第二章 迫る不安の影 (10)
「ハクラン? どうしたの? 何か言いたそうだけど?」
「いや、べつに」
リキが問うと、ハクランは口を噤んで首を振った。しかし彼の顔は、今にも笑いそうになるのを堪えているのだろう。明らかに引きつっている。
「何? 言いたいことがあるなら言ってよ」
口を尖らせて詰め寄るリキに耐えきれず、ハクランはとうとう吹き出した。
「何がおかしいの?」
「いや、なんでもない……ただ、リキらしいって」
「変なこと言わないでよ、兄さんみたいにおとなしくしてろって言いたいの?」
ハクランの笑う訳が分からず、リキは苛立ちを露わにした。顔を覗き込もうとするリキを、ハクランは笑いながらひらりと交わす。
いつしかリキはハクランを追って、馬車の荷台の周りを駆けていた。
捕まえようと伸ばしたリキの手を、あと少しの所でハクランは身軽に交わして追いつきそうで追いつかない。ハクランの姿は荷台の向こう側に消えて、見えなくなった。
「ハクラン、なんのつもりなの? もう帰るからね」
リキは足を止め、苛立ち混じりの溜め息を吐いた。
仰いだ空は高く澄み、星が静かに瞬いている。星空に吸い込まれそうな感覚が胸の奥から込み上げて、とても穏やかな気持ちに包まれていく。
明日、戦が始まるとはとても思えない。これは夢ではないのだろうかとさえ思うのは、リキの願望かもしれない。
静寂の中、ふと背後で響く足音。同時にリキの肩越しに、柔らかな感触がゆったりともたれ掛かった。それは振り返ろうとするリキを力強く止めて、温かくて。
「リキ」
ハクランの声が、リキの胸の真ん中を貫いた。
囁くように小さいけれども、しっかりとした力強さを帯びた声。耳元に触れる温もりが、リキの中へと染み渡っていく。真っ直ぐに深いところへと。
「ハクラン?」
背中から伝わるハクランの温もりと、大きな腕に包み込まれる心地よさにリキは目を閉じた。次第に高鳴る胸の鼓動を感じながら。胸元に回された手は大きくて逞しい。
そっと触れた端から蘇る記憶。幼い頃、ハクランとじゃれ合うように取っ組み合いの喧嘩をしたこと。
あの頃は気がつかなかった。いつの間に、こんなにも逞しくなったのだろう。
互いの鼓動の速さに合わせるように、リキを抱いた腕が強さを増していく。締め付けられる息苦しさよりも、身を委ねていられる安心感が心地よい。