帝国を憎む帝国人
ほんとうに宴はささやかなものだった。軍としては。
出席している人間も多くはない。仲の良い数家族で何かしらの祝い事をやっているかのようだ、とイルは思う。
おじいさんが胸の病で死んだとき、みんなで集まってお別れ会をしたっけ。それと似てるかも。
彼女は軍の事情など知りもしないので、そんな風に考えながら会場を見回した。陣幕のようなもので仕切られてはいるものの、屋根はない。その真ん中にテーブルを寄せ集めて一つの大きなテーブルにし、さらに布がかけてあった。その上にはもちろんおいしそうな料理がたくさんのっていて、自由にとって食べてもいいということだ。
アザリは手を引いて、奥のほうへとイルを誘った。彼女が座るべき椅子が用意されている。いわれるままにイルは腰かけるが、隣に座っていたギイ司令官は立ち上がった。
「竜と素晴らしい狙撃手が我が王国のために力をふるってくれることを感謝し、ささやかな宴を開こう。
前祝いのためみすぼらしいものとなったが、帝国軍を追い払った暁にはこの何倍ものパーティを開いて招くことをお約束しよう」
そんなことを彼は言って、宴の始まりを宣言した。
アザリがイルの前に飲み物を持ってきてくれる。少し握っただけで割れそうなつくりのグラスに、奇妙なにおいのする液体が入っている。
「これは?」
「お祝い事のときに出してるワイン。酒精は多くないから、このへんじゃ子供にも飲ませてるくらいの軽いやつよ。
苦手だったらオレンジのジュースに換えるけど、せっかくだから試してみて」
「わかった」
アザリがすすめるならと、イルはワインを飲んでみた。イルには少し辛い。眉を寄せながら飲み込むと、のどに熱い感覚がある。いいものじゃないな、とイルは思った。
「変な味」
「そう、ならこれは私がもらうから。こっちを飲んでみて」
それで出されたのはさわやかそうな黄色い液体。オレンジの果汁だと一目でわかった。甘く、わずかな酸味があっておいしい。
「そっちはお気に召したみたいね」
「さっきのは辛かった」
「食事は? お肉がいい?」
アザリはイルに対し、世話を焼いた。王国軍としてはイルを歓迎しもてなしている立場なのであるから、彼女が疎外感を感じたり、楽しめなかったりするのではなんにもならない。もっとも親しくなっているアザリがイルにあれこれする立場になるのは当然のことで、ギイ司令官も推奨するところだった。
イルはあれこれ食事が運ばれてくるのを少しずつ味わっていたが、ふと参加している人間のほうへ目をやってみた。
軍人の宴という割には、目もくらみそうな美しい方々がいた。軍にしろ企業にしろ、偉い人というのはおおよそ年配の人間が多いと考えているイルにとって、これは不思議なことだった。ギイ司令官と他に数名程度がようやく年配といえるくらいで、あとは見た目の整った若い人間が多い。どう見ても30代くらいにしか見えない。少年のような男性兵士もいる。
「みんな、若い。軍の偉い人はこういう感じなの、アザリ」
と訊ねてみると彼女は笑い、みんなに自己紹介を求めてくれた。そうして、全員から名前と階級を告げられたのだが、イルには覚えきれなかった。
男性兵士たちはイルの容姿や強さをほめたたえて、姫様だの王女様だのむずがゆくなるようなことを言ってきた。彼らのほとんどからたばこのにおいがしたので、イルは顔を背ける。男性兵士たちとは話をしたいとは思わなかった。
女性たちも色々と自己紹介や自分たちが何をしているのかも伝えてくれたが、イルは化粧品のにおいに圧倒されて名前を覚えるどころではない。
アザリ以外にようやく一人だけ覚えたのは、サウティという片目の女だけだ。声がひどくがらがらで、聞き取りづらいので逆に覚えてしまった。
他の女性たちは女らしい丸みを帯びた肉体、特に豊満な胸を惜しげもなく主張するドレスを身に着けていて、中には胸元の肌まできわどく晒し、ふたつのふくらみがつくる谷間を見せつけている者までいるというのに、サウティは肌を隠し軍服をまとって手袋までつけている。長い髪をそのまま背中に流しているから、戦うための人材ではないのだろうが、不思議だった。
彼女と話してみたい、とアザリに言うとサウティはスッとやってきて軽く頭を下げ、イルの隣に座ってくれた。苦労をしてきたことが察せられるような、暗い目をした女だった。
「実は、サウティはもともと帝国にいた」
彼女は自らを名前で呼びながら話し出し、手袋をはずして見せた。左手の小指と薬指が千切れてなくなり、手のひらも手の甲も傷だらけだった。何があってそんなことになったのか、イルにはわからない。
「帝国には散々ひどいことをされた。色々と」
