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私が忘れている何か

「詩乃、あの護衛とはどうなの?」



 高校も夏休みに入り、ますますお嬢様生活から離れていくのを自覚し始めたある日、不意に璃乃姉様にそんなことを尋ねられた。



「……姉様、何度も言いますけど神崎さんとはそういう関係では」

「でも、詩乃は好きなんでしょ? 彼と一緒にいる時、詩乃ったらいつも楽しそうだもの」

「そう……ですか?」



 そもそも私も透哉も、人前ではお嬢様と護衛の関係を崩さないように接しているつもりだ。それなのに姉様がそう指摘するということは私の演技が下手なのか、はたまた彼女が鋭すぎるだけなのか……。

 私が首を傾げると「そうそう」と姉様は何度も頷く。



「何か彼が来る前よりも気が抜けてるっていうか」



 一応この家に生まれた者として、それはどうなんだろう。



「それは、駄目なことなんじゃ」

「いいのよ、まだ高校生なんだからそういう細かいこと考えなくて。そうじゃなくて、変に気を張ってないというか自然体に見えるのよ」



 確かに、前世からの付き合い……それも幼馴染で夫婦だっただけあって透哉に対して今更遠慮もないし、気を使うなんて考えたこともないかもしれない。

 反論もせずに黙り込んだ私に姉様は満足げだ。



「あの護衛、結構優秀みたいね。お父様も満足そうだったわよ」

「優秀?」

「公式の場でもマナーやエスコートも完璧だし、何より強いらしいわ。付き人としてはかなりいい線行ってるんじゃないかってさ」



 そうなのか。私が知っている透哉といえば、ヒーローオタクで人をからかって遊ぶのが好きな性格の悪い男だ。外面が悪いとは言わないが、優秀と言われるとどうにも彼と言葉が結びつかない。



「詩乃が言えないなら私からお父様に推薦しようか? 婚約者候補に」

「あの姉様、そういうのいいですから」

「何言ってんの。ぼーっとしてたらいつの間にか勝手にどっかのお坊ちゃんとお見合いさせられるわよ。今の内に手を打っておかないと」

「ちなみに姉様はどうなの?」

「……実はね、こっそり遠距離恋愛中なのよ」

「そうなの!?」

「皆にはまだ内緒ね、彼が帰って来たら驚かせる予定だから」



 初耳だったのだが、姉様は仕事で海外に行っているごくごく一般人の男性と交際しているのだという。なるほど、やけに私のことを応援してくれると思ったら、自分も両親に相手を決められるのが嫌で同情してくれていたのか。


 ちなみに「まだ付き合ってないなら私が落とすの協力してあげようか」と言われたものの遠慮しておいた。むしろそんなことをしたら透哉は私なんかよりも姉様に靡いてしまいそうだ。二人の方が年は近いし、私と姉様の容姿の差なんて言うまでもないのだから。



 ……そんなことを考えていたら、ふと思った。透哉は今の私のことをどう思っているんだろう、と。
















「しーの、まだ準備してねえのかよ」

「……うん」

「映画行くんだろ」



 ベッドに寝転がりながらテレビを見ていた私を見て、部屋に迎えに来た透哉は呆れた顔を隠さない。

 いくら護衛とは言っても私室に入ることは原則的に禁止されている。だが今は夏休みであり、平日の昼である今は両親も兄妹も全員出払っている。使用人も然程多い訳ではないので誰も彼が私の部屋に入ることを咎める人はいなかった。


 今の状態の私を見てお嬢様だと思う人はまずいないだろう、むしろ彼からすれば丸っきり昔の私と一致していることは間違いない。ベッドは天蓋付きだが。



『――それで、夫が浮気してるんじゃないかって』



 付けていたテレビでは夫婦の本音という特集をしていて、街頭インタビューに答える主婦の姿が映っている。一つ言い出せばどんどん夫への不満が飛び出て来るのか、凄まじい勢いで話す彼女にスタジオのタレントも苦笑いしていた。



