第二章 迫る不安の影 (8)
燕との戦は『北伐』と呼ばれることになった。あくまでも名目は燕に対する威嚇だが、燕を討伐する目的も多く含まれているため人々は『戦』と認識していた。
東都軍に絶対的な信頼を抱きながらも、迫る北伐に向けて北都の街全体の緊張感はますます高まっている。
連日のように都督府には北都と東都の兵士が集結し、演習を繰り返している。
北都都督カクヒは、東都軍の一糸乱れぬ統制された様子に感嘆の声を漏らした。
「さすが東都軍の軍勢は精鋭が揃っておりますな、素晴らしい」
「いやいや、ここにいるのは我が軍のごく一部。少数ですから揃っているように見えているだけです」
東都都督は謙遜しながらも、満更でもなさげに顔を綻ばせて口元を緩ませる。
今回北都へ援軍として派遣された東都軍は、全東都軍のうちの一部だ。蔡王のいる東都を空けるわけにはいかないため東都都督直属の配下は東都に残して、主にカンエイの配下を援軍として派遣することになった。その指揮を東都都督が執ることになったのだ。
もちろん東都都督の息子、コウリョウとリョショウも演習に参加している。
「リキ殿、こんな所から覗いていると怪しまれますよ」
「だって、あんな所に出て行ったら、また兄さんにうるさく言われるでしょ?」
侍女の言葉にリキは振り向き、答えると再び演習風景へと目を向けた。
リキは侍女とともに都督府の建屋の陰から、北都と東都の軍勢の演習風景を眺めていた。兄シュウイに怒られることを気にするようなリキではなかったが、さすがに東都軍との演習を邪魔してはまずいだろうと努めて控えているのだ。
「しかしこのような所でなくてもよろしいでしょうに……」
「べつにいいの、あんな堅苦しい所よりもここから見てる方が落ち着くから」
と答えつつ、演習風景に目を輝かせるリキを見て侍女は微笑んだ。
リキの視線の先にリョショウの姿が映る。東都都督の息子らしい重々しい甲冑を纏い、演習に取り組む彼の表情は宴会の日に話したものとは全く違って真剣そのものだ。
その視界の端で、ハクランが忙しく動いている。
「ハクランも大変そうね」
リキが呟くと、侍女は小さく頷く。
するとリキの視線に気づいたのか、ハクランが振り向いた。ハクランは建屋の陰にリキの姿を見つけると不思議そうな顔をしたが、すぐその真意を察して目配せして笑った。