表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

世代の壁より価値観の壁

 付き合い始めた頃は朝晩でも汗が流れる毎日だったけれど、最近は過ごしやすい夜が続くようになっていた。

 バイトから帰って来て、タイマーで洗い終わった洗濯物を干す。

 最近、やっと美佳子さんのルールが分かった。左からキャミソールとかインナーとか乾きやすい服を並べて、徐々に右に向かってシャツを干す。カーディガンがあればその隣に。ちなみに美佳子さんの下着は手洗いしないといけないから、と言って一緒には洗ってないから俺は干さない。

 ふと、自分のシャツの皺を伸ばしながら思った。着てる服が変わったな、と。

 前までは、GパンTシャツ。それも、流行の形とはとても言えないようなやつ、……だったと思う。実際今も流行り知らないし。

 最近、美佳子さんの趣味で着るようになったのは、割と体にフィットするような形のシャツ。Tシャツにしても前みたいにダボっとしたのは着なくなっていた。

 秋になって、昼過ぎになれば太陽が傾いているのが分かるようになっていた。とはいえ、部屋に干すよりは乾くだろうと物干しにシャツなんかをかけていく。腕を上げる度に、シャツの肩が張ってちょっと疲れた。


「ただいまー。」

 美佳子さんが帰って来たのは、22時を回った頃だった。今日はまだ早い方で、先週はずっと午前様だった。心配はするけど、本人は疲れてはいても楽しそうに仕事に出かけて行くから黙ってる。

 食事は済ませて来たらしく、食べるのはサラダとか野菜だけ。しかも、片手にテキストを見ながらフォークを口に運んでいる。

「何かの準備?」

 集中している所を邪魔してしまったらしい、一瞬反応が遅れて美佳子さんがこちらを見る。

「うん、週末に資格の試験あるから。」

 それ、三週間前も言ってたじゃん。また、別の試験受けるってこと?


 テキストを閉じて美佳子さんが顔を上げた。

「晴斗君もなんかやってみたら?ちょっと古いけど、テキストとかあるし。資格さえあれば良いって訳じゃないけど、ほら、やっぱり客観的な評価の基準にはなるし。資格に寄っては、待遇だって上がるかもしれないし。」

 普段コミュ障なのに、この時ばかりはなぜかすんなりと言葉が出てきたから驚いた。

「は?何でそんなことしなきゃいけないの?」

「なんでっって……。」

「待遇がどうこうって、要するに給料上がったらそんだけ仕事増えるんだろ?出来たらまた仕事増えて、でも、増えた分が出来なきゃ使えないって言われて。」

「それは……必ずしもそうとは言えないよ。それに、ただ仕事増えるんじゃなくて、責任あるような面白い仕事やらせてもらえるし。」

「だから、そういうのが面倒だからヤなんだって!金だって、今、生活出来てる分で十分なんだよ。足りないなら足りない分、バイト増やせばいいんだし。」

「そりゃ、お金が全てだなんては思わないけど、でもどっか遊びに行ったり、ちょっと美味しい物食べたり、ちょっと良い物買ったりって楽しみにしたら仕事だって楽しめるじゃない。」

「困ってないんだから良いじゃん。必要な物はある、それじゃ駄目な訳?」

 わざとらしく大きな溜め息を吐かれた。

「さとりってこれか。」

 美佳子さんが思わずこぼした一言に、急に腹立たしくなって、何だよそれ、って呟いてシャワーを浴びに行く。


 すごいとは思ってる。とても俺には真似出来ない。朝早くに家出て、夜遅く帰って。

 でも、家賃は大分おまけしてもらってるけど、一応払ってるし。もっと出せって言われたら、その分バイト増やすし。食費光熱費だって自分の分は払ってる。浮く金は無いけど、足りないこともない。

 そんなにバリバリしなくたっていいと思うんだよね。

 苛立ちまぎれに服を脱いでいくけど、汗で少し張り付いて中々脱げない。

 良く話題に出されるように、高い車買ったって、乗る訳じゃないし。時計はスマホで見れるし。腕時計するにしたって、その辺で売ってるので時間わかるし。スタイリッシュな服が欲しいとか、良いバックが欲しいとか。そのために、休日まで潰して働くくらいなら、最低限の物でゆっくり過ごしたいと思って何が悪いのか。

 シャツを脱いだらようやく肩が楽になった。


 そう、このシャツみたいにきっちりしてて、肩苦しくて。

 たまに辛い。

 もっと、気楽に過ごしたいって思うのはおかしいのか?


