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婚約破棄された令嬢は穏やかな日々の夢を見る  作者: やしろ
第1章 西の森の魔女
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7

視点変更があります。前半は魔女と帝国の人の会話。最後のほうでデボラ視点に変わります。

前半は経緯説明のほぼ会話文。



  ■ ■ ■


 玄関を入ってすぐ右、一階のそれほど広くはない部屋は書斎としての役割ともう一つ、時折来る訪問者を通す目的で使われている。そのため調度は少なく、部屋の中央に応接用の机と長椅子一揃いがあるだけで他はすべて書棚で埋められている。

 その机を差し挟んで向かい合うのは、西の森の魔女とレクティタ帝国皇帝の弟ルスラン・セルゲヴィチ・メチェーリだ。アヴグスト2世の即位と同時に公爵に叙され、帝国の要衝ミターリ領に封ぜられてミターリ公を称する。

 机の上にはデボラが入れた紅茶が二客分、それぞれの前に出されかすかに湯気を立てていた。


「それでは約束どおり話は聞こう。証は本物だった」


 口火を切ったのは魔女だった。大儀そうに長椅子の背もたれに背を預ける。それにミターリ公はわずかに目を伏せることで謝意を示した。


「不躾な訪問であったにもかかわらず耳を傾けていただき、誠にありがとうございます。先の無礼な振る舞い、誠に申し訳なく、今一度お詫び申し上げる」

「謝辞はもう聞いた。それにあの登場の仕方もくだらない脅しもすべて北のの入れ知恵だろう。私が今日あの村に行くのもどうせ奴から聞いたんだろう」


 驚くことでもない、と無感動に魔女が返す。


「ご賢察、恐れ入ります」

「世辞はいい。それで、話はなんだ。端的に頼む」


 淡々とした口調を崩すことなく先を促す魔女に、ミターリ公もまた心得たように顎を引いた。


「はい。では申し上げます。西の森の魔女殿は、空間を一瞬にして縮め、大軍を移動させる技をご存知でしょうか。もしご存知であればいずれに由来の技かご教示いただきたく」


 静かな部屋に響く低い声が語る内容に、魔女がわずかに身を起こす。


「どういうことだ。空間を縮める?」


 問いかけにミターリ公は「はい」と頷いて先を続けた。


「空間転送装置、というのだそうですが、浅学ながら我らレクティタの者はこれに類する技を目にしたことがございません。精霊陣を用いることもなく、精霊の力を借りずに空間を渡る。そうした技はこの世界のいずこかに既に確立されてある技術なのでしょうか。もしそうであればその実用事例や危険性をご教示いただきたく存じます」


 レクティタ帝国は精霊信仰が盛んな国だ。それに応じた精霊術や精霊陣もあるが、今回助言を求めてやってきた問題の装置はまったくの未知の技だった。


「……それを訊いてくるという事は、レクティタに現在その空間転送装置とやらがある、ということか」


 やや低くなった魔女の声音にミターリ公は短い沈黙を挟んだ後、慎重に言葉を繋いだ。


「使用を持ちかけられている、とした方がより正確でしょうか」

「レクティタ帝国正規の所有ではないのだな」

「はい。これを採用するか否かで、現在意見が割れております」


 ミターリ公の発言に魔女がうっすらと眉を寄せる。


「経緯を詳しく話せ」


 促されるままにミターリ公は自国の現状を語り始めた。


「はじめにこの装置を議題に挙げたのは我が帝国陸軍大佐のクルイーサ伯でした。大軍を一瞬で遠方の地まで運ぶ(すべ)があると。これをもってすれば西の森もほんの一足で飛び越すことができる、どんな奇襲であっても成功させることができると発言したことが始まりです」


 淡々とした口調は淀みなく、ただ事実だけを連ねていく。


「無論、最初は誰も信じる者はおりませんでした。クルイーサ伯の妄言であると。しかし、会議のたびに提言を繰り返し、果ては実際に使用し証明する、と明言するまでに至りました。我らもそこまで言うのならば、と皇帝の承認を得て、クルイーサ伯に一度きりの機会を与えました」


