安全な者
「そんなことはいい。兵たちがえらく騒いでいたが、竜が下りてきたというのは本当なのか? お前は間近にいたということだったが」
将校がそういった。
おそらく彼は、ハンナの出した報告書はまともに読んでいなかったか、疑ってかかっていたのだろう。
「本当のことです。この目で見ましたので」
「そうか。で、そいつは帝国兵を皆殺しにするとか言ったそうだな」
「はい、そのように」
「前にお前があげていた報告は、全部正しいのか? 本部からずいぶん絞られていたはずだが、本当にお前は見たのか」
「はい」
「もう一度作り直してくれ、だが今度はお前の感想はいらん。事実だけを書け。
下がって良し」
さがっていいといわれたので、ハンナは将校の前から離れた。報告書を作らなくてはならない。
もちろん言われなくても本部から叱責された以上、再度報告書は作るつもりだったから、特にどうということもない。しかし、イルのことは気にかかる。
あのような小さな子供が新式銃を求め、帝国兵すべてを殺すと言い放ち、竜に乗って去っていったのだ。帝国はこれをどう考えるだろうか。どのように対策をとるだろうか。
今度ハンナのつくる報告書が帝国の動きを大きく左右することは間違いないだろう。事実を淡々と描くしかないのはわかっているが、それでいいのかという疑問もある。竜というのは初めて見たが、あの巨体だ。あれに立ち向かう勇気は出ない。震えるくらいに恐ろしい。
新式銃は帝国の主力兵器だが、あの竜には通じまい。海戦で使うような大砲が必要かもしれない。あるいはもっと、別の兵器が。
あんな怪物が出てくるのであれば、帝国兵すべてを殺すというのもあながち不可能とは言い切れないし、存在するだけでも脅威である。
しかしイルを復讐の鬼としたのは、帝国兵だ。彼女から故郷を奪ったから、彼女は怒っているのだ。
やるせない思いをかかえて、ハンナは溜息をこらえた。
町はまだ騒ぎがおさまっていなかった。
人里には姿を見せないとされてきた竜が堂々と降り立ち、少女を連れて去っていったのだ。しかも「帝国兵すべてを殺す」という言葉までばっちり聞かれてしまっていた。
さらなる問題は、山村を滅ぼしたということをイルがしゃべっていたことなのだ。王国はこれを喧伝して、帝国の非を鳴らすだろう。竜の力を当てにするかもしれない。
そのあたりが大きな問題である。人々は色々な予想を口にしては、不安に包まれていた。
竜の降りた場所は立ち入り禁止区域に指定された。闇市は別の場所に移動してしまっている。そのくらいの不安なのだ。
ハンナは将校に呼ばれた。
たぶん、竜の一件に関することだろうなと思ったが、そのとおりである。報告書はきっちりと書いた。事実を捻じ曲げずに見たまま聞いたままを書いた。
先に大急ぎでふもとの町から通信した内容と、変わりない。あのときには全く信じてもらえずに正気を疑われたが、もう一度同じ内容を書いた。なんといわれようとそれが事実だし、ほかにも多くの目撃者がいたからだ。感想はいらないと言われたが、先に書いたものもそんなものは排除してある。
その結果が出たのだろう。帝国としての行動方針が決まったと思われる。
「ハンナ・フォード、到着いたしました」
「入り給え」
将校の前に進み出ると、彼は書類をいくつかもてあそんで、非常に困った顔をしている。
「いいかね」
と彼は言って、ハンナに気の毒そうな目を向けた。
「君の帝国に対する忠誠を疑うわけではないが、内容が内容だ。命令を下す前にだ」
「はい」
「必ずや、どのような命令をも遂行して見せると、誓ってくれるかね?」
妙なことを言うなとハンナは思ったものの、どのみち逆らえないので、はいというしかなかった。
「はい、ご命令とあらば」
とはいうものの、ハンナは心の中では「そんなわけがないだろう」とこたえていた。
