鉄面皮
カイが数回も羽ばたくともう、ふもとの町は見えなかった。
先ほど買ったゴーグルを下ろしてみると、風圧に負けずに目を開いていられた。帽子が飛ばないように手でおさえて、イルは周囲を見回してみた。
空の上から見下ろす、山の頂上。そして、木々。
なんという、素晴らしい景色だろうか。カイの背以外のどこで、こんな景色が見られるのかイルにはわからない。今までは地べたから見上げるしかなかった空。その空に自分がいて、地面を見るという不思議。
地面がはるか下にあって、真横をみれば何もない。さえぎる物何一つなく、遠くまで見通せる。まるで神様になったような感じだとイルは思う。まさに空を手に入れたような気分。
風を切って颯爽と飛ぶこの大きなレッサードラゴンのカイは、悠々としている。山の神様という表現もピタリと感じていたが、それでは何か地上に縛り付けられているような感じだ。そのような言い方よりは、空を支配する王というほうがいいのではないか。
空の王。
格好いい、とイルは思う。これがより、カイにはふさわしいと思った。
「目的は果たせたか?」
『巣』に戻ってから、カイがいう。
わざわざふもとの町までいったのは、銃や弾丸を手に入れて銃の撃ち方を学ぶのが目的だった。
そこから考えると銃は手に入れられなかったが、装弾子は十分な数が手に入っている。それに、色々とあったものの、銃の撃ち方もおよそわかったのである。
目的は達成されたといっていい。
「果たせた」
「帝国兵すべてを殺す、というのは本当なのか」
「本当」
カイの質問に、イルは頷いた。
そうしなければならない。ことあるごとに、家族や村の人の無念が思い返されていた。
イルはどうにかして、この村人たちの無念を晴らしたいと考えている。そのためならどのようなことでもやってのける気でいる。
また、イル自身もそうしなければ、安らげないと信じていた。
「わかった。好きにするがいい」
竜はとくに反対するようなこともせず、ごろりと『巣』の中に身を横たえた。
「銃の撃ち方、試してくるね」
「ほどほどにな」
転がしていた新式銃を持ち、『巣』から出た。銃声は結構響くが、どのみち練習しなくてはならないので、気にしてはいられない。遠慮なく撃つことにする。
兵士たちがしていたことを思い出しながら、イルは銃にクリップを込めた。上下の別なく装填できるタイプだったので、そこに迷うことはない。安全装置を解除し、見様見真似で構えてみる。
狙いを手近な倒木に定めて、引き金を押し込む。忌まわしい破裂音がして、銃が火を噴いた。
反動は感じられたが、狙ったところに命中はしなかった。銃弾が地面にめり込み、土煙をあげるのが見えた。もっとよく狙わなくては。
「こうかな」
構えを微妙に変えながら、しっくりくる狙い方を探す。イルは装填した装弾子を撃ちきる前に、どうにか倒木に銃弾を当てることができた。
最初だからこんなものと言いたいが、もっと練習を重ねる必要がある。
それに、威力が足りていない気がする。弓に比べればもちろん大層な破壊力だが、物足りない。とはいえ、今は練習するしかない。
イルは無心になって銃を撃った。
少しずつ、指先の使い方や、銃の持ち方がわかってくる。
「終わっちゃった」
兵士から奪ったクリップホルダーについていた弾丸はすべて撃ちきった。だいたいのコツはわかったと考える。
少しずつ距離をとってみたが、じっくり狙っていいのならもう簡単になってきた。木の葉一枚ほどの標的で、五十歩ほども距離を置いても、撃ち抜くことができた。
ふもとの町で手に入れた装弾子に詰め替え、舞い落ちる木の葉を狙ってみるが、これも難しくはない。次は自分が歩きながら、走りながら撃つということにしてみるが、これは難しかった。体が動くと、狙いがぶれる。
今ある弾丸全てを撃ち尽くして、ようやくそれらしいコツがわかってきた。
いちいち狙いすましてはいられない。指先と肩の感覚で撃つ。
「難しいな」
