帝国の対応
話を始めようとした途端、「バギン!」と音を立てて木箱が破裂した。
イルが腰かけた木箱は腐っていたらしい。見事に壊れてしまって、腰かけていたとした本人は残骸の上に座り込んでキョトンとしているではないか。あわてたハンナは怪我をしていないか心配し自分の木箱を譲ろうとしたが、イルは手を振って拒否し、地面に腰を下ろしてしまった。
(かなり頑丈な箱のはずだったんだが)
不思議に思いながら、自分だけ木箱に坐るわけにもいかず、ハンナも地面に腰を下ろした。多少行儀は悪いが、どうせ誰が見ているわけでもないのだ。
さて、ハンナが命令されたのは、できる限り時間を稼ぐことだ。
竜がいつ、帝国軍本部を襲撃して灰燼に帰すかわからないのでは、まったく何の手立ても打ちようがない。少しでも対策する時間を稼ぐため、竜と話し合って足止めし、あわよくば攻撃をやめさせてくれという無茶な要求である。
その他いろいろと細かく命令されているが、それらをまとめると帝国軍人であるハンナがここにいる理由は、
①竜の怒りをおさめて攻撃を思いとどまらせる。
②それが無理なら攻撃を遅らせるか、攻撃の時期を聞き出す。
③竜の弱点を探る。
④少しでも友情を感じさせ、攻撃をためらわせる。
⑤別の人物を同行させてもそれを殺さないと約束させる。
といったところになる。
これらすべてを一度でできればいいが、無理だろう。少しずつ進めるしかない。
目的⑤の別の帝国軍人を同行させても殺さないという約束がとれなければ、この先ずっとハンナ一人で交渉し続けることになってしまい、面倒くさくなってしまう。
もちろんハンナとしても自分がただの時間稼ぎにしかならないことを知っている。
(帝国としても多分、重要人物を逃がすだけの時間稼ぎがしたいだけだろう)
などと考えているのだが、それを口に出すことはしない。帝国軍人はすべてがクズではない。いいやつもいるのだ。十把一絡げに全員クズと断定されて殺されるのは、ハンナとしても本意ではなかった。
ここは頑張りどころである。
「どうして、私だけを殺さないと言ってくれるのだ?」
初対面の時の印象を壊さないように、ハンナは口調を崩さないで話しかけた。
「もう言ったと思うけど、ハンナは私に優しくしてくれて、それが嬉しかったから。ほかにたくさんの人がいたけれど、私を助けてくれたのはあなた一人。
だから、帝国兵でもあなたは殺さない。一人だけ、助けてあげる」
「それは、ありがたいな。私もまだ死にたくはない。ところでこの竜は、イルのお友達なのか?」
できるだけ情報を得ようと、ハンナは問いを重ねた。イルは薄く笑って首を振る。
「カイは、私を助けてくれた。大けがして死ぬところだった私を助けてくれた、山の神様で、空の王様」
「空の王?」
竜の名前が「カイ」なのだろうかと推測しながら、『王』という言葉が気にかかる。
「飛べるの、カイは。他に誰もいない、鳥も蝙蝠もいない空を飛べる。カイこそ、空の支配者。王様。だから、空の王」
「言いえて妙というか、納得した」
確かに竜を差し置いて空を支配できる生物などいまい、とハンナは思う。
「竜は強いのかな、それもかなり?」
「もちろん。誰も勝てない」
自信満々にイルは言ってのける。竜の強さを自慢したくてたまらない、という調子も見える。ならば話をさせたほうがいいか、とハンナは考える。
聞き手に徹し、仲良くなったほうが後につなげられそうだった。
ここは無理に情報を集めず、失敗しないことを考えるべきだろう。それに、竜のことには個人的な興味がないでもない。
「素晴らしい竜だ。このような強大な翼に守られているのなら、イルも安心して暮らせるだろう。このあたりは熊や狼が出ると聞いていたから、少し心配していたが」
ハンナは他愛無い話題にもっていき、話をつなげる。イルは質問されたことに素直に答えて、話したいことは遠慮なく話した。腹芸ができるような歳でもないのだ。
普段どういう生活をしているのか、水はどうしているとか、そのような話題を中心にした。
イルが平気で狼や熊を殺しているということにハンナは多少の驚きを隠せなかったが、例の新式銃や罠を使っているのだろうと勝手に納得してしまった。
「そろそろご飯つくらなきゃ」
おなかがすいたのか、しばらく話したところでイルが立ち上がる。そこでハンナは手土産代わりに軍用車両に積まれている食料品を提供しておいた。味はあまりおいしいとはいえないが、栄養バランスはよい。
それと、ポケットに入っていたいくつかの蜂蜜飴をわたす。こちらは個人的な所有物であり、普通に甘い。
「また来てもいいかな。帝国の偉い人もイルと話がしたいと言っている。連れてきても問題ないか?」
飴を与えたところでそう言ってみたが、イルは首を振った。
「帝国兵はぜんぶ殺す。例外はあなた一人」
「そうか、わかった。次も私一人だけで来るよ。今度はもう少しおいしいご飯をもってこよう」
「果物を頂戴」
「なんとかしよう」
少し遠慮がなくなったイルの言葉に苦笑して、ハンナは息を吐く。
なんといっても、竜に食われずに済んだという安堵がある。あのような口約束など忘れていて、さっくりと食い殺される可能性もあったのだから、生きてこの山から下りられるだけでも感謝すべきだろう。
目的はほとんど達成されていないが、仕方がない。次につなげられたのだから、それだけで万々歳だ。
ハンナが車で去っていった後、イルはもらった食料品を平らげた。ハンナが三日分のつもりで置いていったことなど、イルにはわからない。たくさん食べて体をつくらなければならないと考えるイルは、よく食べる。もらった食料品はその日のうちになくなってしまった。
帝国上層部は何もハンナ一人にすべての問題を押し付けて逃げ出そうとしていたわけではない。
目的⑤が達成されれば帝国きっての切れ者を送り、なんとか説き伏せようと考えていたし、その人選も進めている。
同時に話し合いで解決しない場合のため、竜を殺す計画も進めている。むしろ、こっちが主軸だといっていい。帝国を恨んでいるらしい竜を味方につけられる可能性は低かったため、ならば排除と考えるのは自然だった。
一両日もしないうちに、優秀な帝国情報部によって竜を殺害する方法が探し出される。
竜の住処に近い地域では時折現れる暴れ者の竜を撃退するための兵器が拵えられていたという情報が、もたらされたのであった。竜のうろこを貫くための特別製の銃と弾薬がつくられ、運用されているのだという。竜以外を倒すには破壊力が過剰すぎるそれの設計図から何から手に入れて、それは優秀な帝国技術部に回される。
あらゆる部分から改良が検討され、設計が見直され、まさしく対竜ライフルというにふさわしい何かがつくられようとしていた。
これをもって秘密裏に竜を撃ち殺し、障害を排除する。
ハンナにはこのことが知らされていない。
彼女にはあくまでも交渉によって和睦するための使者として活動してもらう。そうすることで、このような企みを悟らせない。
一方で同じ情報をつかんでいるはずの王国側は、ほとんど動きを見せなかった。