古ぼけたテント
世界がどんなにか危険に満ちていても ベッドの中、
布団に潜っていさえすれば安全であるとリノは思い込むことにしていました。
それでも
気がかりである事や悲しかった事は否応無しに頭の中でくりかえしくりかえし考えてしまいます。
忘れろ
忘れろ
忘れろ
毎夜毎夜 リノはそう唱えます
後ろ向きに前向きな生きかた
些細な事にとらわれていては生きていけないと理屈では理解っているのに
けれども今日は違いました
いつもでしたら知らない大人に怒られた日など、まるで再現を見せられているかのようにリアルな映像が頭から離れず知らず知らず泣いているのに
今日は違いました
あの声はなんだったんだろう
美しい
けれど深い闇におちていくような感覚
切なさと儚さ
時折聞こえた
鈴の音
チリン チリン
…あの子は
◆
…どっちがマシだったんだろう
垂れ幕の内側で時折射し込む陽の光に目を細め少年は虚ろな視線を泳がせました。
ガタガタガタガタガタ
もう慣れてしまって気分が悪くなる事はありませんが、馬車に長時間揺られているのは身体に負担をかけます。
ガタガタガタガタガタガタガタ
自由でない事は少年にとってさほど苦痛ではありませんでしたが、狭い場所で身体が強張るのは苦しいものでした。
…次はどこに行くんだろう
村を出てからどれくらいたったでしょう?
木々が葉を落としはじめた頃でしたからもう三ヶ月はこうして巡業していることになるでしょうか。
あの日、疲れた顔をした村長と対象的に、まるで獣が足を痛めた兎を見つけたような表情で
自分を見ていたサーカスの団長。
「私と一緒に来るんだ」
ぎらぎらした瞳で 弛んだ唇で
発した第一声は命令
それからずっと団長の言葉は命令以外なにものでもなかった。
「死ぬまでの時間、どこで何をしていようと神様は関係ないとおっしゃるだろうからな」
下卑た笑い
「本当に一ヶ月に一回は背丈を計るんだろうな?逃げ出したりしたら私は村中からひどく恨まれる」
せわしなく汗を拭き顔色の悪い村長が団長に囁く
「心配なさるな、ちゃんとするさ。例の大岩を測った紐は預かっただろう?それにおまえさん、例の金が欲しくないのかい?」
「それはっ…!」
「なあに、村の連中にはバレやしないよ。今だってあんたの女房が食事を世話してたんだろう?それ以外このガキが生きてようが死んでようがどこにいようがわかりっこないんだ。ただいつかは例の『終わり』にほっぽりこむ儀式をやりゃいいんだろ?だったらなあんにも問題ないさ。」
「それに私等だってそう長い間コイツを面倒みる気はないのさ。コイツが使えるのは…そうさな もって半年だろう。」
フォーは目の前でおこなわれている取引が自分にとって良いのか悪いのかわかりません。
ただ 純粋に何かが変わる予感がしていました。
「半年、でも最高の質を維持している期間だ。『奇跡の声』は散りぎわが一番美しいのさ。まるで別れを惜しむように 最後の最後がな」
団長が舐める様な視線でフォーを絡めました。
◆
「サーカスの公演は明後日だそうだ」
朝食の席でお父さんが話していました。
リノにはお母さんがいません。
気難しく厳しいおばあちゃんと仕事であまり家にはいないお父さんの3人家族です。
…明後日 あの子はまた歌うのかな
リノは学校を終えると急いで家に帰りました。学校といっても教会でやっている小さなものです。生徒もみんな近所の子で年もばらばらでした。
リノは活発な子供ではありませんでしたが友達はそれなりにいました。
学校が終わると一緒に遊んだりすることも多かったのですが、今日はまっすぐ家に急ぎました。
…耳について離れない
あの悲しげな旋律が 一日経った今でも
いえ 時間をおいて尚更
透き通る氷に胸を焦がされる
…サーカスの人達がいるテントを覗いてみよう
学校でもみんなサーカスの話題でもちきりでした。男の子達や年上の女の子達は今日も見に行くんだと興奮して喋っていました。
いつものリノでしたら みんながそんな風に騒いでいても公演当日になるまで覗きに行ったりしなかったでしょう。
…でも 何故か どうしても
リノはこっそり、ひっそりサーカスのテントの裏側に近づいていきました。
…決して騒がないし、サーカスの人達の迷惑にならなければ
…大丈夫
自分を奮い立たせて
…少し覗くだけで帰ろう
チリン
チリン
チリン
鈴の音
小さな
呟きのような音色
リノはその小さな音を敏感に気付きました
軽く目を見張り耳を澄まします
チリン
…そういえばあの子は手足に連なった鈴を付けていた
その音はごくゆっくりと間隔をおいて響きます
…歩いているんじゃない、風に揺れて音が鳴っているんだ
リノは辺りを伺います
テントの裏手は静かでした。
ふと 小さめの 物置として使っているような古ぼけたテントが目に付きました。
鮮やかな色をした綺麗なテントや団員達が寝止まりに使っているであろう防水防寒のしっかりしていそうな丈夫な布で作られているテントとは違う
簡素で古ぼけたテント
チリン
…ああ あそこにいるのね
まだ それらのテントから数十メートルも離れているのに
鈴の音は風に消えそうに響いているのに
リノは確信しました。
点や丸がどんどん無くなっていく…




