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初投稿です。
魔法っぽい力が科学の代わりに発達しつつある中世~近世くらいの世界のイメージで。
メインは女の子が頑張ったり流されたり恋を育んだりする感じなので、設定はふわっとファンタジーとして流してください。
「以上の罪状により、デボラ・ソルタスとの婚約を破棄するものである!」
少し高めの、張りのある若い声が王宮舞踏会場の天井に響き渡る。ゆるく曲線を描く優美な天井に殷々と尾を引くそれが震えて聞こえたのは緊張か高揚ゆえか。
(きっと後者でしょうねえ。それにしても久しぶりの舞踏会なんだから、もう少し楽しみたかったわあ)
神術の加護によって淡い光を受けてきらめくシャンデリアの水晶と金細工のきらめきを視界の端に映し、すっかり止んでしまった宮廷楽団の音色に思いを馳せながら、今まさに断罪されようとしているデボラ・ソルタスは小さく首を傾けた。
きらびやかな舞踏会場の片隅、入り口近くで婚約者を見つけたデボラが挨拶をしようと近づいた途端にこれだ。
厳しい顔つきで覚えのない罪状とやらを滔々と語られ、気がつけば音楽もダンスも止まって、周囲には物見高い人々がやんわりと輪を作っている。せっかく夜会用に準備した衣装も髪も化粧も台無しだ。
「何か弁明があるならば聞こう」
デボラからゆうに十歩は離れた場所で胸を張る豪奢な衣装を着た青年の姿に目を細める。
美しい青年だ。
青い瞳に少し暗めの金髪。整った目鼻立ちは、かつて社交界の薔薇と呼ばれた王妃譲りのものだろう。少女めいた面立ちは青年期に入り程よく男らしさを増しつつある。やや線の細さが目につくが、それも魅力の一つに見えるのだから美人は羨ましい。
黒にも見える深い青の上衣はベルベットだろうか。共布のリボンで一つに括られた金の髪が肩にかかり目に綾な対比を生んでいる。長い睫の奥の青は義憤にきらめき、その白磁の頬は興奮からかほのかに赤く染まってみえる。彼の腕に縋る愛らしい少女と、その周りを取り巻く三人の青年達もまた、多少の違いはあれど似たような表情をしていた。
この茶番の主役であり断罪者であり、絶対的正義だと信じて疑わない者が持つ熱狂。あるいは狂信か。
(ひどい悪手。陛下方は公爵と歓談中、別室なら今から知らせが走ってもこの茶番に間に合うかどうか。王太子殿下はイーリスへ交換留学中。グラナトの使節団もイーリスの留学生方もこちらを見てるわねえ。誰が後ろにいるのかしら、それとも殿下の暴走……?)
どちらにしても、もう事は起こってしまった。
人垣の向こう、遠くに見える父が憤怒の笑みを浮かべている。隣にいる兄も似たような顔をしていた。憤怒と笑みは同居できるものなのだと場違いに感心してしまう。つかの間視線を合わせれば、力強い首肯が返ってきた。
それでデボラの心は決まった。
「それでは、お言葉に甘えて、殿下。三つほど申し上げたき儀がございます」
膝を曲げ、右手でドレスを少し摘み左手は腹の上に添えてわずかに上体を折ってみせる。視線は伏せて殿下の胸辺りに。これまで第二王子妃となるため、婚約の決まった十二の年から六年間、骨身に叩き込まれてきた王室儀礼だ。
貴族のそれとはまた少し違うこの行儀は、本来デボラが身につけるはずのなかったものだ。全ては一つ年上の婚約者の為に。
「許す」
その言葉にデボラは姿勢を正し視線を上げた。
「ありがとうございます。ではまず第一に、殿下が仰ったアッカーソン男爵令嬢に対する嫌がらせ? ですか? をしていた際に私は別の場所で別の方と過ごしておりましたので、そうした嫌がらせの類を実行することは不可能であると申し上げます」
