第三章 北伐 (3)
国境の陣営と東都へ向けて、それぞれ数名の兵が出発した。
北都で留守を預かることになった者たちは、皆の無事を祈るしかなかった。
しかし事態は急変した。
老将と共に国境へ向かった兵の一人が、北都都督府へ飛び込んできた。ただ事ではない勢いと彼の蒼白した顔から、一目で良くない知らせだと分かった。
「大変なことになりました」
彼は息を切らせて、リキの母の元にたどり着くと跪いて項垂れた。
「どうしたのです? 何があったの? 他の者は?」
リキの母は彼の顔を覗き込み、声を落として訊いた。
都督府の広間に集う者たちに出来るだけ覚られないようにと気遣っていたが、皆の視線は二人に注がれている。
リキもまた、彼の尋常ではない様子に胸騒ぎを覚えた。
国境で何かが起こったのだ。
「東都の、カンエイ殿が……造反を」
しんと鎮まり返った広間に、彼の発した言葉が静かに響いた。
その場に居る皆が、一様に顔を引き攣らせて言葉を失う。
「なんですって……」
「東都都督殿の一軍が壊滅、我等の軍も……」
「北都の……我等の軍はどうなったのか?」
傍らで聞いていた女性が、彼に詰め寄った。彼女の夫もまた北都の士官の一人で、北伐へ向かっていた。
彼女に続いて、周りの者たちも一斉に母と彼の元へと駆け寄る。
「どういうことだ? 東都軍が壊滅?」
「我が軍は? 都督殿はどうなったのだ?」
皆が我を忘れて彼に詰め寄る。彼の元へ来ることもできず、その場で泣き崩れる者もあった。
混乱する広間の様子を目の当たりにしたリキは、彼の元に駆け寄った。
「待って、みんな落ち着いて、話を聞いて!」
彼を庇って皆を制止するリキの姿に、皆は我に返った様子で顔を見合わせる。だが、困惑する表情まで隠すことは出来ない。
「皆は?無事なのか?」
リキの母は彼に問いかけた。
息を飲み、リキは彼を見つめた。その言葉を聞き漏らさないようにと。
「はい……北都軍は無事ですが、カンエイ様の支配下に」
言い終えないうちに彼は、言葉を詰まらせて肩を震わせる。
母は彼に手を添えて、労いながら席に着かせた。
リキは皆を見渡した。誰もが肩を落として項垂れている。
あの男の名前が、耳について離れない。リキは胸の疼きを抑えるように小さく息を吐き、空を見上げた。