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婚約破棄された令嬢は穏やかな日々の夢を見る  作者: やしろ
第2章 北の帝国
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3



「あー、と。弟子殿は薬草にもお詳しいんですね。そういえばここに来るまでの道中も草花を気にされてましたか」


 向かいのニールから上がった、とってつけたようなそれにデボラも渡りに船とばかりに話のる。このなんとも落ち着かない心地から抜け出せるのなら何でもよかったが、興味のある話であればなおありがたい。


「はい。お師匠様ほどではありませんが、興味深く学ばせていただいております。北の地は初めて訪れるものですから、つい珍しくてあちらこちらに目がいってしまって、お恥ずかしい限りです」

「西の森とはやはり違いますか?」

「そうですね、西の森は植生が独特ですので。ただ、西の森でも北に近い場所ですとこちらで見かける草花が自生しておりますから、その様子も面白く見させていただきましたわ」

「ああ、確かにカモミールが生えていたな」


 思い出したように呟いたルスランに、向かいの三人が眉を上げる。


「ずいぶん馴染み深い花が生えてるんですね」

「弟子殿の入れるカモミールの茶がうまかったな」

「あー、閣下カモミールティー好きですもんねー」

「ニール、言葉遣い」

「ヴラースは、いつも通りにもう少し砕けてもいいぞ」

「任務中ですから」


 ぽんぽんと軽快に交わされる会話にデボラの頬も自然とゆるんでいく。


「きっと、ずっと北の地では本で読んだ植物の姿も見ることが出来るのでしょうね」


 帝都クラースナヤは帝国の領土から見ても南西よりに位置する。だからこそ西の森から二日程度でたどり着けるのだ。デボラの記憶では、世界の北はほぼレクティタ帝国の領土であるはず。北端には西の森でも見かけなかった、書物の中の植物が自生しているのだと思えば自然声に憧憬が滲む。


「ならば、帰りはそちらを回っていこうか」

「え」


 なんでもない調子で落とされた言葉に何度目かわからない驚きが漏れる。


「帰りであれば、魔女殿へ弟子殿をお返しする際に少しばかり北の地を回っても問題はないだろう」


 行きの道程は、魔女と五賢人によって帝都に入る前までの監視や密偵の危険はないと判断されている。そのため二日かけての行程を組んでも皆に焦りはない。そして帰りも同じ行程を組む予定でいるのだが、確かに、何もかもうまくいったのなら多少時間をかけて西の森に戻っても問題はないのだろう。


(そう、新技術であっても失われた技術であっても装置は採用せず、アルバ・ガリカへの侵攻も防げたなら)


 それはすべてが終わってみなければわからないことだ。それでも、自分の他愛ない希望を汲み取り気を遣ってくれたのだと、その程度はわかるから、デボラは控えめに微笑んだ。


「ありがとうございます。もし機会があれば、ぜひ」

「ああ」


 カップを置いたルスランが優しく目を細める。どこまでも真っ直ぐ注がれる眼差しに、デボラは目深にかぶったローブの存在に思わず感謝を奉げた。


(純粋な敬意とわかっていても、この視線は少し気恥ずかしくなるわ)


 ローブに感謝するデボラの向かいではまたもや何か帝国騎士たちが囁きあっている。


「閣下、あれご自分で行く気ですよヴラース様。あの調子だと、帰りも馬でも馬車でも同乗しそうですよ」

「いや、まあ、魔女殿の印として弟子殿をお預かりしたのは閣下であるから、御自らお返しするのは礼儀でもあるが、いやしかし」

「北を回るって、何日かけて帰られるつもりでしょうね」

「下手するとあれ一ヶ月は戻らないんじゃないか」


 密談する部下達をまったく気にした様子もなくルスランは言葉を繋げた。


「道中、ぜひ弟子殿から見たわが国の景色を教えてほしい。薬草もそうだが、この大地に満ちる精霊の姿にも興味がある」

「弟子殿、精霊が見えるんですか?」


 ルスランの言葉に、それまで顔を寄せ合って囁きあっていたニールの驚いたような声がかぶさる。それを嗜めつつヴラースも、そしてイワンも興味深そうな、好奇心に満ちた目でこちらを見ていた。


