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たった一人の為のヒーロー

 見つけた、と思った。



 それは本当に偶然の出来事だった。俺の家は多少裕福ではあったが決して中流階級からは抜け出せない一般家庭だったのだから。幸運だったのは、父親が勤めていたのが偶然あいつの家が経営する会社の一つだったということだ。


 あいつを見つけたのは俺が中学一年生の時、リビングのテーブルに何気なく放り出されていた父親の会社の広報誌を理由もなく捲ったのがきっかけだった。イメージアップの一環か、社長が家族と共に映った写真を眺めた瞬間、俺の人生はようやく新たなスタートを切ったと言っても過言ではない。



「詩乃……」



 前世の嫁――詩乃はなんと今生では大企業の社長令嬢になっていたのだ。幼児と言っても差し支えない年齢の詩乃だったが一目見て彼女だと分かった。何せ、前世で初めて彼女に会ったのはちょうどこのくらいの年齢だったのだから。










 俺と詩乃は前世で夫婦だった。幼い頃からずっと一緒にいて、俺はずっと好きだったのにあいつは中々意識してくれなくて大変だった。少々がさつでいかにも女の子というようなやつではなかったし特別可愛かった訳ではないのに、何故か惚れていたのだ。



 何とか恋人になり、そして結婚することが出来た時は正直夢かと思った。新婚生活はよく喧嘩もしたがそれでも絶対に別れたいなんて思うことはなかった。


 主に喧嘩になったのが、俺の趣味だ。昔からヒーローものが大好きだった俺はフィギュアやグッズ集めに随分金をつぎ込んでいた。それでも毎月の上限は決めていたし詩乃も諦めていたのか特に口を出してこなかったのだが、彼女が掃除中にうっかり棚からフィギュアを落としてしまったり、はたまた楽しみにしていた特撮の録画を消されたり、沢山口論になった。





 そして、あの日もいつものように喧嘩をしていた。怒った詩乃は別の部屋で寝ると言ってリビングに布団を敷き、俺は寝室でいつもよりも広いベッドに横たわった。


 寝返りを打っても何にもぶつからない空間に違和感を感じて中々寝付けなかった夜半、絹を裂くようなとはこういうことかと言わんばかりの悲鳴が響いた。考えるまでもない、詩乃の声だ。

 微睡んでいた頭は一瞬にして覚醒し、俺は彼女の名前を呼びながら全速力でリビングへと走った。



 そこは、地獄だった。


 開かれた窓、荒らされた部屋、見知らぬ黒い服の男、男が右手に持つ何かが滴る刃物、そしてその男の背後に横たわる……詩乃。まるで図ったかのように彼女だけが月光に照らされ、その体が真っ赤に染まっているのが嫌でも目に焼き付いた。



「あ……うわあああああああっ!」






 その後のことは殆ど覚えていない。無茶苦茶に男に飛び掛かった後、激痛を感じたのが最後の記憶だった。


 たった一年。それで俺達の結婚生活は幕を下ろす結果になった。














 詩乃を見つけてから最初に始めたのは、体を鍛えることだった。

 前世でもヒーローに憧れて強くなるために一通りの武道は経験した。……全て数日程で挫折してしまったが。


 無残に刺された詩乃を見て、もう二度とあんなことを繰り返したくなかった俺はあいつを守れるようになるために死にもの狂いで武術を学んだ。一般家庭で育つ俺が、強くなった所であいつを守れるようになるのか? そんな考えはすぐに頭から消した。少なくとも守れる確率は上がる。それだけで十分だった。



 俺がヒーローに憧れていたのは、いざって時に颯爽と現れて人々を救う姿が好きだったからだ。だが結局の所、詩乃があんな目に遭っても現実では誰も助けに来てくれることなんてない。当たり前だ、ヒーローが現れて助けてくれることを期待した訳じゃない。


