第三章 北伐 (7)
澄んだ夜空に浮かんだ月が縁側を照らしている。しんとした景色の中で、風に揺られた枝葉の触れ合う音が心地よい。
縁側に腰掛けて、リキは耳を傾けていた。
時折漏れる溜め息が、穏やかな風に紛れて消えていく。まるでリキを宥めるように。
宴を終えた都督府では酒に酔ったカンエイと配下たちが、未だ上機嫌で騒いでいる。北都を手中に収めたと確信した彼らは、北都の士官らに横柄な言葉と態度を取り収拾がつかない。
それに耐えきれず、ソシュクはリキを連れ出し屋敷へと戻ってきた。
リキの両側にはソシュクとハクランが、夜空を見上げている。夜風に当たりながら酔いを醒ましているのだろう。
二人とも東都の歓迎の宴の時ほど酔うことは出来なかったが、自然と口を閉ざして塞ぎがちだった。
「私、強くなりたい」
リキはぽつりと零した。
宴席での屈辱が忘れられない。カンエイの声や目つきや表情、忌ま忌ましい残像が固く閉じた瞼の裏に蘇る。
悔しさに押されて溢れ出しそうになる涙を、リキは懸命に堪えていた。こんなことで泣いてはいけないと。
そんなリキの姿を見ていたハクランは、もどかしかった。
なんとかリキを慰めてあげたい。言葉を掛けたいが、相応しい言葉が見当たらない。それどころか、考えるほどに言葉は胸の奥深くに沈み遠退いていく。
ハクランは悔しさに堪えるリキの姿を、ただ見つめることしか出来なかった。今すぐにでもリキを抱き寄せたい衝動を抑えて、拳を固く握り締める。
「外に出ようか」
ソシュクの声が、ハクランの張り詰めていた気持ちを解いた。
顔を上げると、俯いたまま震えるリキの肩に手が触れてソシュクは小さく頷いた。
すっかり夜の更けた闇の中、影を帯びた北都の街を淡い月の光りが浮かび上がらせている。
北都の街は深い眠りに就いていた。昼間は多くの人の往来で賑わう通りにも人気はなく、ひっそりと静まり返っている。
リキとソシュクは口を閉ざし、静寂に満ちた町を当てもなく歩いていた。
やがて二人は緩やかな水の流れに誘われて、町外れの川辺へとやってきた。
小高い山裾を縫うように流れる川面に月明かりが映り、ゆらゆらと煌めいている。
リキは目を細めた。この川を遡った先に、北伐の舞台となった燕国との国境の莱山がある。そこでカンエイが造反を起こしたのだ。