全滅は難しい。
完全に敵を包囲して押しつぶしたという場合はかなりの兵士が死ぬことになるが、それでも何人かは逃げ延びる。しかも、今回はイルとカイしか攻撃に参加しないため、包囲するのは無理だ。
「だいたい、3日くらいを想定してる」
「3日か」
イルはカイと二人だけであれほどの軍勢を攻撃するなどというのはしたことがない。どれくらい時間がかかるのかはわからなかったので、多めに時間をとって答えている。
「ならば3日経って勝ったなら、ここにまた来てくれるかな。戦勝パーティをしなければならないだろう」
「それはあなたたちで勝手にやってほしい。私は、用さえ済んだらそれでいい」
「そうもいくまい。例のハンナ・フォードがこちらに逃げてきていて、私たちがそれを確保していないとも限らないだろう。
とすれば、君はそれを引き取る必要があろう」
ギイ司令官は食い下がった。ここでふられてしまったら、本当に二度とこの竜と子供はここに戻ってこない可能性がある。
そうなったら、子供を操って帝国を支配するという野望も終わりだ。もし本当に子供が帝国を力で押しつぶしたとしても、そのあとに残るのは焦土だけだ。帝国の抱える多くの財産価値のほとんども消えてなくなることだろう。
それは許せることではなかった。
「気が向いたら、寄る。アザリとサウティがまだここにいたなら」
「そうしてくれると助かる。できるだけ煩わしいことも減らすように努めよう」
それで今は十分か、と考えながら司令官は返事をした。
「そろそろ行っていい? 帝国兵を殺しに」
「ではそうしてくれたまえ。我々のためにも、頑張ってほしい」
宴はまだ終わってはいないが、イルは抜けることとなった。アザリとサウティは彼女について、一緒に会場を出る。
ギイ司令官もそのあとを追うが、何も話をすることができないままだった。
竜のいるところまでたどり着くと、さっさと彼女は竜の背によじ登り、帽子の上にかけていたゴーグルを下ろした。
「じゃあ、いずれまた」
竜に乗った子供が軽く手を上げて挨拶をしてくる。ギイはこたえることができず、かわりにアザリが手を上げた。
彼らはそれで満足したらしく、ばさりと竜がその翼を広げ、一挙に飛び立つ。すさまじい暴風がその場を吹き抜けた。