司令官の思惑
ギイ司令官は、すぐさまやってきた。
当たり前である。竜がもしも王国軍をも滅ぼそうと考えたのなら、どこに逃げても同じことだ。それならばじかに向き合ってこちらの誠意を伝えるほうがよほど重要であろう。
現場にいた下士官のひとりが彼を出迎え、案内した。
「司令官、お疲れ様です。竜と子供はあちらにおられます」
「ああ、ご苦労」
ギイは軽いほほえみでこたえて、イルたちを見やった。遠くからでもカイの巨体は見えていたが、近くで見るとまた迫力がある。
竜の中では弱い部類に入るレッサードラゴンのカイだが、人間から見ればどの竜も等しく無敵の存在である。彼らを怒らせれば即座に王国軍も王国も一巻の終わりであった。
怒らせないようにしなければ、というのがまず第一だ。
ギイ司令はイルに歩み寄ってみた。できる限り柔和な笑みを浮かべながら。
イルはアザリに「しばらく待っていてほしい」と言われたので、その通りにおとなしくしていた。
遠くに射撃訓練用と思われる的があったので、撃ってもいいかと問いかけた。アザリがもちろん構わない、と快諾してくれたのでそれを新式銃で撃ちこんでヒマつぶしをしている。
ずいぶん遠くにも的があるのでいい練習になるかも、とイルは思っている。
時折クリップを換えて、ただ、撃つ。
アザリは淡々と射撃を繰り返すイルを見ていた。
顔や態度には出さないが、彼女は驚愕している。恐ろしいほどの距離から、イルは撃っているのだ。
のんきに歩いては10分もかかるかと思われるような距離から射撃を当てている。それも、ほとんど狙ったような様子もない。
王国の中にもあのくらいの距離から射撃し、当てる者はいるだろう。しかし稀有な上に、入念な狙いと装備が必要だ。しかしあの子供は、まるで子供が水鉄砲を友達に向けるような気軽さで発砲し、かつ狙いを外していない。
そのさまに驚き見惚れる彼女は、ギイ司令官の到着に気づくのが遅れた。
「司令」
慌てて敬礼するアザリの隣を抜け、司令官はイルへと声をかける。
「失礼、素晴らしい腕前だ。我が軍にもそこまでの狙撃術を持つものはいまい」
彼は最初の一言に、誉め言葉を選んだ。
イルは誰かが近寄ってきていることには気づいていたので、すぐに銃を背中に戻してそちらへ振り向いた。
別にうれしくはなかった。楽しいと思ってやっていることでもないし、自分の腕前を誇る気持ちもない。イルは誉め言葉を無視して、自分の都合を優先することに決めた。
「あなたが一番偉い人?」
「その通り。ようこそ、お客人。
遠いところをよく来られた、私たちがつくった射撃訓練場はいかがかな」
ギイ司令官はできる限りイルが話しやすいようにしながらも、主導権は渡さないつもりでいる。
「悪くないと思う。的が動いていたらもっと楽しめた」
「検討しておこう」
一瞬、『いつでもだれでも殺せたんだぞ』という脅しにも聞こえるような文句であったが、司令官は相手の年齢を考えてその可能性を意図的に心から排除して、無難に応じた。
「早速話をしたいところだが、何か飲み物でも用意しよう。ここでは落ち着かないだろう」
「ここでいいけど。すぐに行くから」
「だが、ここでは誰に聞かれているかわからない。どこに帝国兵の耳があるかわからん」
「そっちがそういうなら、場所を変えてもいい。どこにいけばいい?」
イルは面倒くさそうに眉を寄せた。こんなことはさっさと終わって帝国兵を追い詰めに行きたいのだ。
もっと簡単に話をして終わると思っていたのに、当てが外れた。面倒くさいものなのだなと彼女は思って、もうすでに煩わしかった。
仕方なく、イルは男に先導されて歩いて行った。兵士たちがたくさんいたが、しっかりと統率されているようでじろじろ見られることは少ない。アザリはついてこなかった。
しばらくいくと簡素なつくりの小屋が見えてきた。
コンクリートで固めているようだが、司令官が寝泊まりするほど豪華なものとも思えない。悪目立ちしては攻撃の的になるからだろうか。
中に入ると、置いてあった椅子に腰かけるように促される。イルは影魔の力を信じて腰かけた。細い金属の管で作られた椅子はミシミシと怪しげな音を立てたものの、なんとか壊れずにすんだ。
この部屋はどうやら何人かで会議をするために使われているらしい。中央にテーブルが置かれ、周囲に八つの椅子が置かれている。あとは壁に地図がかけてあるくらいで、他に目立つものはない。
