第八章 蔡国の王 (4)
「しかしカンエイ殿の謀略により東都殿を討った燕の軍が北都を制圧したとの情報は、実際には疑わしいというではありませんか。燕軍は北都には進攻していないと、西都に逃れてきた北都の兵士からは聞いております。北都はカンエイ殿が単独で乗っ取ったのだと」
イキョウは語気を強めた。
その言葉を呑み込むように、丞相は眉間に皺を寄せた険しい表情のまま頷く。彼の表情の変化を少しでも逃すまいと、イキョウの目は瞬きすら忘れたように真っ直ぐに丞相に注がれている。
イキョウの隣りでシュセイは、丞相の肩越しに髭を撫でつける王の腕が揺れ動くのを見ていた。
「確かに、そのような情報も聴こえてきております。しかし当初、北都が占拠されたという情報をもたらした兵士らは既に死亡しており、今や東都には北都から逃れてくる兵士や人民はなく真偽を確かめる術もないのです」
「それは確かな情報ですか、北都から西都へ逃れてくる者がいるというのに、肝心な東都へ向かう者がいないというのはおかしいとは思いませんか。北都の現状を伝えて援軍の要請をするつもりなら、まずは東都へ向かうはずと思いますが」
丞相が返すと、すかさずシュセイが口を開いた。
僅かに目を見開いた丞相はシュセイを一瞥して、小さく息を吐いた。
「シュセイ殿、私が嘘を申しているとでも仰りたいのですか。私は逃れてくる者が無いをいう事実を申しているまでのこと……ここにいる皆に聞いてみても分かることです。いったい何が仰りたいのですかな」
シュセイを見下すような眼で見つめる丞相は、気分を害したと言わんばかりの表情だ。しかし口調は極めて平静を保っている。
そんな丞相の背に、王が呼びかけた。
「丞相、西都の二人ももうそのぐらいでいいだろう。ここで議論しても仕方ない。これについてはまた改めて議論の場を設けることにしようではないか、今日は楽しもうと言ったはずだ」
王は立ち上がって微笑むと、広間を見渡した。
張り詰めていた広間の空気が、一気に解れていく。
「陛下、申し訳ありませんでした」
丞相は腕を組んで深々と頭を下げた。彼の後ろでイキョウとシュセイも跪いたまま、王に深く頭を下げた。そして振り返った丞相に一礼すると、自席へと戻っていった。