 だからこそ、俺が強くならなければならないのだ。今度こそ些細なことであいつを一人にしたりしない。俺が守るのだ、と。




 俺が目指したのは、一条詩乃の護衛だ。会社に入り部下になってあいつに近付くことも考えたが、仮に令嬢に近付けるほど昇進したとしてもずっと彼女の側に居られる訳ではない。一条家が子供に護衛を付けていると知った時の喜びは言葉にならなかった。


 詩乃の側に居られる役目があるのなら、他の誰を押しのけてでも、どんな辛い道でもなってやろうと思った。





 冗談ではなく血の滲むような努力の結果、俺は護衛としての仕事に就くことが出来た。前世もそうだか今生でも大して運動神経は良くなかったが、それでも夢で真っ赤に染まったあいつを見る度にそんなことを気にしてはいられなくなった。


 全てを知った者が居たとしたら、きっと俺は狂っていると思われるだろう。前世なんて曖昧な物の為に、一度も会ったことのない女の為に人生を懸けているのだから。




 一条家が子供に護衛を付けるのは高校生になってから。他の兄弟もそうだったのだから彼女もきっと同じだろう。それまで数年は他の人間の護衛をしながら今か今かと待ち望んだ。


 一度だけ同行したパーティで詩乃の姿を見た時は心臓が止まりそうになった。遠目だったけれどはっきりと分かる。中学生の彼女は前世ではウエディングドレスでしか見たことがないような繊細なドレスに身を包み、丁寧な所作でグラスを持っていた。以前とはまるで違う姿に動揺はしたが、それでも詩乃が生きている姿を見ることが出来ただけで十分だった。



「もうすぐ、迎えに行くからな」


 届かないと分かっていても、そう言わずには居られなかった。

















「神崎透哉です。お嬢様、よろしくお願い致します」



 とうとう、この日が来た。


 彼女の前に立つ日を一体どれだけ待ち望んだことだろう。パーティで見た時よりも少し大人になった詩乃に感慨を噛み締める。



 詩乃は、俺のことを覚えているのか。今まで考えなかったことが無い訳ではないが二の次にしていた。例え覚えていなくても俺の気持ちも行動も変わらないが、しかしそれでも覚えていて欲しいと思う。



「え、えええええええっ!?」



 ばくばくと煩かった心臓の音を掻き消すような詩乃の叫びに脱力してしまったのは言うまでもない。彼女の驚きを隠さない声に、俺を見て見開く目に以前の彼女の姿が鮮明に脳裏に蘇ってきた。





 その時は彼女の両親もいたので話すことは出来なかったが、翌日車に乗りようやく二人になれば今まで押さえていたものはいとも容易く決壊した。

 彼女の言葉に笑いながらも実は震えながら少し泣いていたなんてことは、墓場まで持っていく秘密だ。


 前世のように、ようやく詩乃と一緒にいることが出来る。今度こそ、守り抜く。改めてそう決心した。
















 詩乃の買い物に付き合っていると携帯が震えた。一人にはしたくないが仕方なく詩乃から離れて電話に出れば、俺と同じく一条に仕える男から嫌な情報が入って来た。


 そいつによると、一条とシェアを争う(と言っても比率はこちらの方が随分上だ)会社が、少々不穏な動きをしているという。以前から産業スパイを送り込んで来たり、あれこれとちょっかいを掛けて来ていたのだが、その動きが会社の中に留まっているのなら俺が気にすることはない。




 しかし今回は事情が異なる。今まで手を尽くしてもどうにもならなかったことに焦ったのか、どうやらこちらに――つまり、会社ではなく一条の人間に危害を加えようとする可能性があるとのことだ。どこからそんな情報が漏れてくるのか知らないが、俺がすべきことは詩乃を守るという一つである。


 そうと決まれば今彼女を一人にしている場合ではない。はっきり言って詩乃が狙われる確率は決して低くはないのだ。既に会社の中枢になりつつある長男や長女は勿論危険だが、彼らはその分ガードが堅い。一条家の中で最も狙いやすい立ち位置にいるのは、間違いなく詩乃だ。彼女が狙われる可能性が否定できないから、俺にも話が回って来た。