「嘘をつくな! 階段から突き落とされたフィオナ自身が確かに背中を押したのは貴様だったと言っている!」
取り巻き連中の一人から飛んだ声に、デボラは小さく首を傾ける。目を向ければ、濃い鳶色の髪と目を持った精悍な青年がこちらを睨みつけていた。
(ポンド伯爵の次男、エドガー・ベイツだったかしら。近衛騎士の隊員)
婚約者の側近であり友人であり、ここ最近は噂の男爵令嬢に骨抜きらしい取り巻きその一だ。
頭の片隅から情報を引っ張り出し、けれどこの場において正式に名乗りを受けてもいない男からは視線を外して、ただ真っ直ぐに金の髪の青年を見る。
この六年間、確かに婚約者だったはずの高貴な青年を。
「レディ・アッカーソンが階段から落ちたのだという日時、私は王妃陛下のお茶会に参加しておりました」
エドガーが目を見開き、ついで悔しそうに顔を歪めたのが見えたが、デボラにはどうでもいいことだった。
「どうせ、子飼いの連中にでもやらせたんだろう?」
皮肉げに口端を吊り上げるのは取り巻きその二、赤毛に琥珀の目の色男。確か、クリーク伯爵の三男だったはずだ。財務省の新人官吏、サイラス・ボーウェルといったか。
(首謀者と見間違えるような姿の子飼いとやらに令嬢を突き落とさせる犯人って、どんなお馬鹿さんなのかしら。人を使うなら、関係を辿れない者か罪を着せたい人間に似せるものだと思うのだけれど)
しかし、彼らはそうは思わないらしい。隣にいる亜麻色の髪の青年も同調するように頷いている。彼は主教の息子、ユージン・クロスリーだろう。ここ半年ほどでずいぶんと有名になった、レディ・アッカーソンの取り巻きその三。男爵令嬢を取り巻く信望者たちが揃い踏みだ。けれど彼らのことは、もうどうでもいいのだ。
「必要とあらば、証拠も証明もすべて揃えて弁護人と共に法廷へ伺いますわ、殿下」
言葉を向ける先は眼前の青年ただ一人。
「第二に、殿下。いえ、アーネスト・オブ・フォグレイク殿下。罪状により婚約を破棄する、とのことでしたが、これは私の罪を問うという理解でよろしいでしょうか」
「その通りだ。フィオナへの蛮行を見れば、我が妻とするにはあまりに相応しくない」
フルネームでの呼びかけに一瞬怯んだ風を見せたが、すぐに持ち直して一切の躊躇いなく言い切る婚約者にデボラは小さく息を吐いた。
(蛮行、ねえ。そもそも私、レディ・アッカーソンにお会いするのは今日が初めてなのだけど。それにしても、公式にお相手のいる男性に言い寄るのを諌めるのが、蛮行)
もちろん、アーネストたちが並べ立てた男爵令嬢への暴言や暴行、ドレスを破いたのお茶をかけただの脅しただの、あまつさえ階段から突き落としただのという愚行に覚えは爪の先ほどもないが、まず前提として婚約者のいる異性に不用意に近づくことがおかしいのだ。おまけに相手は王族。領地も財力も権力もない男爵令嬢がおいそれと近づいていい相手ではない。一般的に見れば、いや、彼ら以外から見れば、責められるべきは男爵令嬢だ。けれど、少し考えればわかる常識すら見えなくなってしまったのは令嬢の魅力ゆえか、それとも。
(そうと望んだ者がいたか、ねえ。我が家を敵視している方たちは多いし、教会にも嫌われているものね)
唯一の神を信仰する教会と、ソルタス家が治める領地、ディムフォレストの相性はそれほど良くない。建国以来約四百年間改善されない関係は、それでも悪化もせずにずっと小康状態を保ってきた、はずだったのだが。
ユージンの鋭い灰色の目を見、眉を上げる。
(まあ、どなたが動いたのかはわからないけれど、それを判断するのは私ではないわね。今は)
この茶番を終わらせるのが先だった。