第八章 蔡国の王 (10)
やがて一曲を奏で終えたギョクソウは空を仰ぎ、大きく息を吸い込んだ。緩やかな風に体を預けるように、達成感に満ちた表情でゆっくりと目を閉じる。
彼が琴を奏でている間、隣で見守っていた侍女が深く礼をした。まだあどけなさの残る顔をした彼女は頬をほんのりと赤く染め、目を潤ませる。
「見事でございます。陛下もたいへんお喜びになられることでしょう」
「こんなことで父上が喜んでくれればいいのだが、なかなか認めてはくれないからな」
ギョクソウ自身も父である王に琴を認めてもらえないことは、十分に理解していた。
王も先代の王も武術に長けており、これまでに幾度も戦地に赴いた経験がある。今は平和な蔡国だが、かつては隣国である燕との争いが絶えず、ようやく今の王の手によって平穏な世を迎えることが出来たのだ。
「いいえ、ギョクソウ様の琴は今の世を癒す力をお持ちでございます。父もそのように申しておりました。ギョクソウ様は類い稀な温もりをお持ちの方だと」
少女のようにきらきらと瞳を輝かせ、侍女は身を乗り出さんばかりに熱く訴える。彼女の気持ちを汲み取ったギョクソウは、優しく微笑んだ。
「ありがとう、君に言われると自信が湧いてくるよ」
ギョクソウと目が合った侍女は、慌てて顔を伏せた。俯いて肩を竦める彼女の耳が真っ赤に染まっている。ギョクソウはくすりと笑い、琴を抱えて立ち上がる。
「琴の名手であった君の父上のように、私もいつか、この目で見た情景を奏でたい。琴の音色に乗せて皆に伝えることが出来たなら、どんなに素晴らしいことだろう」
ギョクソウは再び空を仰いだ。
爽やかな風が、髪を揺らしながら通り抜けていく。両腕で抱いた琴の弦が陽射しに照らされ、煌めいている。それはまるで陽射しを浴びた水面のように揺らめいて。
「ギョクソウ様の琴の音は、私にはっきりと見せて下さいました。この庭の緑の匂い、風渡る水面の煌めき、吹く風の優しさを……父よりも温かな音色を感じることが出来ます」
侍女はきりりとした目で彼の横顔を見つめていたが、ギョクソウが振り向くとゆるりと口角を上げた。
「ありがとう」
振り向いたギョクソウは、再び穏やかに微笑んだ。彼女をまっすぐに見つめる瞳は、優しさと清らかさに満ちていた。