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愛を再確認

「大きな怪我としては右足の骨折ですね。顔や腕とかはほとんど擦り傷の類です。それから、CT見る限りは異常ないんですが、頭打って脳震盪起こしたみたいで、意識は有るんですが少し朦朧としてます。ただ、命には別条有りませんので安心してください。」


 医師の説明を聞いて、全身から力が抜けて椅子に座りこんだ。


「骨折もひどい物ではないですし、この後何か問題がなければ一週間くらいで退院できると思いますよ。とりあえず意識がはっきりした頃に一度見ますね。痛がってるのは仕方ないのですが、もし、気分が悪いとか吐き気がするとか言うようなら、すぐに呼んでください。」


 私が駆けつけた頃には、救急の処置室からは出されていて病室に案内された。安堵と疲れから大きな溜息が出ると、それが聞こえたのか布団に埋もれていた晴斗君がぼうっと目を開いた。まだ少し朦朧としているようだけど、私の顔には視線が向いた。

「美佳子さん。」

 はにかみながら、呟くように私のことを呼ぶ。布団がもぞりと動いて現れた右手がねだるように動いたので、そっと握り返すと安心したようにまた目を閉じた。


 午前中だけ仕事してきたけど、はっきり言って何も手につかなかった。

 突然申し出た半休に課長は眉をしかめて、理由を訪ねてきた。曖昧な理由など付けられず、彼氏だという所だけは伏せて正直に答えるとまた渋る。むしろ送り出してくれたのは、後輩たちだ。仕事は自分達でフォローできますから、行ってあげて下さい、怪我して不安な気持ちになってるから福田さんの顔見たいはずですよ、分からなかったら連絡するんでその時に教えてくださいって。


 顔にいくつか擦り傷があるけど既に血は止まっていた。寝てる姿をいつも眺めているけど、いつものような穏やかな気分には全くならない。さっき目が開いた所を見てなきゃ、このまま起きないんじゃないかと思った。

 本当に、晴斗君のこと本当に好きだったんだな。

 正直、付き合い始めた理由も微妙だったし、別れて子犬みたいに纏わりついてくる晴斗君がいなくなるのが寂しいとは思ってた。でも、まさか、明日から晴斗君の存在自体が無くなってしまったら、とは想像ができなかった。

 例え恋人じゃなくても、友人として会う事がなくても、この世界に居ないという想像が成り立たない。

 無事で良かったよ、本当に。


 気がつけば、しばらくの間ぼうっとしていたようだった。

「美佳子さんだ。」

 今度はさっきよりもしっかりとした声で名前が呼ばれる。目もしっかりと私を見ていて、焦点が合っていた。

「体中、痛い……。あ、そっか、事故」

 どうやら、朦朧としていた意識が戻ったようで、顔をしかめている。

「よ、良かった。」

「え、え、美佳子さん、ちょ、あの。」

 晴斗君が挙動不審になってる、って思ったら、手の甲に水滴が落ちていた。

「ほんと、生きてて良かった。」

 一旦流れ始めた涙は止まらなくて。

 晴斗君の手に巻かれた包帯がぐしゃぐしゃになるまで泣いていた。

 一通り泣いて落ち着いた頃、心配掛けてごめんなさい、とそれこそ迷子の子犬のような顔で言われて、ようやく笑ったのだ。



 次の日は幸いに土曜日だったので、入院に必要な物を色々と持って病院に向かう。

 晴斗君のベッド脇にはスーツ姿、というかシャツにスラックスの人の良さそうなおっさんが一人立っていた。入って行って、誰?と目配せすると、バイト先の社長だと言う。サイドのテーブルにはお菓子の箱が置いてあった。

「すみません、迷惑かけて。」

「事故じゃ仕方がないし、気にしないでくれ。」

 ちょっとビール腹の人の良さそうなおっちゃんが私を見て、え?姉?これ彼女?って顔をしてる。そう思うのは被害妄想だろうか。きっと、私があんまりにも綺麗だから見惚れてるだよね、そういうことにしておこう。

「では、私はこれで。それじゃあ清沢君、お大事にね。」

 私も晴斗君と一緒に有難うございます、と言うとおっさんはにこにこして病室の入り口に向かう。そうだ、と思い出しておっさんを引き止めた。

「あ、あの。使わないかもしれませんが、労災をお願いするかもしれないので、その時は手続きよろしくお願いしますね。」

 振り返ったおっさんの顔が強張る。同時に隣から、晴斗君がきょとんとした声を出す。

「え?労災って、俺バイトだし、自分の不注意だし。」

「何、言ってんの?バイトだろうとパートだろうと、労災は労災。不注意だとしても、労災は労災。不注意って言っても青信号をぼーっとして渡ってて車に気がつかなかったんだから、過失がある訳ないでしょ?」

「それに、事故遭ったの仕事中じゃなくて帰りだし。」

「通勤中も変な道通ってなきゃ労災になるの!」

 ですよね、と同意を求めようとするとおっさんが気まずそうな顔をしている。もしや……。

「労災の保険料払ってないとかないですよね?まさか。」

 と聞いた瞬間、横から晴斗君が口を出した。

「いや、それは毎月、給料からの天引きで払ってるんで。」

 おい!なんで労災の保険料を被雇用者が払うんだ!

