付き合い始めたら 1
「美佳子?あなた、たまには電話くらい自分からよこしたらどうなの?」
母親の不機嫌な声が二日酔いの朝の頭にキンキン響く。
「ごめん。どうしたの?」
「どうしたのはこっちよ、何なのそのひどい声。」
「二日酔いです……。」
「んもう!あんたは三十越えてそんな飲んで遊んでばっかりで。そんなことばっかりしてないで、早く誰か良い人見つけなさいよ。自分の年齢に自覚あるの!?」
だめだ、一週間で一番心穏やかな筈の土曜の朝からダメージ大きい。
分かってますよ、誰よりも。Over30ですもの。
二日酔いは長引くし、肌は荒れるし、筋力は無くなるし。傷も治りづらくなるし。日々、実感してますよ。
なんなら、最近は老眼の影に怯え始めてますよ。
「……それで、何か用事あったんじゃないの?」
「ああ、そうそう。メロンをたまたま沢山頂いちゃったから送ったの。そっちで食べて頂戴。」
……。
ありがたいんだけど、ちょっと待て。
「いつ送ったの?」
「さっき。」
「そうじゃなくて、配達日時。」
「特に決めないで渡したけど?」
勘弁してくれ。
「今度から、受け取れる日、聞いてから送ってくれない?土日しか受け取れないんだから。」
明日受け取れなかったら、もう来週まで受け取れないんだよ。今日送ったってことは、距離を考えると、どんなに早くても明日以降になってしまう。そして、明日は丸一日休日出勤。
1000円くらい追加するから30分単位で届ける時間決められる宅配便が欲しい、もちろん深夜対応有りで。平日なんて絶対受け取れないもん。
母も本当にもらったのなら近所にでも配ってくれればいいのに。気を使って送ってくれたってのは分かるんだけど、私の母だけあってどこか人の話を聞かない所があるのが困りものだ。
溜息をついて電話を切った瞬間だった。
「あ、おはようございます。昨日は急に泊めてもらって、すみません。」
ソファに被せた布の模様を頬にプリントした清沢さんが立っている。寝癖でサイ○人にも負けず劣らず髪が立ちあがっていて、なんだか可愛い。
おお、丁度良い人がいるじゃない。
「清沢さん、日曜日と月曜日のバイトは?」
「日曜は夕方まですけど、月曜は午後だけです。」
ってことは、もし明日の夜に受け取れなくても、月曜日の午前中に再配達してもらえればいけるな。
「水を対価に、取引しないかい?」
どこの商人だ、私。
日曜の休日出勤が終わって家に帰ったら、電気が点いて一瞬びっくりした。自分のじゃないスニーカーを見て、そう言えばお留守番を頼んだことを思い出す。
「……おかえり……なさい?あ、荷物届きましたよ。」
自分ん家じゃないのに、おえかりとかどうなんだろ、って顔で清沢さんが現れた。
若妻ならぬ若旦那が出迎えてくれる。……なんかいいなこれ。旦那じゃないけど。
「そうですか?」
おっと、声に出してたか。食事はと尋ねれば、案の定、大したものは食べていないという返事。そうだよね、そんな金あったら水道料金滞納しないよね。帰り道にあるスーパーで惣菜を買って来たのでそれを並べて二人でつつく。
「はあ、つっかれたー。日曜出勤とか、最悪。一週間長いなあ。」
ぽかんと口を開けたまま、こちらを見る清沢さん。どした?
「あの、なんて言うか、……飲みすぎじゃないですか?」
ふと手元を見れば、500缶。そして一本空になった500缶。
ちょっと飲み過ぎか?
最近、酒の失敗多いからなあ。主に清沢さんの前で……ってフラグ立ってるじゃん!