山村での一件もある。すなわち、戦時徴用の一環として敵地を蹂躙しつくしたというのは紛れもない事実。将校も認めているし、それにかかわった多くの兵士からも言質をとっている。
そうしたことを自分もしろ、というのであればいくら約束していようが自分は遂行しないだろう。本音と建前は使い分けるべきだとハンナは知っていた。
「うむ」
ハンナがどのような命令も実行すると約束したので、将校は命令書を手渡した。受け取って中身を見たハンナは、驚く。
死ねというに等しい内容だったからだ。
「私にたった一人で、竜に会えというのですか?」
「そうだ。お前はあの小さな女の子に『殺さないであげる』と言われたそうではないか。逆に言えば、ほかの全ての帝国兵は殺されるのだろうから、誰一人使者としては用をなさん。
お前しかいないのだよ、ハンナ」
それはそうかもしれないが、これはあまりにも。
だが断り切れそうにもない。帝国としても竜とは戦いたくないだろうから、交渉を試みたいのはわかる。そして、将校が言う通り、その使者としては自分が適任なのだ。なにしろ殺さないと約束されているのだから。
頷くしかなかった。行くしかなさそうだ。
準備は整えられていたので、早速にも山村へ向かう。
竜たちの居所はわかっていなかったが、滅ぼしたという山村で何か行動を起こしてみるべきだろうという意見が多かったので、ハンナはしぶしぶ山村へ向かうこととなる。貸し出されたのは軍用車両一台きりで、行き帰りのぶんギリギリだけ燃料の入ったそれをぽんと渡されただけである。
ハンナは自分で屋根もない軍用車両を運転し、山村を目指した。
以前にイルと別れてから一週間ほどが過ぎている。日が暮れるころになってようやく、それらしいところについた。
「たぶん、ここだろうか?」
車から降りて周囲を見回してみると、明らかに人の手で切り開かれたと思われる空き地と、焼け跡がある。村があったと言われてみれば、そう見えるかもしれない。
放棄された村とみることもできないではない。ハンナはふもとの町まで行くとき、ここを一度は通ったはずである。そのときにはもう、死の匂いは消えていたのだろうか。本当に?
村の人は全員殺されたと聞いていた。探してみると、村のはずれの一角に何かを埋めたような跡がある。
その近くには大きな石が置かれている。イルが墓標代わりに用意したのかもしれない。彼女がこのような石を持てるはずもないから、竜に運ばせたのだろう。
敵国の者とはいえ、軍人でもない者を殺傷したのである。ハンナはそれを悲しみ、手を合わさずにはいられなかった。同じ帝国軍人の祈りなど迷惑かもしれないが、それでも故人の冥福を祈る。
しばらくそうしていると、突然背後に何か重いものが落ちた音が響く。同時に強烈な追い風。
あわてて振り向いてみれば、巨大な竜とイルがそこにいた。
「あなた確か、ハンナ。何をしに来たの?」
どこかで摘んできたらしい花を片手に持ったイルは、小さく首をかしげながらそう問いかけてくる。
ハンナはたいへん驚いたが、向こうから来てくれたのだから好都合であると頭を切り替えた。手に持った花を見るに、おそらく彼女は墓参りに来たのだろう。
「少し、時間をもらえないかと思って、きたんだ。それに、帝国の者としてこの村の方々には謝らなくてはいけない」
「村のみんなは痛い思いをして死んだんだから、謝ってもらったくらいじゃ足りない。みんな、死んでもらわなくちゃ」
やはりイルの意見は変わっていないようだ。だが、それでもハンナは話をしなくてはならなかった。命令だからだ。
「それも仕方ない。イルの怒りもわかる。そこもふくめて話をしたいのだが、時間をもらえないだろうか」
「いいよ。ここで話す?」
「ああ、椅子を出すからかけてくれ」
車から物資運搬用の木箱を二つだし、ハンナは地面に置いた。椅子代わりにそこへ腰かける。イルもそれに倣った。
竜はといえば、おとなしくしている。こちらにはまるで興味がないようだった。