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婚約破棄された令嬢は穏やかな日々の夢を見る  作者: やしろ
第1章 西の森の魔女
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3


 ふんわりとあたたかな空気が食堂を包む。

 窓からはやわらかな春の終わりの陽射しが差し込み、昼食の席を穏やかに照らす。鬱蒼と木々が生い茂るためかあまり採光の良くない立地だが、それでもこぼれる光は優しく、人工的にあたためられた部屋に彩を添えるようだ。


 午前の作業を終えて、デボラはいつもと同じように魔女と一緒に食事をとっていた。午後は記念すべき四回目の北の村訪問の為、しっかりご飯を食べておかなければならない。今まで昼食は摘む程度だったが、ここでの生活で三食きちんと食べた上で更にお茶の時間もしっかりとるようになったのも変化の一つだろう。体を使う頻度が上がったので当然といえば当然なのだろうが。


「お前は本当に料理の腕を上げたな」


 机を挟んだ向こうで感心したようにスープを口にする師である魔女の言葉に、デボラは思わず手を止め目を瞠った。


「まあ、本当ですか」


 スプーンを置いて組んだ手を机に置く。気持ち声に力が入ってしまった。そんなデボラの様子に魔女は少し笑ったようだった。色の薄い形良い唇がわずかに綻ぶ。


「ああ。こんなことで嘘は言わない。ここに来て初めての頃を思えば、驚くほど上手くなった」

「あら、その頃と比べられると恥ずかしいですけれど、でも嬉しいですわ」


 指導をしてもらった師からの言葉に押さえきれず頬がゆるんでいく自覚がある。

 なにせ、初めての料理はお世辞にもうまいとは言えないものだった。

 魔女の指導の下で料理をしている時はいいのだが、いざ一人で作ると妙に味が薄かったり逆に濃すぎたりと味の按配がわからず、ずいぶん苦労した。食べられないことはないが、おいしくはない。内心、自分の容姿のようだと少しだけいじけた思いがわいたこともあった。

 それでも諦めず挫けずに料理を始め家事全般に挑み続けたのは、家事が楽しかったのも勿論だが、魔女と二人きりの生活で屋敷のように何から何まで面倒をかけさせるわけにはいかないという強い思いがあったことと、もう一つ。上手くできた時に師からもらう言葉が嬉しかったからだった。


 一人で作った料理が初めて食べられる味になった時にもらった「おいしいよ」

 掃除をしてきれいになった部屋を見た際にかけられた「ありがとう」

 収穫を手伝ったときに言われた「助かったよ」


 そんな何気ない言葉がひどく嬉しかった。普段から自分も口にしているありきたりな言葉だったが、なぜか初めて一人で編んだ術式を褒められた幼い日のことを思い出した。

 領地で趣味として取り組んでいる術式の開発や改良が製品に反映された時にもらう、素朴な賛辞や感謝の言葉と同じくらいに嬉しかったのだ。


 貴族の令嬢ではなかなか得ることのできない経験だからだろうか。

 領主や責任ある立場にある者ならともかく、一介の貴族子女は与えるよりも与えられる場面の方が多いものだ。

 誰かの役に立つこと、それによって相手が笑顔になること、そして感謝の言葉をもらうたびに胸がほんわりあたたかくなる。それはひどく大切なもののように思えた。


(お母様に香り袋を差し上げた時の気持ちに似ているわ)


 じんわりとあたたかくなる胸の内のどこか触れ得ない場所を思いながら、デボラはゆるむ口元を指先でそっと押さえた。


「そういえば、お師匠様。先ほどいただいた一覧ですけれど、あれは本当にあの内容でよろしいのですか?」


 食堂のあたたかな空気と自分で作った食事の匂い、そして食卓にかかるやわらかな陽射しに胸のうちのあたたかな何かがどんどん大きくなっていく。放っておけばいつまでも頬がしまらないままだと、昼食を作る前に手渡された村へ持ち込む物品の一覧について少しだけ気になっていたことを口にした。


「ああ、あれで問題ないよ。どうした? 数は足りていただろう?」


 ゆるく首を傾げる師の姿に戸惑いながらも頷く。


「ええ。数は足りていました。けれど、でも、あの」

「どうした」


 珍しく口ごもるデボラに魔女は静かに先を促す。デボラの大好きなモーブ色が穏やかに凪いでいるのを正面に見ながら、その目に押されるように喉元でつかえていた言葉を吐き出した。


「その、前回よりも私の作った化粧水や軟膏の数が多いものですから、少し驚いてしまって。札は多めに持っていくと聞いておりましたから、そこまで驚きはしなかったのですが」


 受け取った一覧には、魔女手製の精油や薬草、ハーブティーなどの他にデボラが作り貯めた化粧水や保湿軟膏が持ち込む数量と共に記載されていた。

 確かに二回目の訪問からデボラが作ったハーブ関連の品も持ち込むようになっていたのだが、今回は数が違う。今まで多くて五つ程度だったものが急に二桁になったのだから思わず何度も記された数字を確認してしまった。もしかしたら師の書き間違いかもしれないと、彼女が間違うはずはないと知りながら訊かずにはおれなかったのだ。

