王国軍の兵士たち
カイはイルをその背に乗せると、遠慮なく大きく翼を広げて伸びをした。その影響で本営とされていた建物は見る影もなく傷つき、破壊された。イルも特に気にしなかった。帝国兵たちが利用するための施設など、いくら壊れようがどうでもよかったのだ。
倒れた兵士から回収した銃や弾丸は多く、襲撃に行く前よりもむしろ武器は増えている。
もしや今後は武器に困るようなことはなくなったのでは、とも思える。対竜ライフルの銃弾に限っては補充に手間がかかるが、それは仕方がない。それに見合う威力があるのだ。
レッサードラゴンのカイは雄々しく羽ばたき、何の呵責もなく翼で周囲の建築物を叩き壊しながら飛びたった。イルはすぐさま、服を買い替えるために町へ飛んでほしいと要請する。竜はこれにこたえた。
数時間後にイルはきれいなコートとゴーグルで戻ってきて、こう言った。
「今日このまま、王国領へ行こうと思う」
「ほう?」
何を思いついたのやら、という興味深げな声でカイがこたえる。
「一緒に協力して、帝国を倒そうともちかけるのか。同盟か」
「ううん」
そんなことはしないよ、とイル。
「ただ、邪魔しないでほしいっていうだけ」
「そんなことを受け入れる国家はあるまい」
カイは目を閉じ、軽く息を吐いた。イルの言いたいことは、たぶん「帝国兵は自分が殺すので、王国には手出しをするなと伝える」ということだろうが、そのようなことは王国側としては受け入れられないだろう。王国と帝国の戦争だったはずが、イルと帝国の戦争に挿げ替えられるということなのだ。国としては屈辱の極みではないか、とカイは思う。
もっと王国側が追い込まれ、国としての体裁よりももはや存続が第一というぐらいになっていればわからないかもしれないが。
「とにかく、王国側の陣地で下ろして。話をしてくるだけだから」
そういわれては仕方がない。カイは頷き、再び飛び立って王国の領土へ向かった。
ハンナのいた帝国軍最前線基地を超えて、もう少し飛ぶ。
帝国軍とにらみ合うように陣を構えている王国軍が見える。その真ん中あたりに広く開けられた空間があったので、カイはそこへ降りようとした。旋回しながら下降していく。
ちょうど、王国軍は竜の対応について話しているところだった。
王国の中では切れ者とされている男がいる。
彼は最前線である基地に滞在し、常に帝国の動きに目を光らせているが、一方で竜のことについても情報を貪欲に集めており、その対応についても日々考えを巡らせ、部下と協議を続けている。
おりしも、竜の住まう山から凄まじい音声が響いていたとの報告を受けたところだ。
帝国がついに竜への攻撃を仕掛けたのだろうか。竜をも殺す手段を手に入れたということなのか。
後顧の憂いをなくした帝国は明日にも王国への攻撃を再開するつもりだろうか。
様々な情報を集めては考えてみるものの、さすがにそれはわからなかった。情報が足りていない。
彼の名はギイという。王国軍の要であり、司令と呼ばれるが、最高司令官というわけではなかった。
彼の側近たちはいつもそのことを不満に思っている。つまり、ギイこそが王国軍の中でも最高の頭脳を持つ『切れ者』だというのに、その指揮権は十分な範囲に及んでいない、というわけである。
だがそれでも、ギイの名声は王国軍には轟いていた。
彼は王国の危機を何度も救っている。特に陸戦においては敵なしと言われる。まだ帝国が新式銃を持たなかった頃には、何度もこれを撃退している。森林部から攻め寄せた蛮族に対しても果敢な攻めを見せ、見事にこれを打ち破り滅ぼしている。
ギイ司令の名は王国の希望とまでいえた。
これほどの活躍をしていれば『切れ者』と呼ばれるのも当然であるが、彼は最高司令官にはなっていない。王国の政治体制がそうさせなかった。
そんなギイ司令は帝国軍と竜について、対策を練らなければならなかった。
竜は死んだのか?
