4
3の続き。場面は変わっていません。
あと前半三分の二を占める術式がどうたらという部分は読み飛ばしてもらって大丈夫です。
次から村に出るので話しが少しは動くはず。
「はい。ありがとうございます」
「うん。それに札もお前が書いたものの方が効果があるから、それも喜ばれていたぞ? 元から村で流通していた札よりも効果が大きいとも言っていたな。あれはどういう理屈なんだ?」
札、というのは特定の効果を狙った術式を書いた使いきりの紙札のことだ。例えば火が出る札、水が出る札、土を一定範囲掘る札など、主には日常生活で使われる。竈の火種になったり水瓶に飲用水を貯めたりといったことだ。
アルバ・ガリカで普及しているそうした効果を付加した生活用品がレクティタではそこまで発展していないようで、あっても高額なことから庶民は札を利用するのが一般的らしい。そこで魔女もまた取引物品の一つとして集めた書物を参考に札を作っていたようだが、デボラの作る札と効果が違うのだという。
(知的好奇心を刺激されている顔だわ)
なんだか少し輝いて見える魔女の目に小さく笑い、しばし黙考してから「恐らくですが」前置きしてゆっくり口を開いた。
「お師匠様の札はともかく、他の札とは術式に対する理解度、が差として出ているのだと思います」
「理解度?」
不思議そうに返された言葉に首肯する。
「お師匠様はご存知ですよね? 術式は一見幾何学模様のように見えますが、これはただの模様ではなく世界に満ちる精霊力……これは国によって呼び方が違いますが便宜上マナと呼びますね。マナへ働きかけるための式だということは」
「ああ。意味ある形を組み合わせて効果を生んでいるんだろう」
「はい、その通りです」
思わずにこりとする。
魔女の札を初めて見せてもらっときは驚いたものだ。デボラたちとは違う理の力を振るい、精霊に力を借りることなく日々を営んでいる魔女は、自らは使わないのにそれは美しい術式を書いていた。
写された術式を見れば、たいていのことはわかるものだ。
術式の構成を理解して書いているのか、それともただの模様として書いているのか。魔女は明らかに前者だった。
「あの模様に見える一つ一つに意味があり理由があります。その一つ一つの意味を積み上げて力を導く。数式と少し似ているでしょうか」
そこでスープをひと掬い口に運び、嚥下して首を傾ける。向かいでは師もちぎったパンを口に放り込みながら熱心な様子で頷いていた。
「そして術式というのは完成された式です。誤りなく写せば既定されたとおりの効果を発揮します。それは誰が書いたものであろうとかわりません。しかし、先ほど申し上げたように術式は、すべてに意味がある式なのです。線一本、点一つに意味があり、その構成によって効果を生む。この構成を理解して書くことで、体内にマナをもって生まれる私達はその式に適切なマナを微量にこめることができます。この力をこめる作業は意識的にすることもありますが、たいていは無意識下で行われるようです」
「意識的にすることで得られるものは」
「より膨大な効果の発現。やりすぎると暴発しますので、加減が難しいのですが。ともあれ、この術式に対して適正な属性のマナをこめることで、発現時にこめた力が呼び水となってより大きな効果を生むのではないかと」
デボラの持論だが、ディムフォレスト領内で共有されている認識でもある。精霊に呼びかけその力を借りる、世界に満ちる精霊力を使わせてもらう。
そこで不意に母の言葉を思い出してつい微かな笑みが漏れ出た。
「どうした?」
小首を傾げる師になんでもないのだと手を振る。
「申し訳ありません。このお話の流れで、以前母から聞いた言葉を思い出したものですから、つい」
「どんな言葉だ?」
ずいぶん興味深げな魔女の姿に、失礼ながらもなんだか微笑ましい気持ちになる。短い期間だが共に暮らし、様々な知識や技術を彼女から学んできて感じたことだが、西の森の魔女は典型的な学者気質らしい。それゆえに自らは使わない術式関係の書物も豊富に集めているし、その理にも興味を持つ。
これまでも何度か術式に関しての意見を求められたが、その内容から察するに、どうやら周囲に術式を扱うものがいなかったため実用関連で生じる様々な事柄についての疑問を抱え込んだままだったようだ。それが、デボラが来て疑問が晴れる機会ができた。今回の問答もそんな魔女の知的好奇心、探究心が大いに刺激された結果だろう。
「ふふ。母が、今回と似たような内容で議論していた兄と私に向けた言葉なのですが。
〝術式が、精霊に協力してもらうためのご挨拶と助けてほしい内容をまとめた仕様書。同じ挨拶でもお仲間の属性の気配がしたほうが呼びかけに耳を傾ける気になりますものねえ〟と。
それで私達、すっかり気が抜けてしまいまして。確かにそう考えると腑に落ちるところもありますから、あまり理屈にこだわりすぎるのも良くないと思ったのです」
兄はデボラよりずっと優秀だが、どちらかで括るならデボラと同じ理詰めの学者気質だ。対して母は感性で物事を理解している。術式も、式、というより言葉として捉えているようだった。そんな母の言葉は理解できないこともあるが、時折ハッとさせられることもある。