 そこで一度言葉を切ったミターリ公は小さく息を吸い、腿の上に置いた拳に軽く力をこめた。


「結果、クルイーサ伯の発言は事実でした。その日、試験の為に用意した一個小隊は演習場の南端から北端まで、まさに一足で移動したのです。それだけであれば新しい技術に驚嘆するだけでよかったのですが、その(すべ)はクルイーサ伯本人でもなく彼の部下でもない、異国の者が持ち込んだことが同時に判明いたしました。伯の言によれば新技術を扱う武器商人だ、とのことでしたが、その空間転送の技術は何に()るものかも不明、扱い方の詳細もすべてその異国の者しか知らぬと。当日演習場で装置を設置したのは伯の部下でしたが、作動方法はわかるが転送先の指定や具体的な設定方法はまったくわからぬという証言を得ております」


 おまけに空間転送装置を試験的に使用する日、武器商人自身が姿を見せることなく、すべてクルイーサ伯を通してのやり取りに終始したのだと続けたミターリ公に魔女は目を眇めた。


「取引するには信用ならない人物だ、ということか。しかし国は割れている。それを使って西の森を飛び越え、どこを攻める気だ。イーリスか。それともアルバ・ガリカか」


 鋭くなった魔女の声にミターリ公は目を伏せることで控えめな同意を示した。


「ご慧眼まことに恐れ入ります。この伯の持ち込んだ装置を使い、アルバ・ガリカに攻め込むか否かで現在意見が割れております」

「その言いようを聞くに、ミターリ公は侵略戦争にあまり乗り気ではないようだな。せっかく侵攻する手段があるのに、何故躊躇う。一度はその手を伸ばした国だろう」


 過去の歴史で、確かにレクティタ帝国は一度アルバ・ガリカに攻め込んでいる。結果は惨憺たる有様だったが。


「百年前のことですので、どうぞご容赦ください。こたびの件に関しましては、侵攻するにあたって用いる手段があまりに不明確である、と申し上げればよいのでしょうか。未知の技法を用いた装置は、わが国の人間で全容を真に理解している者は皆無です。それを使用することによって起こりうる危険性を誰も把握できず予測すらままなりません。そのような不確定なものに頼り戦をするのはあまりに危険であると考えております」

「その異邦人を囲い込めばいいのでは?」

「それができない、という点も不安要素の一つにあります。装置について詳細を述べよと出頭を命じましたが、各地をまわる商人である為一つところに留まる事が少なく連絡が容易に取れない、などと理由にもならぬ理由で躱されております。どうやら伯自身もその異国の者の所在を掴んでいるわけではない様子。また、その武器商人は少なくとも国内に拠点を構えているわけではなく、取引の前歴もありません。この条件では、いくら有用に思えるものであっても採用するのは早計ではないか、というのが反対派の意見です」


 言いながらも言葉の端に苦みが滲んでいく。己の発言に忸怩たるものがあるのだろう。これまで冷静だったミターリ公の顔色に初めて感情らしきものが過ぎる。

 魔女もまた呆れの滲んだ息を吐き出した。


「驚くほどの怪しさだな。それでも意見が割れるか」

「お恥ずかしい話です。何分わが国にとって不凍港の獲得は宿願とも申しましょうか、それゆえ、過去、手に入れ損ねた西の国に再び手が届くやもしれぬ、という目先の利益にとらわれる者が少なくありません。しかし、安易に手を出すにはあまりに危険すぎる賭けのように思えるのです。そのような不確かなものに手を伸ばすよりも、今は国力の回復に努めたい、というのが本音でもあります。先に東のムーダンと休戦協定締結後に講和条約を結んだとはいえ、いまだ回復しきっていないのが現状ですので」