腕がしびれてくるようなこともなく、平然と銃の反動をこらえられる。
しかし装弾子はこれ以上、簡単には手に入らないだろう。もう少し自分の腕前の上達が早ければよかったのだが、何しろ難しい。
イルは自分の不器用さに少しばかり苛立っている。彼女はもちろん、普通の帝国兵がこの射撃訓練にどれほどの時間を費やしているのかを知らない。
仕方がないので狙いをつける訓練だけをひたすら行った。実際に撃たないので、イメージトレーニングとなる。
しかし問題はその銃に大した威力がないように思われる点だ。殴るより弱い銃に魅力が今一つ感じられないのは仕方がない。
「もっと重くて大きくてもいいから、強い銃があれば」
そう思いながら、イルは溜息を吐くのだった。
イルが射撃訓練に精を出しているころ、ふもとの町では騒ぎがおこっていた。
竜が大勢の人間に、目撃されたからである。
ふもとの町に降り立った竜を、一番間近に見たのは帝国軍人のハンナだ。彼女は飛び去った竜とイルのことを、もちろん、軍へ報告を上げた。
しかしながら、これはほとんど信用されなかった。ほかの大多数の人々は闇市にあらわれた竜のことを、ろくに証言できなかったからである。彼らは逃げ出すことに必死で、竜の挙動や容姿を正確にみてはいなかった。
ハンナはせっかく報告を挙げたにもかかわらず、目立とうとして誇張した報告をしたと判断されて、叱責を受ける始末だった。通信によってその叱責の言葉を受け取ったハンナは、溜息を吐いて天幕から出た。
ここには帝国から選りすぐった精鋭5,000人ほどが生活している。ハンナはそのうちの三名について、民間人を殺傷した罪によって拘束した。彼女自身に処罰の権限はなかったが、彼らのしたことは正確に報告しておいた。こちらは誇張とは判断されず、彼らは処罰を受けることが決まった。
帝国兵としてのハンナは、イルがそう予想したように高い地位にある。参謀の一人なのだ。
精鋭を率いる将校は昔ながらの戦争のやり方に固執するタイプの軍人で、敵対するものはすべて燃やし尽くすのみだと考えているようだった。ハンナは諜報・斥候から集めた情報をもとに作戦立てて彼に助言することのできる立場にある。それが仕事だった。
ハンナは頭をひとつ振って、嫌なことを忘れようと試みた。そうすると、次に心の中に浮かぶのは、イルのことだった。
さらにいうなら、イルが言っていた、山村を滅ぼしたという事件のことだ。
帝国兵がよってたかって、山村から略奪をはたらいて、村人を全員殺したというのだ。
事実ならば、国家的犯罪ではないか。
しかし、あのときのイルの瞳に、嘘はなかった。おそらく本当なのだろう。あれほど復讐に燃えた目を、ハンナはこれまで数えるほどしか見たことがない。あれで嘘だというのなら、もう自分の負けでいいだろうとさえ思える。
日誌を確認すると、「山村で補給を行った」と記載があっただけ。しかし、いくらかの部隊の兵士たちに軽く聞き込みをしたところでは、確かにそのようなことはされたという。つまりあのようなことは、何度か行われていることなので、いちいち記録するにも足りないということなのだろう。
「将校、ひとつ確認したいことが」
ハンナは地図と向かい合っている司令官をつかまえ、問いかけた。生返事をする彼に、本当に山村をつぶしたかどうかを訊ねる。
彼は頷いた。それがどうかしたのかとばかりに文句を返してくる。
「当たり前のことだろう、それで戦争は続いているのだから。王国の奴らを殺して、俺たちが得るのが戦争だ。ついでに現地補給もできるとなれば、しない手はない」
「男性は殺され、女性は凌辱されたと聞いておりますが」
「そのようにしたからな。お前もきれいごとばかりでなく、そうしなければ兵士たちの欲求不満がやわらがないと思っているのだろう?」
悪びれずにそう言い放った。
どうやら本当に、心の底からそう思っているようだ。ハンナは、少なくない衝撃をうけたものの、なんとか表情に出すことはせずにすんだ。