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。これ食べてシャワー浴びたらすぐに寝るよ。」
……。
「ああっ!そこっ!うううっ!だめだめだめぇっ!!!」
「ちょ、ちょっと声大きいですって。」
「んなこと言ったって、あうっ、そこっ、無理無理無理!」
「そんな……福田さんがやれって……。」
「ひいいいっ、効くうっ!いだだだだだだっ!」
肩ヤバイ、背中ヤバイ、足裏もっとヤバイ。
流石、三十路の体。疲労があちこちに蓄積してるぜ。ふう。
ぜいぜいと荒い息をする私を見て、降参のポーズで手を上げたまま硬直している清沢さん。
そうだよね、このシーンだけ切り取ったら、完全危ないシーンだよね。興奮したせいか、めっちゃ酒回って来たな。
「うおっ、めっちゃ肩軽い!今まで何か憑いていてたかっていうくらい、軽いよ!すごい!ありがとう!」
ま、憑いてたのは疫病神だけどね!
「いえ、どういたましまして。」
噛んでるよ。
明日月曜日だと思うと、憂鬱だ。仕事行くのも憂鬱だけど、仕事だけしてれば良いなら喜んでそれを選ぶ。今日はイベントだったからほとんど課長には会わずに済んだから良かった。それに、さすがに金曜日の怒りも多少は静まった……と思うけど、やっぱり腹立たしい。
腹立たしいけど、腹苦しい。
ビールの炭酸が圧迫してくる。うん、やっぱり飲み過ぎたか。
「うー、もう寝る。」
「……。」
「おやすみ。」
「……。あのー、福田さん?ベッド行きません?俺がソファーで寝るんで。」
うっさいなー。人の睡眠邪魔しないでよ。クッションあればいいでしょ。
目を閉じたままクッションを頭の下から引き抜いて床にぽいっと落とした。
「えー、ラグ敷いてるからって……。しゃーないか、元々文無しだし、寝れるだけましか。すみません、シャワー借りますよ?」
ぶつぶついう清沢さんがリビングを出る気配と共に照明が暗くなる。
飲みすぎるとこういう状態になったあたりから、心臓がバクバクし始めてちょっと苦しい。
でも、ふわふわした状態で気分が良くなるのも、この状態になってからだ。
眠りに落ち切れずに、現実と夢の間をふわふわする。
耳だけが起きていて浴室の方から水の音を聞きながら、ぼんやりとした夢を見ていた。
浴室のドアが開く音がした。
少しすればドライヤーが動く、って思っていたら聞こえてくるのはタオルでバサバサする音。
珍しい、いつもきちんと乾かしてから帰るのに。
服を着ている音がして、足音がする。タオルで拭く音がこちらに近づいて来た。
すると、キッチンから水の音がし始める。
お皿まで洗ってくれてる。あ、ちょっとだけ、ここに長くいてくれるってことになるのか。いつもシャワー浴びたらすぐに帰っちゃうのに。
起きようと思えばいつも、起きられた。
でも、玄関まで送るのが嫌で、玄関から出て行く姿を見るのが嫌で、いつも、いつも寝たふりをしているのだ。
今日は、起きてみようか。
そんなこと思ってるうちに、水の音が止まってまた部屋の外に出て行く。
あーあ、帰っちゃうなー。
いっつも、この時間が嫌い。どんな時間よりも、彼が帰ってくる場所が私の所じゃないって思い知らされてしまう。
いっそ泥酔して気がつかなければ良いのに。なんで、耳だけ冴えてるんだろ。
静かな足音が近づいて来た。と、思ったらふわっと何かが体にかけられる。そして、隣で横になる気配。帰らないの?
なんなの。
小さな呟きが零れる。
「なんで、今日、こんなに優しいの。」
隣の気配が動きを止めた。
「こんなことするくらいなら、私たちの関係はっきりさせてよ。こんな優しくするくらいなら、ちゃんと付き合ってよ。」
ああ、言ってしまった。
関係が壊れるくらいなら、って思ってたけど。
「えっと、よくわかんないですけど、お、俺で良いなら?」
ん?あれ??
ばっちり目を覚ます。
ねえ?誰?
二度あることは三度あるって格言残したの?