俯く子供
贄の子供が村の少女と遊んでいるのは歓迎すべき事態ではない。
サーカスの団長は面倒なことになったといった表情で葉巻を押し消した。
「もう捨て時か」
あの少年はたしかに素晴らしい声をもっている。
容姿も美しいので客の受けも良い。
村長からの強いクギがなければ得意客の酒席相手でもやらせたいほどなのだが。
大人しく扱いやすい子供だったがこの村にきて状況は変わった。
村の権力者の娘があの子供に懸想してるらしいのは火を見るよりも明らかだ、騒ぎ出すとやっかいである。
「捨て時だな」
もう一度そう呟くと団長はサラサラと手紙を書き始めた。
◆
「どこへ行くんだ、リノ」
背筋がすっと冷たくなるような
首の後ろがズっと重くなるような
自分以下の人間をしっかり区別して接する者独特の上から押さえつけるような低い声。
「おはようございます、父さん」
そうすることが自身を守る癖になってしまっているように俯いたまま上目遣いで相手を見る。
「最近よくでかけるようだね、どこへ行くんだ?」
どこへ のところをわざとゆっくり発音し、リノよりもずいぶん暗い色調の蒼をした瞳でおびえたように小さくなっている娘を射竦めるように見つめる。
「お友達のところへ…」
「言葉は最後まで言いなさい、リノ。」
「はい…。お友達のところへ行きます、父さん。」
リノの身体をひんやりとした空気が纏わりつき次の質問を全身で拒否します。
けれども
「誰の、誰のところへ行くんだい?名前を言ってごらん」
恐らく父はその答えをすでに知っているのです。
リノがどんなに注意をはらって隠し事をしても、この村で生きているということは父の手のひらの上で生きているということなのでした。
そしてどう考えても父はサーカスの人間である少年と『自分の娘』であるリノが仲良く遊んでいることを許す人間ではないのです。
…ああ
…ああ ああ どうして
…私には反抗するような力も立ち向かう勇気もまっすぐ前を見据えることすらも
思い通りになることなんて ちっともなかった
「嬉しい」の後にくる「哀しい」が怖くて「嬉しい」も怖くなった
手を繋ぐのが怖いのは
手を離される瞬間が怖いから
みんなは怖くない?
私だけが臆病?
大人になれば怖くない?
どうして世界はこんなにも恐ろしいの?
私が弱いから恐ろしく感じるの?
必死にせめて相手の姿を捉えていようと粘ったがやはり挫け、俯いてしまった。
何か言おうとして唇を動かすが言葉をのせることは出来そうもなかった。
「言えないのか?父さんに名前を言えないような子なのか?やましいことがあるから下を向くんだろ?」
…違う 違う違う
…やましいことなんてなくても弱い者は俯く
…わかってもらえない時 絶叫したい時 寂しい時 悔しい時 消えてしまいたい時
…口に出してはっきり意思を伝えられる人間の半数以上は口に出して意思を伝えない人間の気持ちを理解しない「出来ない」んじゃなく 「しない」
途切れ途切れに息を吐く。
絶対の命令を下す君主のように、父はリノを眺める。
見つめるというよりも 眺める。
「…友達、ちょっと前に来たサーカスの…サーカスで歌を歌ってた子で…フォー…っていってやさしい子なの…」
それだけいうのに全速力で走り回ったくらい息を切らし握ったこぶしは白く、先刻から凝視している床には穴があきそうでした。