「怪しいものには手を出したくない、というのがメチェーリの考えか。……仮にそれが安全な技術であり成功が保障されたものであれば使うのか?」


 起こしていた背を再び背もたれに預け腕を組んだ魔女の言葉に、ミターリ公は数瞬迷ったようだ。けれど小さく息を吸い、しっかりとした口調で言葉を継ぐ。


「……これは国としてではなく個人としての意見であることお含みおきください。兄と私は私人としてあの装置には手を出したくない、と考えております」

「なぜ」


 どこまでも感情の窺えない冷えた声の問いにも、ミターリ公が怯む気配はない。


「……あれは、我らの手に負えるものではないように思えるのです。先ほど意見が割れた理由に不凍港を挙げましたが、恐らくそれだけではありません。演習場で目にした光景があまりに衝撃的であったことも影響しているのだと考えております。一個小隊がその装置を跨ぐだけで一瞬にして別の場所へ現れる。その技に魅せられた者が確かにおります。しかし、私には、あれが何か、人知を超えた力のように思えてならないのです。過ぎたるものに手を伸ばせば、いずれ己が身に返ってくるのが世の必定ではないのでしょうか」


 言い切り、ミターリ公は真っ直ぐ対面に向けた視線を強くする。


「それゆえに、もしこの装置のことをご存知であればお聞かせ願いたいのです。何に拠る技か、その(もたら)すものを、危険性を。あれを否定するに足る理由を、西の森の魔女殿のお言葉として賜りたい」


 それが目的だと宣するように揺らがぬ声で助力を請うたミターリ公に、魔女は数拍の後に小さく息を吐いた。腕を解きカップを手に取ると紅茶で口を湿す。


「そうか。……ならば、その形状はわかるか。使用時、作動時の様子をなるべく詳しく話せ」


 腕を解き背を起こした魔女の言葉に、ミターリ公は素早く上衣の隠しから一通の書簡を取り出す。封蝋に捺された印璽はレクティタ帝国皇帝のものだ。


「こちらの書類に現時点でわかる範囲の情報をまとめてございます。形状は試験に参加した兵士の証言をもとに再現した絵を載せておりますが、実物が手元にない為、模写ほどの精密さはございません」

「持ち込んだその怪しげな商人とやらの風体は」

「五枚目の書類から。これも伝聞に頼っておりますが、ご容赦ください。後は、伯を筆頭とした侵攻推進派について、少し気になることも併せて記載してございます」

「気になること?」


 矢継ぎ早に向けられる問いに的確な返答をしていたミターリ公が付け足した内容に、書類を確認していた魔女が顔を上げる。

 魔女から向けられる視線にミターリ公は言葉尻を濁した。


「少し、様子がおかしいと申しましょうか。あまりにあの異国の者を安易に信じすぎると申しましょうか」

「正常な判断力がない可能性がある、と」

「確証がないため手を出せずにおります」

「帝国上層部が調べても確証を得られない」

「強引な手に出るには推進派が大きくなりすぎました」

「後手に回ったな」


 端的に寄越された評価にミターリ公が目を伏せる。


「まったく面目しだいもございません」

「しかし、これは……。メチェーリの。返答は二日待てるか」


 渡された書類に目を通していた魔女が、考え込むような間を挟んだ後におもむろに問いを向ける。ミターリ公は驚いたように眉を上げた。


「は。返答、ですか。待てるか、とは」


 疑問が滲む声にも、魔女は気にした風もなく言葉を続ける。


「そちらが求める問いに対しては、現時点で空間転送などという技を使う者はいない、という答えになる。現状存在する国家単位から民族部族の一人に至るまで、その技を生み出した者はいない。存在しないはずの技術だ」


 寄越された言葉に瞠目する。


「それは……」

「しかし現実問題、この装置が存在しているという。この処遇に関して私の一存で決定することはできない。他のものの意見も仰がねばならないし、その結果いかんによって更なる助言を与えるか否か、方針が変わってくる。二日待て。二日のうちに方針を固める。あの村の隣村あたりにでも部下達を待たせているだろう。部下と共に森の外で待て。(しるし)は持たせる」