 しかし冷静に考えて、詩乃が……言いたくはないが、怪我をしたり、万が一殺されたとしても会社が打撃を受けるとは考えにくい。将来を有望視されている訳でもないし、両親に目を掛けられているとも言い難い。


 そうなると考えられるのは恐らく誘拐だ。莫大な身代金を要求して払われれば御の字、もし詩乃を見捨てたとしても、それが世間に知られてしまえば一条のイメージダウンは間違いない。きっとこんな所だろう。

 向こうがどんな意図を持っていようと、結局は俺があいつを守ることが出来ればそれでいい。





 そう思い彼女の元へ戻ったのだが……遠目に詩乃が見知らぬ男に引っ張られているのを見て一瞬血の気が引いた。まさか早々に狙われたのかとも思ったのだが、周囲の目を全く気にしない男の様子にその考えを打ち消す。恐らくナンパか何かだろう。


 良かった……とは思わない。駆け出したい衝動を押さえながら、そして冷静になれと自分に言い聞かせながら二人に追い着きすぐさま腕を引きはがす。



 軽薄そうな男の顔を見た瞬間、思わず苛立って「うちの嫁に何してんだてめえ」と言いそうになってしまった。実際には口に出さなかったが、目は口ほどに物を言うという言葉を体現してしまったようだ。


 危なかった。いくら前世で夫婦だったと言っても今はただの雇用関係しかない。今の俺に彼女を独占する権利はありはしないのだ。

 詩乃が上流階級のお嬢様である以上、きっと釣り合う身分の男と結婚することになるだろう。自分の心に正直になれば当然彼女が他の男と結婚するなんて耐えられないし許したくない。


 ……だがそれ以上に、今の俺には詩乃が幸せになれるならその相手が俺じゃなくても祝福しようという思いも確かにあった。

















 夏休み、映画に行きたいと言った詩乃を迎えに行くと、彼女はいつになくぼーっとしていた。


 着替えが終わるまで廊下で待ち、しかし痺れを切らして声を掛ける。何やら考え事をしていた彼女は緩慢な動きで荷物の確認をしており、これはもうしばらく掛かるなと付けっぱなしになっていたテレビで暇を潰すことにした。

 しかし見始めた早々に強盗のニュースが読まれ始め、俺は無意識のうちに神経を尖らせた。



 あの時、詩乃と俺を刺した男は恐らく強盗だ。その言葉を耳にするだけでも叫びたい衝動に駆られるし、手に嫌な汗をかく。ちらりと、気付かれないように詩乃の様子を窺う。彼女もまた準備の片手間にテレビを見ていたが、「ふーん」と特に感慨も無さそうな声を上げていた。


 詩乃はもしかして、あの時の記憶がないのかもしれない。今まで最後の状況について問われたことは無いし、ドラマなどで刃物を持った男が映っても反応は芳しくなかった。

 しかし、覚えていないのならそれに越したことは無い。自分が死ぬ時の記憶なんてあってもいいことなんてないことは俺が一番よく分かっている。……この記憶があったからこそ、今度こそ彼女を守ると決意したのは事実だが。












 懸念していた出来事が起こったのは、そのすぐ後のことだった。



 彼女をエスコートしながら車から降ろし、「この役目もいつか他の男に奪われるんだろうな」なんて感傷に浸って気を張っていなかった自分を殴りたい。詩乃の声と同時にナイフを振りかざす男に気付き、その光景が前世の最後と重なった。




 ここで俺が死ねば詩乃がどうなるかなんて自明の理だ。


 あの時と同じ、命の危機にだってヒーローが助けに来ることはない。――だったら。





 だったら、俺が詩乃のヒーローになるしかないだろ。

 迫り来る鈍い輝きを見て、俺は不思議と笑みを溢していた。








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