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「おつかいに、行ってくれないか」
書斎に通され、長椅子に師と向かい合って座ったデボラの前でしばらく言葉を探しあぐねるように視線をさまよわせていた魔女が切り出したのは、そんな言葉だった。
「おつかい、ですか」
「そうだ。今ミターリ公から持ち込まれている件で、レクティタ帝国に行ってほしい」
「レクティタ帝国……」
予想もしていなかった言葉に瞠目する。目交いに見える魔女はやはりモーブ色を悲しみに翳らせたままだ。
「ああ。期間は長くて三日。早ければレクティタに着いたその日に帰ってくる。これは西の森の魔女の弟子、として行ってもらうことになる。その間親元と通信できなくなるが、もし連絡があれば私を通してすぐに伝える。勿論、常に私と会話ができる状態にするつもりだ」
そうして魔女が語ったのは、ルスランが持ち込んだレクティタ帝国の抱える問題、それに対する助言、そして近々行われる予定の検分についてだった。アルバ・ガリカに迫る危機までもをつまびらかにした魔女にデボラは息を飲む。
「それは……、その、お師匠様。私に伝えて良いことなのでしょうか」
困惑を隠せずに揺れるデボラの目に、魔女は少しだけ眉尻を下げた。困った時の師の顔だ。
「本来ならしてはならない暴挙だ。この世界の巡りに私たちが手を出すことは許されない。が、今回は緊急措置の扱いになる。新技術であればこの世界に満ちる力を利用したものである可能性が高い。それは私たちでは詳細に把握しきれないからな。だからこそ、力に詳しく、また力を目に捉えることができるデボラに見てきてほしい。勿論、この家からにはなるが、私もお前と共に、お前が見たものを見、それによって判断することになる」
淡々と言葉を重ねる魔女の目を見る。そこに今も宿り続ける悲しみの向こうで、痛みや憤り、そして悔悟の色が閃くのを見つけたデボラは、何度か口を開いては閉じ、何かを悔いているらしい師にかけるべき素晴らしい言葉を探して、結局思いつかず、かわりに承諾を差し出した。せめてそれが魔女の心の慰めになることを願って。
「わかりましたわ、お師匠様」
告げたそれに魔女の目が一度大きく見開かれた。それから痛そうに眉を寄せ目を眇める。そんな顔すら美しい。
「すまない」
短く落とされた言葉にデボラはゆるく首を横に振った。
「いいえ。謝らないでください。お師匠様の弟子として赴くのですから、領地に帰るよりは遥かに安全ですわ。それに、緊急措置ということですが、我が国、愛する領地に危険が及ぶのを止めることが出来るかもしれないのですもの。感謝しこそすれ、されるようなことはございません」
五賢人の身内という扱いであれば、よほどのことがない限り安全は約束される。不可侵の存在に手を出そうとする者は、そうはいないはずだ。
「……そうか」
眩しそうに眇めた魔女は一度目を伏せると、次に上げた時にはそこにいつもの凪が少しだけ戻ってきていた。それが嬉しくてデボラも微笑む。
「はい」
「ならば、私も出立までに最善を尽くそう。必要なものはすべて用意する。お前は、ただ、アルバ・ガリカ王国のベイトゥリー侯爵令嬢デボラ・ソルタスではなく〝西の森の魔女の弟子〟として検分に臨んでくれればいい。どのみち、新技術であっても失われた技術であっても忠告は必ずすることになる。前者であればお前の意見を聞きつつ、後者であればその場で私がお前に必要な内容を伝える」
「わかりましたわ」
魔女が安心できるよう、せめてその心の憂いが晴れるようにと、令嬢としては褒められないが家族には好評である満面の笑みを浮かべる。
恐らくこの『おつかい』は魔女の本意ではない。
それくらいはデボラにもわかる。それでもデボラに任せねばならない事情があり、それはきっと魔女の領分に関係するのだろう。デボラには踏み込めない領分だ。
それでも受け入れたのは、デボラが正しく己の価値を把握しているからだ。