 躊躇いがちに口にした疑問に、魔女は軽く目を瞠ると、ついで楽しそうに口角を上げた。といっても、傍目にはほぼわからないようなかすかな角度だったが。


「なんだ、そんなことか。それならあの数で間違いないよ。前回北の村に行ったときに、あの村の雑貨屋の女将がお前の化粧水と軟膏の数を増やしてほしいと言ってきてな。一月使って、使った者たちがとても良く効くと褒めていたのが口伝で村中に広まったらしい。それで欲しがる者が増えたんだそうだ」

 確かにあれは良くできているからな。

 当然だとでも言うように一人頷く魔女の言葉に、デボラは思わず頬を両手で押さえた。視線が自然と宙をさまよう。耳が熱い。今、きっと自分はとんでもなく赤い顔をしているだろう自信があった。なぜ、今手元にあの無駄に大きな扇子がないのかと埒もないことを思ってしまう。それくらい動揺していた。


「あの、それは……喜んでいただけたようで嬉しいですわ」


 なんとか絞り出した声はみっともなく震えていた。だって、まさかこんなふうに突然褒められるとは夢にも思っていなかったのだ。

 さまよわせた視線の端で師は優しくこちらを見ていた。


「お前が村の女や子供の肌を見て化粧水を持ち込みたいと言ったときは驚いたが、確かに森に材料はあふれているし製法自体は単純なものだからな。経費はかからんから薬草と同じ程度で取引できる。いい案だったと思うよ」

「ありがとうございます。でも、あの、本当にただの思い付きでしたので、大したことではないですし、どちらかといえば私用の化粧水を作るついでのような部分もありましたので」


 決してそんな誇らしげな顔で褒めてもらえるようなものではないのだ。


 貴族の娘はいつだって綺麗でいなければならない。


 少なくともアルバ・ガリカではそうだった。

 女性に家の相続権がない以上、修道院に入りでもしない限り、貴族の娘達は家の為に条件の良い伴侶を探して嫁ぐ義務がある。ソルタス家は少し事情が違うのだが、どちらにしろ、いずれどこかへ嫁ぐ事実は変わらない。その際に貴族の娘に求められるのは、相手に相応しい家格、もしくは豊富な持参金。そしてなにより美しいと湛えられる容貌だ。あとはもしあれば、社交界で情報を収集できるだけの機転や機知も。けれど、それはあくまでも付加要素だ。王族に嫁ぐのでもない限り、伯爵家以下であれば気にしなくても問題ない要素だ。


 同じ条件の娘なら誰だって美しい方がいい。それはアルバ・ガリカ貴族男性の大多数の意見だろう。求められるから美しくある。より良い婚姻を、より良い伴侶を。より良い繋がりを。そのための美しさを。

 デボラ自身は十二で婚約してしまったからそういったものと無縁かと思えば、将来の公爵夫人への世間の目は厳しいものだ。賢く機知に富み如才なく取り仕切る力はあって当然。その上で容姿や服装、宝飾品など身につけるもののセンスも求められる。だからこそ、デボラ自身も体の手入れを欠かしたことはなかった。

 顔のつくりは変えられないが、肌や髪が美しければ補える部分がある。化粧にドレスや宝飾品は品良く、けれど流行のものを。そこに非の打ち所のない挙措を加えてようやく及第点。


 もともとデボラ自身、美しいものや綺麗なものが好きだったこともあり、人並みに装うことへの関心はあったため外見の研鑽も苦しいばかりではなかったが、さすがに第二王子妃、そして未来の公爵夫人に求められる段階に達するのは多少、いやかなり辛かった。正直なところ婚約が破棄されて安堵したのはこのせいも少しだけある。この婚約さえなければ、デボラに求められる教養や外見はもっと違う段階だったのだから。


 だから、魔女の元での日々にもつい同じ習慣を持ち込んでしまったのだ。肌に髪の手入れ。なるべく日焼けはしないようにローブは深く被って。……幸いといおうか、西の森は鬱蒼とした木々に遮られて差し込む日が薄いためほとんど日焼けはしないのだが。

 そんな中で訪れた村の女達の荒れた手や子供たちのひび割れた頬に、つい自分が使っているハーブ仕様の化粧水を使ってもらえないかと考えた。そんな程度の気持ちだ。


「いや、良い案は良い案で間違いないのだから、素直に喜んでおきなさい。水仕事による乾燥はある程度仕方ないが、それを放っておけば湿疹や炎症を招く。子供は特に皮膚が弱いからな。いい予防薬になるだろう。私には保湿用の化粧水や軟膏を作る、という発想がそもそもなかったからな」


 生徒を褒める教師の顔で告げられる言葉に、デボラは火照った頬のままコクリと素直に頷いた。

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