「労基署に天引きしてたことは黙ってても良いので、今まで天引きしてた分、ちゃーんと返してくださいね?あ、あと今からでも労災保険加入してくださいね?大丈夫、労災だけは事故が起きてからも遡って加入できますから。」

 アラサー独女の特技その2、笑顔=圧力で「YES」を引き出す、を発動させたら笑顔をひきつらせたおっさんはすごい勢いで首を縦に振った。

 ま、あれだな。人の良さそうな顔で、相手が強く出られないのを良いことに色んなことを誤魔化してきたタイプだな。

 なんて思いながらおっさんを見送ると、労災なんてそんな大げさにしなくていいのに、とぼやく晴斗君。かちんと来たのでデコピンしてやる。

「あのねえ、大げさじゃないでしょ。当然なんだから。ってかパズド○にスマホの通信料払うんなら、少しはそういうの調べたら?」

「そんな保険とかよく分からなかったし。」

「よく分からなかったじゃないでしょ!大体、世の中なんてね、知らなきゃ損することばかりなんだから。教えてくれないなんて、甘いのよ。それに、役所仕事なんて大抵は聞かなきゃ教えてくれなかったりもするんだから。」

 結局、相手が任意保険もちゃんと入ってる人だったし、相手も相手の保険屋さんも真っ当な人だったので話がスムーズだった。晴斗君は保険屋さんや警察の人やらが来る度にコミュ障発動していて、最初は黙っていたけどつい全部手続きをやってしまった。

 あー、これって、人を成長させる時に一番やっちゃいけないんだよなー、とは思いつつ、間違いなく保険屋さんに言いくるめられるタイプだったのでついつい口を出してしまった。

 まあ、追々、かな?


 最初に言われた通り一週間で無事退院出来て、その間おっさんがもう一度現れて、今までの「保険料」にちょっとだけ上乗せした額を渡してくれた。

 多分、労基署には黙っててね、っていうことなんだろうけど、あのおっさんも懲りないな。

 ただ、それをもらって、お金もらえたなんて喜んでる晴斗君を見てると安心するやら呆れるやらで。

「美佳子さん、色々とありがとう。俺、情けないけど美佳子さんいないとマジで野垂れ死ぬ気がする。」

って感極まった笑顔で言われたら、怒りを覚えつつも結局笑って許してしまった。

 ただ、流石に今回のことで色々思う所はあったらしいのと、骨折のせいでバイトは辞めて暇になったからか、家で籠っている間、色々と資格の勉強を始めてた。

 


 今日は晴斗君の誕生日。

 外に食べに行こうか?とは言ったけど、まだ松葉杖だし、ということで家でお祝いをする事に。プレゼントは悩んだ挙句に聞いてみたら、ギプス取れてから一緒に買いに行こうってなったので、今日はケーキと前に飲んで美味しいと言っていたクラフトビールを何本か買って帰る。


「えっ?これ、全部作ったの!?」

 部屋の扉を開けると、なんかすっごい豪勢な食卓になってた。晴斗君が骨折した後は、食料品を私が毎週末まとめて買い溜めしてたんだけど、そう言えば先週末は頼まれた食材の量が多かった気がする、とやっと思い出す。

「朝からクックパッ○見ながら、ずっと料理してたんだよ。」

「おお、全部美味しそう!」

 晴斗君の誕生日なのにこれで良いのか?とは思いつつ、美味しそうな匂いに我慢できなくなってビールをおそろいのマグカップに注いだ。ビアタンブラーも有ったんだけど、それはペアじゃないし、ついついあの100円のマグカップをいつも使ってる。

「胃袋がっしり掴んで、美佳子さんが、どっかふわふわっと飛んで行かないようにしないとな。」

 悪戯っ子みたいな顔をして晴斗が笑って、はっとした。


 なーんだ。

 ふわふわ飛んで、地面に落ち付かなかったのは私。

 風の気まぐれのせいにして、根を張らなかっただけ。

 その気になったらアスファルトの隙間だって、日陰の場所だって根を張れるのに。

 こっちにおいでって言ってくれないからって。

 

 でも、もう大丈夫だ。

「ありがと。」

 100円で買ったペアのカップ、同時に手を伸ばした。

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