アルバ・ガリカの貴族。ベイトゥリー侯爵の長女。ソルタス家の娘。両親にとって大切な娘。兄にとっても大切な妹。領民達のお嬢様でお姫様。もしデボラに何かあれば、家族や領民はみな嘆き悲しんでくれるだろう。デボラが彼らを失うのと同じくらい。でも、第二王子の婚約者という肩書きが外れた今、デボラの存在が国の大勢に影響を与えることはほぼない。ソルタス家は基本的に領地の外と姻戚を結ぶことはないから。
(絶対に大丈夫だと思いますけれど。それに、みなの暮らしを守るのは貴族の責任ですし、当然の義務を果たすだけですものねえ。……最悪、ソルタス家にはお兄様もいらっしゃいますし)
デボラは己の価値を正しく把握している、と考えている。
だから、大好きなお師匠様の願いをきくのにそれほど躊躇いはなかったのだ。
「それではお師匠様、まずはあたたかいお茶と、それからお食事にしましょう」
言えば、デボラの師は髪と同じ色の眉尻を下げ、少しだけ困ったように微笑んだ。
□ □ □
それから食堂でヨルに見張られ待っていたルスランに事の次第が伝えられた。
デボラが魔女の印として検分に臨むことに驚いた様子だったルスランだが、その理由を聞かされ納得したようだった。
「確かに弟子殿の精霊や精霊陣の知識は素晴らしかった」と。得心するルスランにデボラが少しだけ落ち着かない気分になる、という一幕を挟みつつ、後は予定していた通りに伝令の帰還を待ちながら準備を進める算段となった。
準備といっても魔女以外には特にすることもない。デボラは北へ行く際の諸注意やレクティタ語の補足学習などこまごました事はあったが、おおむね平和な日々だった。
そしてデボラが『おつかい』を頼まれてから二日後。伝令が持ち帰ったのは、三日後に帝都で空間転送装置を使用した再演習が行われるという報せだった。
□ □ □
出立は良く晴れた日だった。葉陰からこぼれる陽射しが優しく肌を撫でる、気持ちの良い日だ。
「いいか、私が言ったことをよく守って、何かあったら遠慮せずにすぐに言いなさい。持たせた物の使い方も覚えてるね」
「はい、大丈夫ですわ、お師匠様」
覚えたての頃に比べればずいぶんと達者になったレクティタ語で師としばしの別れを惜しむ。玄関先で出立前の確認をしているデボラたちの背後では、ヨルとルスランが既に庭先で待機していた。
「相互通信の小鳥も、護身用の諸々の道具も、きちんと鞄に入っております」
肩から斜めにかけた革製の鞄に手を添える。
『おつかい』に臨むデボラの装いは、日常着の上に着込んだローブと鞄、ついでの杖。杖はあの雷の術式を仕込んだものだ。魔女の弟子として、印としてそれらしいかなと思って持ってきてみた。魔女から驚くほどたくさんの護身用具を持たされているので、恐らく必要ないが、ようは気分だ。
「これも付けていきなさい。お前がどこに居るかひと目でわかるようになっている」
言いながらローブ越しにデボラの首にかけられたのは赤い丸石をはめ込んだ金の首飾りだった。少し大振りのそれはローブの押さえになって程よい重さだ。
「ありがとうございます」
次から次に渡される道具はすべて魔女の知る理の産物だ。惜しみなく与えられるそれに目を落とし、一つ頷く。
いろいろ思うところはあるが、考え込むうちに楽しくなってきたデボラは、偽りのない心底からの笑みを浮かべる。これまで魔女がデボラにくれたものを返すのに、これくらい、どうということはない。おまけに、魔女の願いを叶えるだけでなく大切な人たちの暮らしを守る機会でもあるのだ。
(何の問題もありませんわね)
確信して、今も心配そうに見下ろす魔女の目を真っ直ぐに見つめた。思いをのせて言葉を送る。
「行ってまいります、お師匠様」
それは旅立ちの言葉で、帰還の約束だ。
魔女の表情が崩れる。
口端が上がり、眉尻が困ったように下がる。モーブ色の目が様々な感情をのせて揺らめいた。木漏れ日を映しこんできらめく様は夢のように美しい。その美しい目で魔女もまた、デボラを真っ直ぐに、どこまでも慈しみ深く見つめた。
「いっておいで」
かわいいデボラ。
耳元に落とすように囁かれた言葉に胸がじんわりとあたたかくなる。
「はい、お師匠様」
そのぬくもりを抱いて、デボラは西の森を後にした。