彼はそれをずっと考えていた。死んでいるとしたら、帝国は猛攻撃を仕掛けてくるとみて間違いない。それに備える必要がある。だがそれにしては帝国軍に動きがみられない。
悩む彼のもとに「山から何か大きいものが飛び立つのを見た」という一報が入ったのはその日のもう夕方にかかろうという頃だったが、それと同時にもっと驚くべき報告がやってきた。
竜は開けた大地に降り立った。なかなか大きな物音がしたので、呼び鈴を鳴らす必要などなさそうだった。
イルはカイの背からひょいと飛び降りた。
影魔を連れていく。
そのままではやわらかそうな土の地面に埋まってしまうからだ。イルの影に影魔を宿らせれば、物理的な攻撃を無効化する彼の力で地面への衝撃は抑えられる。
これによってイルは、土の地面を踏んで王国軍の陣地を闊歩できる。
「竜!」
しかし王国軍からもイルはあまり歓迎されてはいなかった。
ドラゴンという不確定要素がついに、自分たちの真上に来たのだ。殺されるかもしれないと危惧するのは当然である。
周囲にいた兵士らしい者らはすべて銃を抜いて、こちらに向けている。武器を持っていないのは、一人の女だけだ。
「こりゃあ、大きなお客様だねえ」
女はのんきな声を出し、軽く息をついている。落ち着いているようで、一番話が通じそうだった。じたばたしたところで意味がないと考えているのかもしれないが。
イルはこの女と話をしてみることにして、彼女に近づき、話しかけた。
「こんにちは」
「ええ、こんにちは。私はここの慰安部隊をとりまとめてる者で、一応は王国の軍人ってことになってる。
アザリって呼んでもらえるかしら。それと、あなたの名前も教えてもらえると助かるのだけれど」
「イル。こっちはカイ」
簡単に自己紹介を終えると、イルはアザリと名乗った女の姿を観察した。
艶然としているというか、色っぽい大人の女性だ。軍人といわれてもいまいちそう思えないくらいには。髪は短く整えられているが、薄く化粧はしている。ハンナのように身長があるわけでもないが、胸のふくらみが軍用の衣服を下から押し上げ、男を骨抜きにするような丸みを見せていた。服自体には男性兵士たちとの違いがあまり見られないが、下に目を向けると軍靴ではなくブーツが細身に仕立てられている。これによって脚の細さが際立って、より彼女のスタイルのよさを引き立てていた。
目尻がゆったりと下がり、にっこり笑っているようにさえ見えた。ゆるい雰囲気がある。
彼女はどうやらあまり緊張するようなタイプではないようだ。竜という未曽有の強者が目の前におり、自分たちの命は彼らに握られているというのに、恐々とする気配もない。
「ちょっと乱暴な訪問だったけれど、歓迎しましょうイル、それにカイ。
私たちを攻撃するためにここに来たのではない、というのが正しいのならだけど。まずはご用件をお聞かせ願える?」
アザリは背筋を伸ばして、きれいな直立をして見せている。
もちろんそのようなことを気にするようなイルではないが、男たちがこちらに銃口を向けて震える中、こういうことはなかなかできないはずだと考える。アザリという女性は、確かに一端の人物だと。
「王国軍の、ここで一番偉い人に話を聞いてもらいたい」
「そうね。竜が望むのならここで一番偉い人、司令官を連れてきてもいいかもしれない。
でもまあ、そう。私が伝言するのではいけないかしら。イル、偉い人が忙しいというのはわかってもらえるでしょう」
「返事は急ぐのだけれど」
「まあ、言ってみなさい。その内容によっては、連れてきてもいい。
ここで一番偉い人っていうのは、ギイ司令官。とても有名な人で、みんなから尊敬されているの。
だから、竜の前に連れてくるっていうのは私とイルがよくても、他のいろんな人から見たらいけないことになる。竜の機嫌を損ねて、もしも軽く一撫ででもされたら、私たちの尊敬する司令官は死んでしまうものね」
「わかった」
イルは納得したふりをした。アザリの言っていることもわかるが、カイは理性のない猛獣などではない。山の神さまであり、空の王なのだ。
そのような扱いをされるのは残念極まるし、侮辱である。
しかしアザリの立場もあろう。そこに関しては触れないほうがいいと思われた。
イルは自分の要求だけを告げる。
「私はこれから帝国軍に攻撃を仕掛けるつもりでいるの。
一人も残さずに殺してしまいたいから、あなたたちは、手出しをしないでほしい」
「すごいことを言ったけど、それは本気で言っているの」
「そう。私は帝国軍に故郷も家族もとられてしまった。お返しに帝国兵は一人も生かさない。
私はそれを実行するし、もう彼らに伝えた。だから、私はそうしなければいけない。王国にも悪い話ではないはず」
アザリはひどく困った顔をした。
確かに竜の力があれば、王国へと攻め入ってきた不届きな軍勢を一挙に打ち払えるだろう。おいしい話ではあるが、ただ単に加勢をしてくれるというだけではあるまい、とも思える。ギイ司令はそう考えるだろうし、もっと上の方々もそう思うだろう。
つまり、これは訊かなければならない。
「では、あなたがそうしてくれたのなら、私たちはあなたに何をしてあげればいい?」
対価、見返り。そうしたものが必要かどうかを。
だがイルはこれに面食らっていた。
彼女はただの山村で育ってきた娘に過ぎない。国家の交渉事などわかるはずもなかった。
だが何かしてくれるというのだ。
イルはアザリの言葉を『帝国兵を追い散らしてくれるあなたに、何か私たちがしてあげられることはないか』というくらいの意味にとっている。
一方的な頼みごとのつもりだったので、お礼をしたいといわれれば、すぐに思いつかない。本当にイルは少し悩んで、考えた。
アザリはその考え事をしているイルの様子を、芝居なのか本気なのか判断しかねた。
待ち時間はそれほど多くなかった。
「してくれるというのなら、せっかくだし、一つだけ」
イルは指を一本立てて、考えを伝える。
「ええ、どうぞ」
「帝国軍人のハンナ・フォードという人を、絶対に殺さないでほしい」
「ハンナ・フォードさんね」
帝国軍人すべてを殺すと言っていたのに、その人に関しては「殺すな」というのである。アザリは平静を装って、にっこりしてうなづいた。
「それならきっと、すぐに全軍に伝えられるでしょう。今あなたの言ったこと、ギイ司令官に伝えてみましょうね。
でもお返事に少し時間がかかるかもしれない、それまでお待ちいただけるかしら?」
「かまわない」
というので、アザリは胸ポケットからメモを取り出し、そこに何か書きつけてから近くの兵士に渡した。渡された兵士は敬礼をして、大急ぎで陣地の奥へと飛んで行った。
彼を見送ってしまうと、ようやく周囲の兵士たちも緊張が幾分かやわらいできたようだった。銃口の位置が少し下がってきつつある。
「銃を下ろしなさい、みんな」
アザリが命令すると、そこでようやくイルに向いていた銃は一つもなくなった。