第二章 迫る不安の影 (2)
その夜、都督府では東都軍を歓迎する宴が盛大に催されていた。
次々に振舞われる食事と酒に男たちは酔い、顔を綻ばせている。誰からも昼間に見えた険しい顔つきはすっかり消え去っている。
それはまるでこれから始まる戦を忘れているのか、戦に勝利したと勘違いしているかのようだった。
宴席の隅で、リキはその様子を退屈そうに眺めていた。久しぶりに正装した息苦しさと、酔った男たちの醜態にうんざりしながら。
リキの母も東都の武将らに酌を振舞い、機嫌を取っている。
「東都殿のおかげで北都の民は皆、安堵しております。もはや我らには何も心配することはありません」
リキの父カクヒもすっかり酒に酔い、その顔からは笑顔が絶えない。
「いや、我らは蔡のために務めを果たしているまでのこと」
謙遜しながらも大きな口を開けて笑う東都都督の顔からは、昼間に見えた眼光の鋭さなどすっかり消えてしまっている。武将とはいえ、酒には敵わないらしい。
もしも今、燕が攻め込んできたらどうなるのだろうとリキは思わずにはいられなかった。
その一方で、嫌悪すべき声が耳に届いてくる。
「西都殿は、今回の事態を甘くお考えのようだ」
「まったく危機感が無い」
「西都殿は、宰相のシュセイ殿の言葉に耳を傾け過ぎなのだ」
「シュセイ殿は武力を否定するばかりだが、まったく現実が分かってない」
シュセイとは、西都の宰相である。西都では独自に宰相の役職を設けて、都督を補佐している。東都や北都に宰相という役職はない。
次第に彼らの話題は燕国との戦から逸れていく。
今回の事態を武力により解決しようと推し進めた東都に反対し、話し合いによる解決を目指した西都を批難する声が高まる。国境に接していない西都では、武力を増強する必要性はないという理由もある。しかし蔡を纏め武力の増強を図る東都にとって、西都のシュセイの主張は疎ましいものだった。
この場に居ない者を罵倒するとは情けない。
リキは彼らの会話にしばらく耳を傾けていたが、ついに席を立った。そして宴席を離れて広間を出ようと扉に手をかけた。
「どちらへ行かれるのかな? まだ宴は終わってはおりませんぞ」
と、背後から呼び止める低い声。
背筋が凍りつく感覚に振り返ると、そこには見覚えのある男がいた。酒に酔い、今にも微睡みそうな目つきでリキを見据えている。