 ぼうっとそんな思考を巡らせ、タオルで髪を乾かしながら、水を飲もうとキッチンに行く。美佳子さんと目が合ったけど、

「私もシャワー浴びてくる。先寝ててよ。まだちょっとやりたいし。」

と不機嫌な声で言われた。

 ふとテーブルを見ると美佳子さんが飲んだコーヒーのマグカップが置いてある。あの趣味の悪い赤の女王のマグカップ。

 なんで、こんなん買ったんだろ?

 そういえばアリスは何となくわかるけど、赤の女王って何だっけ?と思いながら検索をかけたら、

「赤の女王仮説??」


『It takes all the running you can do, to keep in the same place』

『その場に留まり続けるには全力で走り続けなければならない。』


 生物は個体にしろ、種にしろ、生き残るためには同じ場所に留まる為には走り続ければならない、つまりは進化し続けなきゃいけない。

 進化すること、成長することを止めたら生き続けられないってこと。


 頭を殴られた感じってこれだろうか。

 俺、走るどころか、立ち止まって足下しか見てなかった。


 寝付けずに居るうちに美佳子さんが寝室に入ってきた。謝らなきゃとは思ったけど言いだせなくて、美佳子さんの側に背を向けて寝たふりを続ける。多分、俺のこと見下ろしてしばらくの間、無言で立っている気配がしたけど、すぐにベッドの中に入った。

 ケンカして、気まずいままだったけど、なぜかそれがスイッチだったみたいで急に安心して眠ってしまった。



 昨日は言い過ぎちゃったな。

 職場から自宅に向かう通り慣れた道。見慣れたアスファルトのヒビがいつの間にか埋められてるなあ、なんて思いながら歩く。朝起きたら謝ろうと思ってたのに、今日に限って寝坊して慌てて出て行ってしまった。帰ったらすぐに謝ろうと意気込んで部屋に戻れば、今度は明りが点いていなくてちょっとしょんぼりしてしまう。

 あーあ、今日は、夜のシフトだったか。

 シャワーを浴びてベッドにもぐりこむ。最近、昼間は暑くても朝晩冷え込むから、なんだか部屋が寒く感じた。昨日は背中に晴斗君の体温があったから、ケンカしたとは言え落ち着いて眠れた。明日の朝、帰ってきた時に謝ろう。そう決意して目を閉じた。

 なのに。

「あれ?」

 朝起きても、晴斗君が帰って来ていない。

 え?まさか、振られた?

 ちょっと慌てたけれど、物は残っているから、違うか、とほっとする。そして、かなり動揺している自分に驚いた。これまでだって、彼氏はいてフラれたこともある。その時はかなり落ち込んだけど、今みたいな動揺はしなかった。こう、地面が揺らいだというか、支えがなくなったというか。

 何か、バイト先でトラブルがあったのかもしれない。

 

 久しぶりに一人でコーヒーを入れた。ついつい二人分をドリップしてしまって、ペアで使ってるマグカップじゃ入りきらなくなった。慌てて視線を巡らせると、大きめのカップが洗い籠に伏せてあったのでそちらに移し替えた。

 いつもと同じようにミルクを注いで飲むけれど、なんだかコクが足りない気がした。

 あ、カップ洗っててくれたんだ。課長は皿を運ぶことだってしなかったのに。やっぱ最近の若い男の子はそういう気が効くって本当なんだな。

 と、どさくさで晴斗に付き合ってと言った日のことを思い出す。


 そうだよ。

 晴斗君がいてくれるだけで良いって思ってたのに。家に帰った時、誰かがいるってだけで良いって思ってたのに。お金稼ぐとか欲しい物買うとか、自力でなんとか出来ることじゃなくて、泣きたい時とか嬉しい時に一緒に居てくれる人を求めてたんだ。そういう人は晴斗君だって思ったから、付き合って一緒に暮らそうって思ったんだ。

 また、求める物を間違うところだった。

 今日の夜は、早く帰ってきて謝ろう。

 そう思った時、静かな部屋に電話の着信音が鳴り響く。

 こんな朝早くに?と怪訝に思いながら画面を見れば、見知らぬ電話番号。固定電話のそれを見た途端、一気に胸騒ぎがした。

 緊張して電話をとれば、事務的な口調の声。


 晴斗君が事故に遭って病院に運ばれた、らしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