「……透哉って、不満とかあった?」

「ん? ……ああ、テレビか。別にこれと言ってぱっと思い浮かばねえけど、お前は?」

「私も、今は言うことないかな。……実際に結婚してた時ならすぐに思いついたかもしれないけど」



 実際、結婚していた時は何度も喧嘩していたのだ。当時なら文句の一つや二つ、軽く言えたかもしれない。



「あ、一つあった。録画した番組上書きするのだけは止めて欲しかった」

「わざとじゃないでしょ。……大体、透哉が一人で使う容量多すぎるんだもん。もう見たから良いと思うじゃん」

「仕方がないだろ、何度も見たいものだっていっぱいあったんだから。……というか、お前本当に準備しろよ。上映時間に間に合わなくなるぞ」



 透哉に言われて時計を見ると、確かに随分時間が過ぎていた。別に次の回にしてもいいのだが急かす透哉に流されるようにして支度を始める。





「……透哉」

「何だ?」

「そこに居ると着替えられないんだけど」

「あ? そんなの今更気にしなくても」

「いいから! 出てけ!」



 手元にあった枕を思い切り振りかぶって投げるが、透哉は片手で軽くキャッチしてしまった。しかし更に異を唱えることはなく「着替えたら声掛けろよ」とだけ言い、大人しく部屋を出て行った。


 まったくあいつは、と呆れながらクローゼットを開ける。一人になって静かになった部屋には未だにインタビューを続ける番組が映っていた。着替えながら見ていると、今度は二十代くらいの女性が夫へと不満を暴露し始めていた。……が、いつの間にかただの惚気に変わっており、幸せそうな表情を浮かべる女性を見て何となく生暖かい気持ちになった。


 私も新婚時代はきっと傍から見たらあんな感じだったんだろうなと思う。



 あの頃に戻りたいな、という思いが不意に頭を過ぎった。今の生活だって勿論嫌ではないが、それでも透哉と結婚していたあの頃を思うと、懐かしさに胸を焦がしてしまう。


 無意識にそんなことを考えるってことは、私は透哉のことがまだ変わらずに好きなんだと安心した。

 だが透哉の気持ちは分からない。昔と接し方は同じだが、それでも心まで一緒かなんて知ることは出来ないのだ。



 『俺からしたら、今のお前は十分子供だよ』と、以前にそう言われた言葉が妙に頭に残っている。今の透哉からしたら、私はそんな風にしか捉えられていないのかもしれない。護衛と警護対象というような淡白な関係では無いにしろ、保護者と子供くらいには思われている可能性がある。


 透哉はあれでも面倒見はいい人だったから、実際に子供が居てもこんな風に世話を焼くんだろうと思うと自分の立場が嫌になる。



「……あれ?」



 子供。そういえば私と透哉は結婚していたが、子供はいなかった気がする。そもそも結婚当初、新婚生活のことはよく覚えているのに、それ以降は――



「詩乃、いい加減準備出来てるんだろうな」



 ゴンゴン、といつもよりのいくらか強いノックの音で、はっと我に返る。考え事をしていてもちゃんと手は動いていたようで、着替えはおろか化粧まで済んでいたのでほっとする。



「ごめん、もういいよ」



 後は荷物の準備だけだ。ずかずかと部屋に入ってきてソファーに腰掛けた透哉はちらりと私を見て、それからテレビに視線を移す。先ほどのコーナーは終わっており、今は真面目な顔をしたアナウンサーが強盗やら事故やら物騒なニュースを報道していた。


 先ほどまでとは違い、真剣な表情でそれを見る透哉をちらりと眺める。やはり護衛としては世間の情報を仕入れておくのも大切なんだろうな、と守られている癖に他人事のように思った。
















 準備も終わり、ようやく映画館の駐車場に到着したのは結構ぎりぎりの時間だった。この映画館は他の施設も併設しているので随分広い地下駐車場がある。当たり前のように車の扉を開けられて片手を差し出されるのに少々どきまぎしながら彼の手を取る。さっき透哉への気持ちを再認識した所為か、どうにも緊張する。



「お前がのろのろ準備してたから急がないとな」

「ごめんってば」



 昔から思ってたけど、透哉は結構根に持つタイプだ。一度怒ると中々冷めないし、恨み言はずっと覚えている。先ほど録画の件を持ち出して来たのがいい例だ。


 透哉に促されるように車から降り、そして駐車場から出ようと明かりの漏れる入り口へと足を進める。



 そんな、何てことのない瞬間だった。




「とう――」



 彼の名前を何気なく呼ぼうと彼を見上げたその時、薄暗い中で彼の肩越しに小さく光る何かを見た。

 一瞬思考が止まったのは、きっと私がその光景に見覚えがある気がしたからだ。その光はどんどん近付き、そしてその正体をはっきりと現す。



 大振りのナイフを持った男が、透哉に向かってその刃を振り下ろしていた。



「透哉!」



 今度こそ呼べた。だが遅かった。


 背後を振り向く透哉。吸い込まれるように彼に向かうナイフが反射する。





 ざくり、とどこかで聞いたことのある嫌な音が耳の中で反響した。






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