 印は、古来五賢人が助言を与えた証として訪ねてきた人に持たせてきたものだ。それはその時々で異なり、魔女は今回仮の印を持たせるつもりでもあった。


「ご存知でしたか」


 部下達を連れてきたことを言い当てられ軽く目を瞠るミターリ公に、魔女は素っ気なく言い捨てる。


「少し考えればわかることだ。ミターリ公が、北のの助言があるとはいえ本当にこんな辺境に単身来るはずもない」

「二日待てば、存在しないはずの技術、という以上の助言をいただけるのですか」


 どこか確認するような響きを帯びた声に魔女は首を小さく傾けた。


「それは今はなんとも言えないな。反故にされるか不安があるか?」


 二日待った末に音沙汰がなくなるのを恐れているのだろう。疑心を指摘した魔女に、ミターリ公はその目に浮かんだかもしれない不安を隠すように視線を落とした。


「そのようなことは」

「取り繕わなくていいぞ。北のは特に不干渉を貫いていたからな。今回の件で五賢人とやらが実在していたのにすら驚いているところだろう。恐らく先祖の約束の品とやらも半信半疑だったろう。関わりの薄い地域ほど関心が薄れ疑念が生まれるのは自然なことだ。神や精霊とて、信じぬ者はいる」


 言って、魔女は何事か思案を巡らせるように目を宙に舞わせ、ややして思いついたように口を開いた。


「そうだな。ここで待って結果を持ち帰るか」


 突如示された提案にミターリ公は目を瞬いた。


「ここ、と仰いますと」


 まさかと思い口にした言葉に事も無げに答えが寄越される。


「この家だ。結果がでるまで早ければ明日中、長くて二日後。その間ここで待つか?」


 重ねられた言葉に咄嗟にミターリ公の口をついて出たのは肯定だった。


「お許しいただけるのであれば。過分なるお心遣い、痛み入ります」


 是非もない。

 確実に助言を得られる道を逃すはずもなかった。魔女もまた頷く。


「よし。それでは弟子にも説明しておくか」


 そうしてミターリ公、ルスラン・セルゲヴィチ・メチェーリの短い逗留が決まったのだった。



  ■ ■ ■



 音が聞こえた気がした。

 締め切られた食堂の扉の向こうで、かすかな物音が聞こえた気がして、デボラは手元に落としていた視線を上げた。ずっと同じ姿勢でいたせいか、少し強張ってしまったような足や腕を操って食卓を立つ。無意識に扉へと向かったデボラが今まさにその把手に手をかけようとしたときだった。


「ここにいたのか」


 開いた扉の先に少しだけ驚いたように目を見開いた魔女の姿を見つけ、デボラの頬がゆるむ。


「お疲れ様でございます、お師匠様。お話は終わられたのですか?」

「先に休んでいていいと言っただろう」


 背後の食卓に載る茶器を見たらしい魔女の眉尻がほんの少し下がる。困ったような顔の師にゆるく首を振った。


「好きでしていたことですから。お茶を入れますわね。お食事はいかがされますか?」


 ずいぶん長いこと話をしていたから、きっと喉が渇いているだろう。お腹もすいているだろうし何か軽いものを、と台所へ向かおうと身を翻すデボラを遮るように師の声がかかる。


「いや、その前に少し話をしておきたいことがある」

「お話、ですか?」


 振り返りかけた中途半端な姿勢で動きを止め、魔女を見る。


「ああ、客人が二日ほどここに逗留することになった。その関係で少し話をしたいから、こちらに来なさい」

「え?」


 思わず魔女の白い顔を見つめる。そのいつもと少しも変わらない凪いだ目を見、ややして魔女の背後、扉の影へと視線を移した。そういえば、魔女の後ろに付き従うように気配があったと今更のように気づく。


「客人を泊める間、私は部屋にこもりきりになるだろうから、世話を頼みたい。ヨルも傍につけるからな。細かい説明があるから、おいで」

「は、はい」


 手招く魔女に困惑を抱えたまま頷く。デボラがよくわからぬままに、逗留することになったという北の帝国の要人に関する注意点を別室ですっかり聞き終わる頃には、月は中天に差しかかろうとしていた。



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