「今更だが、私はこの部隊を統括している司令官だ。ギイと呼んでくれてよい。
そちらのお名前もあらためてうかがってよろしいか」
「私はイル。竜の名前はカイ」
ようやく話が始まったと思ったので、イルはもう一度自己紹介を繰り返した。
ギイ司令官は頷き、部下に飲み物を持ってくるように命じた。それから、本題に入る。
「それで、君が言うには帝国軍に攻撃を仕掛けるということだが」
「そう。だから、邪魔しないでほしい。それとハンナを絶対に殺さないで。私からはそれだけ」
「よろしい。それさえ飲めば君は帝国を攻撃してくれるのだな」
「別に頼まれなくてもやる。
私がここにきてるのは、ただの頼み。そっちがいうこときかないならそれはそれでいい。私はそのときにはやり方を変える。
あなたに頼まれたから帝国を攻撃するんじゃない。勝手に話を変えないでほしい」
うむ、とギイ司令はいったん頷きながらも目をそらした。彼はいら立ちを隠そうと努力している。
こちらが気を利かせているのに、と思う心をなんとかおさえこむ。
口の中で舌打ちをしながらギイ司令は彼女の射撃を腕を思い出す。王国兵の誰もがなしえないような狙撃術を、彼女は心得ているのである。竜にのった子供があれほどの狙いをもって上空から地上を撃つとしたなら、逆らいようがない。自分がそれをされて反撃の手立てを考えるとしたら、と思ってみてもどうしようもなかった。
逃げの一手以外には。
竜だけでも手の打ちようがないというのに、その上さらにこのような狙撃手がいるというのだ。
どうしようもない、どうしようもないのだった。
これ以上優位に立とうとしても、無駄らしい。ギイ司令はあきらめ、全てをイルの言うとおりにすることを決めた。
「そうだった。すまない。ハンナという人に関してはすぐに通達しよう。軍の目が届く限り、その人は保護されるはずだ」
「わかった。じゃあ私は行く。約束は守って」
イルは王国との話し合いがうまくいったことに満足して、もう話は終わったと思った。
だがギイ司令はそう思っていない。まだできることはある。
「まあ、待ちたまえ。君と竜の力があるなら今すぐにも行かなければ、帝国兵を倒せないということもなさそうだ。
一晩、我々に君のことを歓迎する機会を与えてはくれないか」
「そんなの、いらないけど」
にべもなく、イルは誘いを断ってしまう。
「しかし君の出した条件は、軽すぎる。ハンナ・フォードという名前からするとその帝国兵は女性であろう。
我々はともかく出会った女性兵士を殺さずにとらえることだけに注力すればよい。これは君のもたらしてくれる力に対して、釣り合いがとれていないのではないかね。
そうなると、我々としても不都合なのだ。
王国は帝国兵を蹴散らした英雄に対してろくろく、褒美も出していない恩知らずであると思われてしまうからだ。
なにか欲しいものがあれば言ってみるがいい。君が帝国兵を本当に蹴散らしてくれるのであれば、我々はそれにこたえられるだろう」
「別にいらないけど。
私たちは自分たちの欲しいものは自分たちでなんとかする。ハンナが無事ならそれで問題ないの」
「まあそういわず、もう少しだけここにとどまってほしいのだ。
王国が困ることは、君にとって本意ではないだろう」
「別に、私は困らないけど。でも頼まれるというのなら、少し残っていてもいい」
自分たちの頼みごとのせいで王国が困る、ということになれば後からやりにくくなる可能性がある。イルはそう考えて、ギイ司令官の顔を立てることになった。
ここでようやく部下の一人が戻ってきて、飲み物が出された。それは紫色で、ブドウの果汁が入っているそうだ。
イルはこれには手を付ける気がしなかった。いったん受け取って、口もつけずに返した。
ギイ司令官は部下を呼び、宴を開くことと、そのときに子供の好きそうなものをなるべくたくさん用意するように伝えた。それと、見目麗しい美形の男性兵士も一定数集めるように命じた。
竜はどうするか。王国軍としても糧秣が豊富とはいえないが、おおきな竜を満足させるだけの食べ物は用意できるだろうか。
訊いてみれば気にしなくてもいいと言われる。期待もされていないのだろう。