思い出して頬をゆるめるデボラに、魔女はしきりに頷いていた。
「なるほど。私が書いたものには力が宿らない。だから術式に本来設定されている効果のみが現れる。村で流通していたものにも力がこもっていなかったということか?」
「恐らく、ですが。こもっていたとしても漠然としたものではないかと。火の札であっても火の式のみではなく風の式も細かく入ってきますし、そういったすべての要素を理解していないと適正な属性のマナは付加されませんから。それが差となって現れたのではないでしょうか」
「そういうことか。術式の内容が国によって違うのも、お前の母君が言うところの国によって言語が違うから、か」
「はい。術式はあくまで人間側が精霊に助力を請うために生み出された、人間の為の道具です。国ごとに言語が違うように、国ごとに精霊への理解は違います。そうするとおのずとその国に馴染む術式が生まれますから。ですから、その国特有の術式に慣れている精霊に違う国の術式で働きかけると効果が鈍ったり起動するまで時間がかかる結果に繋がるのだと思います」
この為、術式を付加した武器は防衛には向いているが侵略には向いていない。無論、個人が保有する精霊力の多寡や操作のうまい下手によって例外はある。あるが、それでも大多数は、効果が出るには出るが国内で得られるそれの半分程度という結果に終わる。この為侵略戦争で術式が主力を担うことはない。もっぱら国防目的で用いられ、後は軍事利用された技術が民間利用へ転じるくらいか。
「というと、お前達の領が他国へ輸出している製品は」
「輸出先の国で使用される術式に変更しております」
思わず胸を張ってしまう。
こと精霊術に関しては西側諸国の中でも頭一つ抜けているという自負がある。それも全ては開発や製造に携わる術士や職人、研究者が積み重ねてきた努力と研鑽の賜物だ。そしてこの分野の発展に力を注ぎ環境を整えてきた歴代領主達の思いも。
「お前は、自領のことになると誇らしげな顔をするな」
「ディムフォレストと我が家は、私の誇りですもの」
当たり前のことである。
精霊を愛し、精霊を敬い、精霊と親しくするディムフォレストの領民は、みな日々を家族と隣人と精霊に感謝しながら暮らしている。
農民も技術者も職人も商人も、皆日々己の生業に精を出し、向上心を忘れずより良くしようとする努力を怠らない。その領民たちがあるからこそソルタス家もあり、彼らの生活を守るため、ディムフォレストを守り繋いでいくために父も母も兄もたゆまぬ努力をしている。婚約さえなければ、デボラもまた領地の中で嫁ぎ子を生し、家族と領民の為に一生を終えるはずだった。
そんな家族や領民のことを誇りに思わず、何を誇りとすればいいのか。
不思議そうに首を傾げるデボラの向かいで、魔女は優しく目を細めた。時折見せる、どこか懐かしむような表情。
「お師匠様……?」
知らず口をついて出た呼びかけは、けれどその先の言葉を持たない。どうかしたのか。何を思ったのか。問うても、きっと魔女は答えてくれないだろうから。
「お前は、良き貴族だな」
唐突に向けられた言葉に目を瞬く。
虚をつかれ咄嗟に言葉が出ないデボラを置き去りに、魔女は淡々と先を続ける。
「領民を思い、領地の特性を理解し、生活向上の為の方策に思索を巡らせる。領主の娘として求められるものを理解し、己を律し、役割を果たすための自己研鑽を怠らない」
「そんなことはありません」
知らず否定が口をついて出た。
「そんなことはありません。それはお師匠様の買い被りですわ」
そんな風に言ってもらえるような身ではないと、誰よりデボラが知っている。
デボラがしてきたのは、当たり前のことだ。貴族の娘として生まれたならば、皆が負うこと。領民のことを愛しく思うのも、その生活がより良くなるために、領地の未来の為に必要な婚姻を結ぶのも、当たり前のことだ。
領地経営における主力である術式に興味を抱いて学んだのはただの偶然で好きでしていたことだが、他はすべてある程度の家格を持つ貴族子女がしてしかるべき当然の事柄だ。それは改めて褒められるようなものではない。第二王子との婚約で増えた学習課題は少し、いやかなり大変だったが、それも備えてしかるべきものだったから、やはりこれもこなして当然の範囲だろう。
ただソルタス家に生まれたというだけで自身は何も成していない自分をお嬢様、お姫様と慕ってくれる領民の為に、優しく時に厳しくデボラを導いてくれる大好きな家族の為に何かをする、というのは普通のことではないのか。
困惑のあまり拙くなるデボラの言葉に魔女は何を思ったのか。そのモーブ色の目に慈しみと、そして哀しみともつかない不思議な色をのせてデボラを見透かす。
「デボラ。お前は、他のものに向ける優しさを、もう少し自分にも向けてあげなさい」
優しい声が昼の食堂にやわらかに落ちる。
春の終わりの陽射しもあたたかな空気もふんわり満ちていく昼食のにおいも、すべてすべて優しくデボラを包んでいるのに。穏やかで優しいものだけで満たされた空間で、デボラはもらった言葉をどうしてもうまく飲み下すことができずにいた。