銃口の先
輜重部隊は休憩に入った。そのまま一夜を山の中で過ごさなくてはならない。
ハンナはイルたちに果物を届けるために、軍馬を一頭借り受ける。疲れてはいたが、行かなくては約束が果たせない。
「少し、離れますが」
近くにいた将校に隊を離れることを伝えた。彼は深く頷いて気を付けていってこいとだけ言う。
迂回路から山村へいくには少し距離があるが、馬ならさほどの時間もかからないだろう。ハンナは息を吐いて、果物の入った小箱を持って軍馬にまたがった。
「女神さま、どちらへ?」
見張りのために立っていた兵士の一人が声をかけてくる。女神さまと呼び掛けてくるのは、軍として放置していいのだろうか。ハンナは疑問をとりあえず流して、竜と話をしてくると伝えた。
「私がもし戻らなくても、時間になったら出発してくれ。静かにな」
「そのようなことはありえません。女神さまは我々を守ってくださるのですから」
「あまり期待しすぎるな、私もただの人間だ」
純粋に尊敬の目を向けてくる兵士にどうこたえていいかわからず、ハンナは適当なことを答えて逃げるように馬を進める。
彼女が去ってしまうと、これを監視していた将校は行動を始める。
彼は、竜を殺すためにここにいるのだ。補給部隊にはすでに帝国から選ばれた狙撃手を紛れ込ませている。空っぽになった食料保管庫には開発されたばかりの対竜ライフルも積んでいる。
これをもって、ハンナと対面して油断している竜を殺すのだ。そのあとは、彼とともにいる少女も殺し、証拠隠滅のためにハンナも殺害する計画だった。竜がいなくなれば、竜に殺されない女にはもう用がなくなる。竜たちと絆を育んでいる彼女はおそらく彼らが殺されれば激高するだろうし、余計なことをする可能性が高い。葬ってしまうのが一番よかった。
対竜用のライフルもしっかりと持ってきている。肩を骨折するほどの反動はどうするのかという問題は、さらに重く大きなウェイトに固定し、伏せて撃つことでどうにか解決していた。衝撃をできる限り殺すアタッチメントも一応つけている。
実験ではコンクリートの壁を軽く吹き飛ばす超威力のライフルだ。いかな竜といえども、これを食らっては生きていられまい。
まず竜を撃ち、次に子供を撃ち、最後に帝国兵を撃つ。
将校は帝国に対する脅威が高い順に排除することを考え、そのように決めていた。まずは直接の破壊力的にも、精神的な重圧的にも大きな力をもっている竜を殺す必要がある。これは確実に仕留めなければならない。
次に子供を撃つ。この子供が帝国をひどく恨んでいることは間違いない。生かしておいては後々の禍の種となることは間違いないし、他にも竜を御す手段を知っている可能性がある。これは生かしておいては帝国の未来に影を落とす。仕留めなければならない。
最後に帝国兵、ハンナを撃つ。彼女はこの狙撃計画を全く知らないし、竜たちと絆を育てることを目標に励んできている。目の前で竜を殺されれば、思うところがあるかもしれない。むしろ彼女をもまとめて始末し、「竜たちは約束を破ってハンナを殺したので、報復としてこちらも反撃した」という言い訳を通したほうがよい。そのほうが国民も納得するし、諸外国も帝国の力を再確認するだろう。殺しておきたい相手だった。
彼らは情報通り、山村の跡地に向かって足音と気配を殺しながら移動する。全員で10人。狙撃兵が3人と、観測兵がそれぞれについている。残りは荷物運びだが、無論全員が帝国に忠義を誓うものたちだ。
茂みや木々は多かったので、いくらでも隠れる場所はあった。そろりそろりと彼らはじれるほどの遅さで、山村へと近寄っていくのだった。
そんなことを全く知らないハンナは軍馬を歩ませ、山村跡へ到着する。明かりに持ってきたランプを地面に置いてしばらく待つと、上空から大きな竜の巨体が舞い降りてきた。
イルたちは、ハンナがやってきたときにはすぐさま駆けつけてくれる。どうやって自分の来訪を知っているのか、不思議だったが竜は教えてくれなかった。
「ハンナ」
竜の背から飛び降りたイルは、少しだけ嬉しそうにこちらの名を呼ぶ。彼女はいつものコートを着込み、帽子の上にゴーグルをかけている。普段通りの姿だった。
「ああ、すまないな。夜遅くだというのに。近くまで来る用事があったから、頼まれていたものを持ってきた」
「果物?」
「ああ、栄養たっぷりだぞ」
ハンナは持ってきた箱を開けて、中を見せた。たくさんの果物が詰まっているその箱は、芳醇な甘い匂いがしている。
中のリンゴを一つ取り出しただけでも、切り開けば果汁が滴るということがはっきりわかる。ハンナは自分で選んでこれを買ってきたので、品質には自信があった。
イルはしばらくリンゴを眺めていたが、ふと顔を上げてこのようなことを訊ねた。
「ハンナ、近くに誰かいる?」
問われて、振り返る。輜重部隊の誰かがついてきてしまったのかと。
だがハンナが見る限り、誰もいない。
「いや、いないようだ。だが私は輜重部隊と一緒に近くまで来た。誰かが私のことを心配して、後をついてきたのかもしれないな」
「しちょう部隊?」
「そうだ。前線の兵士たちだってお腹がすくからな。帝国から食べ物や薬なんかを運ぶためにいる兵士たちで、基本的に戦うことはない」
「ハンナ、その人たちからいじめられたりしてない?」
ふもとの町でハンナが若い兵士たちから侮られていたことを思い出し、イルはそんなことを訊いた。
「そんなことはない、かなりよくしてもらっている。すごく大事にしてくれているんだが、まあかえって疲れることもある。が、まあ悪気があってしていることじゃない。心配するにはあたらないよ」
ハンナが事情を説明すると、イルは頷いた。
「ハンナは優しいから。やっぱり女神さまだった」
「お前までそんなことを言わないでくれ。ところで、背中の銃が変わったようだが。新式銃はお気に召さなかったのか?」
彼女はこの話がよほど嫌だったらしく、露骨に話題をそらそうとする。しかし、イルとしても新しく手に入れたおもちゃのことは自慢したかったので、この話題転換に乗った。
「そう。これ、だいぶ気に入ってる。重くて、大きくて、強い」
「そんなにか。新式銃も大した威力だったじゃないか」
「もっとすごい。ドレイクが一撃」
「ドレイク? まさか、竜を撃ったのか!」
少し大きな声を上げてしまったが、無理もないことだった。人間たちにとって、「ドレイク」という言葉は竜とほとんど同義なのだ。
そこでイルは少し自慢げにドレイクを退治したことを語って聞かせる。
いまやイルにとって、気軽にいろいろと話せる友人というのは、カイ以外にはこのハンナしかいないのだ。そして嫌な顔をしないで自分のいうことをすっかり聞いてくれる上に、自分の知らないことをいろいろと教えてくれる。懐かないほうがおかしい。
「あまり無茶をしてはいけないが、よく帝国の人たちを守ってくれたな。私からも礼を言うよ」
話を聞いて、ハンナは頭を下げてきた。別に町の人を守ろうと思ってドレイクを撃ったわけではなかったが、ハンナから褒められてイルは照れたように俯いた。