逆に奮発して相手方の肝を抜きたかったが、自分の立場と地位を考えるとそこまではできない。ギイは竜に対しては上等の酒を用意するように手配し、食べ物については勘弁してもらおうと考える。
イルは準備にあわただしく動き出すギイ司令官たちを横目に、カイのところへ戻った。
竜はほとんど動くこともなく待っていた。近くにはアザリがいるが、兵士たちに竜が暴れださないか見張っていてくれと懇願されたらしい。彼女はつまらなそうな顔をしていた。
帰ってきたイルはカイの顔をぺたぺたと触って軽く目を閉じた。知らない大人と、少し難しい話に付き合わされたような感じで、精神的に疲れていたのだ。
「なんか、話はまとまった。ずいぶん歓迎されてるみたいで、宴を開くって。戦争中なのに」
「思った以上にはうれしがられているようだな。だが、あれは我々を利用するつもりでいる。
うまくのせられて、いいように動かされるつもりならそれでいいが、目的を見失うことにはなるまいな」
カイは警戒した声で、告げる。竜は人間をあまり信用してはいなかった。ギイ司令官の態度や言葉をみて、カイは王国軍も味方とは言い切れないと考えている。人間とはどうせ強欲なのだ。隙あらば、イルの力を自分たちの支配下におこうとあれこれ策を練ってくるだろうと予想している。
しかしそのようなことはイルには思ってもいないことだった。目的を見失うとは。
「私は、帝国兵を殺すことしか考えてないけど。全部殺して、ハンナ以外には一人も残さない」
「それを忘れないことだ」
「わかってる」
イルは軽く目を閉じて、カイの大きな体にもたれかかる。そうして少しの間まどろんだ。
今日は十分動いたので、休養も必要かと思っただけで、別に疲れたわけではない。イルが目を閉じていても、カイは右目をしっかり開けて周囲を見ている。害をなそうするものは近寄らせない。
「イル、休むのなら陣地へいってお休み。あなたの寝床くらいは作ってあげられるけど」
しかし野外で寝てしまおうとするイルに驚いたのか、アザリが声をかけてくる。
もうイルは答えなかった。アザリは肩をすくめて、陣地から毛布を一枚とってきた。それをイルの肩にかけ、自分の仕事へと戻っていく。
アザリは慰安部隊の中から何人かを選抜して宴会へ来させるように命令されている。もちろん、限られた物資でやる宴会をできる限り華やかに印象付けようという目論見があるからだろう。
「見た目の良いものを選んでくれ」
というのは言うまでもないことだったが、念を押してギイ司令官は伝えていた。
わかりましたと答えたものの、アザリは真っ先に片目に傷を負った女・サウティを選んでいる。暗い目をし、肌つやもよくない女だったが、イルとは話が合うだろうと思われたからだ。
慰安部隊をまとめているアザリは、ギイ司令官の思惑をほとんど無視して、他に3名を選抜した。
兵士たちに人気のある、話術にも夜の技巧にも秀でる女だ。イルと話すにしても、宴を盛り上げるにしても、一役買ってくれることだろう。
宴の時間が迫ってきたため、彼女たちを会場へ向かわせる。自分もドレスに着替え、アザリはイルを起こした。会場へと主賓を連れて行くのはアザリの役目だ。
二人が会場へ向かうと、準備はすっかり整っていた。
もちろん敵と対峙しているので全軍参加というわけにはいかない。ささやかなものだ。
とはいえ、帝国軍に対して「王国軍が竜と結託している」と見せつけることは有益と考えられた。だから、隠すようなこともしていない。部隊の中の上層部だけの、竜を歓迎する宴と称された。
ギイ司令はイルをどうにかして引き留めようと、美形の男性兵士を集めている。
それも、少年ような若い男から皺の深い大人の優しさを持った男、あるいは筋肉をつけたワイルドなタフガイまで、あらゆるタイプをそろえていた。
「アザリ」
少し眠そうな目をしたイルは、面倒そうにアザリを呼ぶ。
「どうしたの、イル。トイレなら」
「違う、私。こういうところのマナーとかわからないのだけど」
山村で育ったイルには、パーティでの振る舞いなどわからなかった。貴族のような堅苦しいテーブルマナーが必要ではないかと考えたのである。
だがここにいるのは軍人が多い。マナーなどよりも酒のうまさと給仕女の美しさを重視するような連中だ。そのようなマナーは気にせずにおいしく食べていればいいとアザリは答えた。
「そう」
もとから気にしていなかったような軽い返事を、イルはした。