第八章 蔡国の王 (6)
ギョクソウから目を背ける王の前に、丞相が恭しく現れた。
「お寛ぎのところを失礼いたします。私からも陛下にお祝いの杯を……」
腕を組んで深く礼をする丞相の背後に控えていた部下たちが、両手で抱えた瓶を頭上に掲げて頭を下げた。部下たちは軽々と持ち上げているように見えたが、手元に下ろした瓶は見るからにずっしりとした様子が窺える。
部下が王の手にした杯に注ぎ入れると、辺りはふんわりと芳しい香りに包まれた。
王はうっとりと目を閉じた。王の持つ杯から放たれる香りに気付いた周囲の者たちも目を見張り、香りを辿っては感嘆の声を漏らす。
「実に素晴らしい香りだ、いい出来栄えの花酒だな」
香りを堪能するように鼻先で揺らしていた杯を、王はゆっくりと口へと運んだ。そして煽ると目を見開いて、満面の笑みを浮かべる。
その表情を確認した丞相も、満足げに口角を上げた。
「陛下のためにと特別に作らせた酒でございます。他にも花の種類を集めて何本か用意してありますので、後ほど陛下のお部屋へお届けに上がりたいと思っております」
「他にもあるのか、それは楽しみだ。いや……せっかくだから、ギョクソウやここにいる皆にも振舞ってくれ。私のために集まってくれたのだから皆にも味わってもらおうではないか」
すっかり上機嫌の王の言葉に、丞相は驚いて顔を引き攣らせた。明らかに何か言いたそうに顔を伏せ、歯を食いしばるような素振りを見せる。
そんな彼の様子を王も周囲の者たちは誰も気付いていないようだったが、ギョクソウだけは目敏く気付いて眉を顰めた。
王の前から下がる丞相の姿を追いつつ首を傾げるギョクソウは、ふと視線を感じて顔を上げた。
そこには丞相の娘カレンが、不思議そうな表情でギョクソウを見つめている。目が合いそうになったカレンは咄嗟に顔を伏せたが、彼女の顔に滲んだ僅かな不安の色をギョクソウは見逃さなかった。
何か声を掛けるべきかと彼女をしばらく見つめるが、彼女は顔を伏せたまま肩を強張らせている。
広間は花酒の芳しい香りに包まれ、宴は夜が更けるまで賑やかに続いた。
ギョクソウはカレンの様子が気になって時折視線を送っていたが、彼女は二度と顔を合わそうとしなかった。