がらがらの声でサウティは話す。よく見ると喉元にも何か深い傷跡が見えている。喉笛を切られたことがあるのだ。
アザリが彼女の言葉を引き継いで、小声で話してくれた。
「彼女、帝国の中でも政治的に偉いところのお嬢様だったの。イル、帝国の強さとすごさは知っているでしょうけど、その政治体制がどんな風かは知っている? 皇帝がなんでも一人で決めてるわけじゃないのよ」
「そう」
興味なさげにイルは答える。彼女は帝国兵と帝国軍にしか興味がない。帝国の政治体制などはどうでもいいと思っていた。
「サウティのお兄さんは今回、戦争に踏み切ろうとする帝国を止めようとして色々した。別に戦争がダメだなんてきれいごと言ったんじゃなくて、政治的に戦争政策よりも内政をまず立て直すべきだって感じだけどね。
戦争によって得られる利益よりも人的損失のほうが将来的にはマイナスだ、みたいな感じでね。
それが邪魔だったから、帝国の偉い人たちはサウティを捕まえて色々とひどいことをして、さらには指を切り取ってお兄さんのところへ送ったりしたの」
「指なんか送って何になるの?」
「自分たちがサウティを捕まえてるって証拠を出したの。妹を殺されたくないなら、戦争に反対するなって脅しよ」
「で、お兄さんはやめたの」
「やめなかったから、結局殺された」
と、そこはサウティ自身が答えた。
「サウティだって兄がそのようなことをしていれば、自分の身が危ういということは知っていたから、婚約者を頼って田舎に逃げた。
そこで騒ぎがおさまるまではじっとしているつもりだったけど、やっぱりつかまってしまって。こうなった」
サウティは指の足りない左手を見て、また手袋をはめた。
「家族みんながつかまって、ひどい目に遭った。サウティは生きているだけ幸せかもしれない」
「そう」
「帝国の恐ろしさを私は知った。どうあっても戦争したいんだって私はそのとき教えられて、帝国に逆らってしまった兄の家族だっていうだけで、地獄を見た。
それと、あの国の卑しさをも見た」
話しているうちに思い出したのか、サウティは少し怒ったような声で話を続ける。
「家族の居場所を官憲に教えた者にはいくらかお金が支払われたみたい。だから、サウティの婚約者も簡単に居場所を売った。
弟の居場所も、母も、父も、全部どこに隠れてもまわりの人たちがこぞって売ったから無駄だった。
隠れ場所を探しているときにはニコニコ近寄ってきてここがいいとか言っておいて、すぐさまその足で官憲へ売り渡すあの国の人々の卑しいことといったら、ない」
サウティの境遇は確かに同情すべきものがあったが、イルは頷くだけだった。
「価値のなくなったサウティ自身はこうして、外国に売られてきた。
最初は廓に連れていかれたけど、すぐに警察に保護された。行き場がないからこうしてここで働いている」
「帝国に帰れないってわけ」
「帰れない。帰ったって多分、すぐに殺される。兄を殺したのは皇帝の命令だったもの」
「そんなことわかるの」
「皇帝が一番、戦争をしたがっていたんだって!」
がらがらの嗄れた声でサウティが叫んだ。
アザリがいうには、これらのことは王国の諜報部が調べたことでほとんど間違いのないことらしい。確かに、そうでもないと官憲は動かせないだろう。
「戦争推進派を裏から操っていたのは、皇帝! 私が信じてきた帝国の一番上の! そうなら、すべては無駄だった。一番上の人が戦争を望んでいるのに、兄なんかが歯向かってどうにかなるもんじゃない。
だったらサウティはいったい何のためにひどい目に遭って、兄は何のために死んで! いったいどうすればよかったの」
簡単な身の上話を終えて、サウティはイルの目を見た。
「私は帝国を憎んでる。帝国を倒してくれるのなら、なんだってする」
「そう、私と似てるね」
イルは頷いて、そう言った。サウティも頷く。
「帝国を滅ぼせるなら、私はもう両手両足をなくしたって後悔しない。今の私にできるのは、帝国とたたかってくれる王国兵を身体で慰めることだけ。
できるなら私も、直接帝国兵を殺したいけど」
「サウティの体力じゃ兵士には向かない。私は帝国兵を殺すだけで、ここに来たのも手を出さないでほしかったから。
王国と私のやることはなにも関係ないけど、あなたが帝国を恨んでいるってことは、覚えておく」
「そう。ならそれでいい、ありがとう」
サウティはそこでやっと笑って、イルの持っているグラスにジュースを注ぎ足してくれた。
話がひと段落したことを見たのか次は男性兵士の一人が話しかけてきたが、こちらにはあまり興味をひかれなかった。
結局宴の時間のほとんどを、イルはアザリとサウティにかまってすごした。