竜の威容
誰かが走ってくる気配がした。こちらへ近寄ってくる。
一体誰だろう、と思いはしたが痛みがひどく、立ち上がることができない。頭も何発か撃たれているのだ。
熊の爪を受けるよりも、銃で撃たれるのはこたえた。骨が鳴って、芯からしびれるほどの痛み。
こんなものを一息に何発も撃てるというのだから、なるほどこれは帝国兵が強いわけだ。
火薬と鉛の弾、というのがこんなに強いなんて、とイルは思いかかった。だが、すぐにその答えを心の中の何かが拒んだ。
いや、違う。これはたぶん、みんなの痛みだ。
死んだ村の人たちが私に、銃の痛みを教えてくれているんだ。そうでなければ、こんなに動けなくなるはずがない。
今の私と同じような感じでみんなは死んでいったんだ。ずいぶん痛かったろうし、怖かっただろう、つらかっただろう。
よかった。みんなの気持ちが知れて。
イルはぼんやりとそんなことを考えた。村人たちが銃撃で殺されたときと、今の状況は似ていないこともない。こんなに痛い思いをするというのに、どうしてそんなものをたやすく他人に向けられるのか。今のイルにはわからない。
だが、村人たちが死に際に与えられた痛みや、無念さは強く感じ取ることができた。このような気持ちを、そっと仕舞っておけるはずもない。
もちろん竜の血を浴びた時に比べたら、こんな痛みは大したものでもない。それでも今のイルを地面に倒すほどの痛み。
こんなものを、村人たちは味わったのだ。そうして、ほとんど無意味に命を奪われた。
だったら彼らも同じような目に遭うべきだ。イルはそう思い、なんとか立ち上がろうと考えたがまだ動けなかった。
そうしている間に、誰かが怒鳴った。ここへ走ってきていた人だろう。
「お前たち、何をしている!」
知っている声だった。
この声は、ついさっき、取引をした帝国軍人の女だ。銃声を聞いて飛んできたのだろう。
実際にそうだった。この帝国軍人は、街中で銃をぶっ放している軍人がいるときいて慌ててすっ飛んできた。そこで部下が小さな女の子を銃撃しているのを目撃して、それで怒鳴ったのだ。
「いいえ? この女が俺たちの金をひったくって逃げようとしたから撃ったんです。仕方がなかった」
兵士たちは悪びれもしないで平然と言い訳をする。
どうとでも理由はつけられると自分たちで言ったとおり、身勝手に冤罪を押し付けていた。
「そうだとしても何発撃った! こんな小さな子に」
「見せしめです、必要な行為でした。不安ならその子の懐を見てください、子供には持てないくらいの大金が入っているはずだ」
ニヤニヤ笑いをしながら兵士たちは抗弁した。
その金が、目の前の女によって手渡されたものだとは思いもしないらしい。
あまりのことに、女はますます怒った。すでに大声で怒鳴り散らすほどだったが、この上は逆に青ざめるほどだった。自分が率いるべき部下たちがこれほど愚かであるとは、信じられない。
「ふざけるな! 私はその子を知っているんだ。お前たちが言ってる金は、その子が正当に手にした金だ!
まずは銃を下ろせ。お前たちはここに何をしにきているのだ! 誰が帝国軍人の地位をかさにきてやりたい放題しろと言ったか!
見てみろ、この有様を! 三人がかりで子供をいじめて挙句、銃で撃ち殺したなどと誰に胸を張って説明するつもりだ!
言語道断だ、一体何を考えている!」
と伝えたものの、兵士たちはまるでこたえたように見えない。薄笑いを浮かべている者さえいる。
この女軍人の地位はそれなりのものだったが、独断でこの者たちを処刑できるほどのものではない。兵士たちはそれを知っていて、平然としているのだ。
女は舌打ちをして、もう彼らを見なかった。それよりも、倒れている小さな女の子に近づいていく。恐らく生きていないだろう。
地面に転がっている彼女のコートは穴だらけになり、帽子やゴーグルは外れて地面に落ちている。
新式銃で子供を撃ち殺すなどということは、凄惨の一語に尽きる。帝国の誇りがかかった制式の装備で何の罪もない子供を殺したのである。それを自分の部下がやったともなれば、胸がつぶれるような思いにとらわれても仕方がない。帝国軍人の女は子供の身体をそれでも確かめようとした。
胸中のいら立ちや悲しみを押し殺して、口元を結んでその体に手を伸ばす。
「馬鹿どもが。こんなに小さな子一人に、なんてひどいことを」
無駄とは思いながらも生死を確認しようとしているのだ。
イルは、そのことを知った。目を開いて、女の顔を見た。
「あなたは」
「なっ」
イルが声を上げると、女は驚いて、震えた。まずもう、死んでいるだろうと考えていたのに、散々に撃たれた子供が生きていたのである。
驚いて当たり前だった。だが、女の行動は早かった。
生きているのなら、すぐに怪我の治療をしなければならない。
「大丈夫か! おい、すぐに医者を呼んでくれ、金なら私が出す! そこの三人、突っ立ってないですぐに陣地から薬を持ってこい!」