(そういえばお伝えしていなかったかしら)


 魔女の印として赴くのに、目的と付加情報としてデボラが精霊術に詳しいということは伝えていたが、他は特段要らない情報かと思い説明を省いていた気もする。

 どこかで見たような光景に苦笑しつつも、デボラは小さく首を傾けた。


「お姿までとはいきませんが、そのお力の片鱗は、多少。帝国でも見える方はいらっしゃいますでしょう?」


 確かに総数でいえば見える者の方が少ないが、国単位で皆無ということはないはずだ。


「いるにはいますけど、ちょっと特殊なんですよね」

「特殊? ああ、確かスチェーピという少数民族の方々に多いのでしたか」


 魔女の家で読んだ書物を思い出す。おまけに帝国はもともと多数の小国家や部族を併合して立った国であるため、その地方によって多少ではあるが使用する術式が変わるのだ。といっても、言語と同じく全国統一の精霊陣は規定されており、地方による違いは言葉で言うところの訛り程度の違いだったはずだ。


「ご存知でしたか」


 瞠目するニールの顔には驚きとともに賞賛の色がのる。それがどうにも慣れなくて、デボラは困ったように微笑んだ。


「本当に多少ですけれど」

「いやはや、一部族の名までご存知とは恐れ入りました。このスチェーピですが、基本的には居住区域からあまり出てこないものですから、帝都ではあまり精霊の力を見るものがいないのですよ。そちらの杖に精霊陣を施す、という発想も珍しいものですしな」


 感心したようにニールのあとを継いだヴラースの言葉に、デボラはすぐ左に立てかけておいた杖へと目を向けた。


「そうでしょうか。ですが、確かに帝国では、精霊陣は札での使用が多いようですね。あとは刺繍によるものも」


 それは辺境の村でも感じていたことだ。デボラの疑問にイワンが眉を下げる。そこに含羞が混じって見えたのは気のせいだろうか。


「わが国は、ここ百年ほど鉄鋼業に力を入れておりまして、そちらの分野では胸を張れるのですが、精霊術に関しては西側諸国やムーダンに比べると今一つ」

「それは」

「単純に精霊陣を物に施す技術が発展していないというのもあるが」


 ルスランの言葉に目を瞬く。それからしばらくして納得した。

 紙や木に術式を書くのは簡単だ。といっても、それも染料が落ちてしまえば使い物にならなくなる。

 そして、石や金属など硬い素材に効果を付加させる場合は術式を刻むか焼き付けるかしなければならず、その鋳型を作るのも彫金、彫刻に関しても職人の腕にかかってくる。これは古今東西の術式に共通することだが、簡単な効果であれば術式も簡素なものになり、複雑な効果を持つものほどそれに比例して式も複雑になり、また少しでも歪んだり欠けたりすれば効果が得られないどころか暴発を招く恐れもある。


 ディムフォレストでは領独自の技術で石でも金属でも正確な術式を施術することができる為、国内に製品を普及させ、かつ輸出の主要品目にあてるまでの生産量を維持できているのだが、確かに技術が発達していなくては難しいだろう。しかし、では何故精霊信仰の盛んなレクティタ帝国でその分野が発展していないのか。

 ちらりと見上げた先ではルスランがその端整な顔にわずかな苦みを滲ませていた。


「約百年ほど前に、わが国は精霊術で痛い目を見ている。それ以来、苦手意識というべきか、忌避感と言うほど強くはないが、当時の皇帝陛下が精霊術を発達させる意欲を削がれたようでな」


 約百年前、というと。


「三日海戦、でしょうか」


 躊躇いがちに出したそれに、同席していた帝国の面々はなんともいえない顔で息を吐いた。どうやら正解らしい。



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