「平気。少し、痛かったけれど」
慌てて動き出そうとする女の手を軽く握って、撃たれた肩をかばいながら、イルは体を起こす。そうしなければ、見た目以上に目方のあるイルを持ち上げようとした女の腕が痛むだろう。
「お、おい」
「大丈夫。少しだけまだ痛むけど、本当に大丈夫」
「だが、いや。まだ寝ていろ。銃で撃たれたんだぞ! 治療をしなくては。医者を呼んでいるんだ、そうだ。お金なら私がいくらでも払うから、傷を診させてくれないか」
「あなたはいい人みたい。帝国兵なのに」
イルは本当にもう平気だと思っている。撃たれた瞬間はたいへんな痛みだったが、しばらく休んだことでだいぶ落ち着いた。血も出ていないし、問題なさそうだ。
それよりも近くで寝ていてくれとしきりにいうこの帝国軍人が気にかかるくらいであった。
最初は少しばかり敵意を抱いたが、こうして心配してくれているのを見ると優しい人間であると思える。
自分を気遣う女を見ながら、イルは膝を伸ばして立ちあがる。
「寝ていろ、立てるわけがない! いや、本当に大丈夫なのか?」
防弾用の何かを着込んでいたのか、などと帝国軍人の女は考え、そしてすぐにその考えをわきに押しやってイルの心配をする。
いつの間にか周囲には人だかりができていた。銃声と女の助けを呼ぶ声で、一気に注目が集まってしまったのだ。闇市にいた人がそのままギャラリーになっている。
「いい。それより、名前を教えてほしい。あなたの名前」
「私か、私はハンナ……、いやそんなことより本当に身体は平気なのか?」
ハンナと名乗った軍人が、完全に心から自分を案じているのがわかった。イルはこの帝国兵のことを好きになりつつある。敵ばかりの中で、真剣に自分のことを心配して、自分を撃った帝国兵を叱り飛ばしてくれたのだ。こうならないほうがおかしい。
大丈夫だと繰り返しながら帽子とゴーグルを拾い上げて、砂を払ってかぶりなおす。
そうして彼女は告げた。
「私はイル。あなたたちが滅ぼした村の生き残りで、いずれは帝国兵をみんな殺すつもりでいる。
けれども、あなたは私を心配してくれたから、殺さない」
「なんだって」
驚くハンナの顔を見ながら、イルは小さな口に自分の指を入れて、思い切り指笛を吹いた。
「滅ぼした村の、生き残り?」
ハンナはそこに驚いているようだった。
「そう。私の村は帝国兵に消された。大人はみんな撃ち殺されたし、女の人はみんないいようにもてあそばれて、殺された。子供だってそう。
私の弟は痛い思いをして殺された。私も乱暴されかけた」
「そのような非道な行いは、我が帝国軍の誇りにかけても許されない。詳しく教えてくれないか」
「自分で調べて。ちいさな山村だから、もしかしたら帝国は気にもしてないかもしれないけれど」
イルはかるく首を振った。どうやらハンナは山村で何が起こったか知らないらしい。おそらくここにはあとから赴任してきたか、先に潜入していたに違いない。
そう考えていると、指笛を聞きつけたカイがやってきた。
上空からレッサードラゴンが舞い降りてくる。巨体が町の空を覆った。
たちどころに、ふもとの町は大騒ぎになった。
「ドラゴンだ!」
「なんだ、逃げろッ! 皆急げ!」
闇市の人々は先を争うようにして逃げ出した。売り物がその場に放置され、全員が走って散っていった。
本来なら人里には近寄らないはずのドラゴンがきたのだ。レッサードラゴンは弱い部類に入る竜だが、そのようなことは人間たちからしてみれば関係がない。竜の前では人は無力なのだ。
「逃げッ、逃げないと!」
竜の威容を見たハンナも大慌てでイルに逃げるように促している。
もちろん、イルはこれを断った。
「このドラゴンは私の味方」
闇市の人が、まるで波の引くように逃げていく。竜が降り立とうとする地点から、少しでも逃げようと人が去っていく。その中央にイルとハンナは残っていた。
レッサードラゴンのカイが地上すれすれまで降りてきたが、ハンナは膝を震わせながらも、逃げずに残っている。あまりの驚きに逃げるという発想をなくしてしまったからである。それに、大けがをしているはずのイルを放置してはいけなかったからだ。
しかしイルはハンナの手から逃れるように身を引いて、言った。
「私は、いずれ帝国兵をぜんぶ殺す。また会える時があったら、今度はもう少し話をしたい」
地面を蹴って、飛び上がった。そのまま空中にいるカイの背中に飛び乗る。
「イル!」
ハンナの声を無視して、すぐにカイは大きく羽ばたく。巨体は軽々と空に浮き上がった。
猛烈な風が巻き起こり、地上のハンナは吹き飛ばされかかり、その帽子が飛んだ。長い髪が風になびいて揺れる。だが、それでもイルを見やって心配しているようだった。
カイはすぐにその場から飛び去って行く。あっという間にハンナの姿は見えなくなった。
「約束の場所と違うではないか」
カイが文句を言うのを聞きながら、イルは小さく頷いた。